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第9章 さらなる疑惑

「ちょ、ちょっと待ってくれ」血相を変えた馬渡(まわたり)田之江(たのえ)に向かって、「それは、いったい、どういう意味なんだ?」

「言葉通りの意味です。馬渡さん、あなた以外に影浦(かげうら)さんの死体を目撃したものはいない」

「それが、どういう……」

「あなたの話は全て嘘、という可能性もあるということです」

「待ってくれ!」


 馬渡は語気を荒げる。その態度に反比例するように、田之江は更に静かな口調で、


「そもそも、最初から死体がなければ、消えた、消えないの問題も発生しようがありません」

「俺は本当に見た!」

「さらに遡ると、昨日、影浦さんが表館から出て行ったという行動自体、屋根の上からあなたが見たという証言だけで成り立っています」

「田之江さん」不穏な空気を察知したのか、湖條(こじょう)が割って入り、「あなたの言うことも一理ある――」

「教授まで!」


 食ってかかってきた馬渡を、湖條は手の平を向けて制して、


「だが、影浦がいなくなったことは確かだ。馬渡くんがそんな嘘をつくということは、彼には影浦が姿を消した理由が分かっているということになる。『影浦が死んでいて、その死体が消えた』などと言った矢先に、当の影浦がひょっこり出てきたら、何もならないからね」

「どうして影浦さんはいなくなったんですか?」


 田之江は湖條の言葉を無視するように、馬渡に顔を向けて訊いた。


「えっ?」虚を突かれたように馬渡は唖然として、「そ、そんなの、俺が知るわけが……」

「あなたが殺したのですか?」

「待って下さい!」


 一歩踏み出て私は叫んだ。田之江の顔がこちらを向く。そこに貼り付いている顔は、初日に私が思った布袋(ほてい)様とはほど遠い、全てを疑ってかかるような、仮面のように冷徹なものだった。


「どうして晃平(こうへい)――馬渡さんが影浦さんを殺さなければならないんですか? よしんば何かのトラブルがあって彼が影浦さんを死なせてしまったのだとしても、『死体が消えた』などという嘘を吐く理由もメリットもないはずです! それに……」

「それに?」


 言葉を飲み込んでしまった私に、田之江は先を促す。


「それに、彼は、もしアクシデントで人を殺してしまったとしても、それを隠蔽したりするような男じゃありません! 正直に名乗り出るはずです」


 勢いに任せて言ってしまった。田之江は、「ほほう」と興味深そうな笑みになる。


「確かに」と田之江は下世話な表情から、もとのように冷徹な顔に戻り、「馬渡晃平なる人物の噂は耳にしています。私も、彼がそんなことをするとは思えませんね」


 安堵のものと思われるため息の音が二つ聞こえた。馬渡と乱場の口からだった。が、「ですが」と田之江はさらに、


「私たちは、そんな事件に何度も遭遇してきたはずですよ。『まさか、この人が』そういった異様な事件に、何度もね。そうじゃないですか? 教授」


 田之江は湖條を向いた。湖條は黙ったまま、鋭い視線を田之江にぶつけているだけだった。湖條の同意を得ることは難しいと判断したのか、田之江は、


「いや、すみません。どうにも、見る人、聞く話、全てを疑って掛かってしまうのが私の癖でして。ちょっと湧き上がった疑問をぶつけてみただけです。私も馬渡さんが影浦さんを殺しただなんて、露ほども思っていませんよ。気分を害してしまったなら謝ります」


 田之江は馬渡に向かって、ぺこりとお辞儀した。頭を上げると、その表情は七福神のひとりに戻っていた。


「いえ、いいんです。人の証言を疑うのは、探偵として当然のことですから……。俺も激高してしまいました、すみません」


 馬渡も小さく頭を下げる。田之江は首を横に振ると、


「お互い、因果な商売ですね。さて、影浦さんの死体がない以上、ここにいても仕方ありませんね。屋敷に戻って少し休みませんか? 早起きが堪えたもので」

「いえ、俺はまだ残ります。付近の捜索もしたいし」

「そうですか。他の皆さんは?」


 田之江は訊いたが、私も含めて全員がこの場に残ると言った。


「そうですか。では、申し訳ないが私ひとりで休ませてもらいますね」


 田之江は一礼すると、背中を向けて来た道を戻っていく。


「気にするな、馬渡くん」


 湖條が馬渡の肩に手を置いた。


「はい。田之江さんの言うことも最もだと思います。僕が逆の立場でも同じことを言っていたでしょう」


 嘘だ。彼にそこまで考えを回す頭はない。第一、人を疑うということを知らない男だ。


「警察が入られれば、岩の上に血液が付着していたかだけでも確認出来るんだが……。安堂(あんどう)さん」と湖條は理真(りま)に向いて、「あなたの推理を伺っていなかった。何かありますか?」


 それまで、黙ったまま私たちの言動を見ていた理真は、「そうですね……」と、ひと呼吸置いてから、


「今回のことは、三つの可能性が考えられると思います。まずは、事件説。何者かが何らかの理由で影浦さんをここから突き落として殺害した、というもの。もうひとつは、事故説。ですが、これは乱場くんと美夕(みゆ)さんのセッションにより、ほぼ否定されていますね」


 ここで理真は私と乱場の顔を見た。先ほどの話では、事故自体は起きうるとしても、死体が消えた理由に無理があった。


「最後の説は、狂言、ということか」


 理真に先んじて湖條が口にした。理真は頷く。それを聞いた乱場が、


「狂言……。一連のことは、影浦さんの自作自演ということですか? 崖から落ちて死んだふりをして、実はどこかで生きていると?」

「何のためにそんなことを?」


 馬渡が問うと、再び理真が、


「分かりません。殺害説と同じく、動機は抜きにして可能性のひとつとしてあるだけですから」

「でも」と、ここで私が口を挟み、「影浦さんの自作自演だったとして、死体が消えてしまうということに、私たちが違和感を憶えることまでは考えなかったのかしら?」

「都合良く波にさらわれたんだと考えてくれることを期待したのかもしれません。もしくは、もっと自然に死体がなくなる理由付けをしていたのですが、何かのアクシデントでそれが不発に終わってしまったということも。どうでしょう、皆さん」


 理真は私たちを見回す。まず湖條が、


「狂言であったとしたならば、自分を死体と見せかけた影浦があんな場所にいたということも納得出来るな。近づいて調べられでもしたら、死体の振りをし続けることは不可能だ」

「そうか」と次に乱場が、「自分の死体を見せたい、でも、近寄ってほしくない。だから、切り立った崖の下なんていう場所を現場に選んだということですか。でも、それは博打ですよね。実際馬渡さんは、今やったように崖下へ下りています」

「それも含めて、夕暮れ時を選んだのかもしれない。いくら馬渡くんでも、見通しの効かない暗い中をクライミングなどしないだろう。実際そうだった」

「ちょっと待って下さい」と馬渡が割って入り、「それじゃあ、そもそも影浦はどうやって崖下まで行けたんです?」

「船かボートでも用意していたとか? 例えば……あの砂浜辺りからなら、さほど時間も掛けずにこの岩場まで来られます」


 私は言ったが、理真が首を横に振って、


「いえ、船で行ったのであれば、死体の振りをしている間、乗ってきた船を係留しておく必要があります。帰るために絶対に必要になるのですから。馬渡さん、影浦さんの死体、と思われていたものの他に、船かそれに類するものを見かけませんでしたか?」

「いや、そんなものは見ていない。夕暮れ時でも、影浦の頭部に付着した血液のようなものまで目視出来たんだ。船が係留されてなんていれば、目に付かなかったはずがないし、真っ先にみんなに報告している」


 それはそうだ。今になって、「そう言われると、船もあったことを思い出した」などと証言すれば、田之江でなくとも怪しく思ってしまう。


「それじゃあ」と乱場が、「行きは船、帰りはこの崖を上って帰還したのだとしたら? 今、馬渡さんが言ったように、死体と一緒に船があると怪しまれてしまう。なので、影浦さんは崖下に到着すると船を沈めて、死体の振りをする。首尾良く馬渡さんに目撃させたあと、崖を上って帰還した」


 理屈は通るが、無理があるように思う。乱場自身もそう思っているのだろう。重要視するような口調ではなく、あくまで確認に留めるといったような言い方だった。次に湖條が、


「影浦も馬渡くんには及ばないかもしれないが、そこそこの身体能力を持っていたのかもしれない。さっき彼がやったのと同じように、この崖を上り下り出来たのかもな、密かにロープなどを準備して。乱場くんたちが屋敷を探し回る前に、影浦が倉庫からロープを見つけて隠し持っていたのかもしれない。が」


 湖條は言葉を切った。ゆっくりと息を吸ってから、


「そもそもの出発点からしておかしい。影浦が狂言で自分の死を見せたがっていたのだとしよう。今、私と乱場くんが言ったどちらかの手段で崖下に行くことが出来たとしよう。だが、どうして馬渡くんがあの崖下を都合良く覗いてくれると思った? 昼間にふらりといなくなった自分を私たちが捜索に出る。誰かが崖下を覗いてくれる。そこまで期待してこの計画を実行したというのは、あまりに不自然に思える」

「そうですよね」と乱場も、「じっと動かずに死体の振りをし続けるというのは、相当に困難な仕事です。おまけに、俯せだったということは、誰がいつ自分を発見してくれるか、目視出来ないということです。『ああー、疲れたなー』と身じろぎしているところを目撃されでもしたら最悪です」


 二人の意見を聞いて、私は、


「狂言説も無理がある、ということですか。それじゃあ、やっぱり、殺害説……?」

「殺害の動機と死体を回収した理由、その二つがクリアになればな」


 湖條が条件付きで殺害説に判を押した。乱場、理真、馬渡も何も反論しない。私は、ごくりと唾を飲み込んで、


「殺害、それじゃあ、やっぱり、この島に犯人がいるということ……」

「ああ、だが」と馬渡が、「この島の中にいる、イコール、俺たちの中にいる,とは限らない」

「どういうこと?」

「俺たち七人、もう六人か、以外の何者かが島に潜んでいる可能性だってあるだろ。教授、もう一度捜索しましょう、島中を、さらに徹底的に」

「裏館も、もう一度調べてみるべきではないでしょうか。この島には屋敷以外に建物はありません。人が潜むとしたら、そこなのではないかと」


 乱場が意見した。「そうだな」と湖條は空を見上げた。私も見ると、広がった雲は次第にその色を濃くしてきている。


「ひと雨来るかも知れませんね」


 同じように見上げて理真が言った。


「よし」と、それを聞いた湖條は、「雨に降られる前に屋外の捜索をして、裏館はそのあとに回す。あそこには電気が通っていないが、夜になったとしても携帯のライトで捜索可能だからな」

「分かりました。何か手掛かりが出てくるまでは、雨が降っても俺ひとりは外で捜索を続けますから」

「風邪を引くなよ」


 それは大丈夫だ。この男が風邪に罹ったところなど見たことがない。


「田之江さんには、何て言いますか?」


 乱場が屋敷の方向に目をやった。当然、もう田之江の姿は見えない。


「さっきの態度を取ったばかりだ、彼も素直に協力するとは言えないだろう。いいさ、しばらく放っておこう。元より、彼に体力仕事は不向きだからな」

「ですね。俺はもう気にしてませんけれど。俺がその分、人の二倍捜索しますよ」


 馬渡が胸を叩く。


「よし」と湖條は、「本当に殺人犯が潜んでいたら危険だ。二組に分かれよう。私と乱場くん、それ以外の三人でチームになってくれ」


 編成の修正を希望しようと思ったが、現在の人員ではこの配分がベストだろう。私は仕方なく受け入れることにした。乱場が湖條の横に、私は理真が馬渡の横に移動するのを見てから、理真が三人の中心になるように並んだ。


「例によって、成果があってもなくても、決めた時間に屋敷に戻ることにする。集合時間は……」と湖條は腕時計を見て、「十一時半にしよう」


 今から五時間弱か。結構な時間だ。朝食を食べてきて正解だった。


「もちろん、途中で雨が降ったら捜索は中止だ。そのときも屋敷に戻ること」


 湖條の確認に全員が頷いた。


「よし、行こう」


 馬渡の合図で、二人と三人は反対方向に散った。


「美夕」


 馬渡が小声で話し掛けてきた。


「何」


 私は彼のほうを見ないまま答える。気を遣ってくれているのか、理真は私たち二人とは少し距離を置いて歩いていた。


「ありがとう」

「だから、何が」

「俺のこと、かばってくれただろ」

「……田之江さんの推理が、あまりに杜撰(ずさん)だったからよ」

「ありがとう」


 馬渡は私から少し離れた。同時に理真が距離を縮め、私たち三人はほぼ等間隔に並んだ。


「どこから調べますか?」


 理真の声に馬渡は、


「教授と少年探偵には出来ないことをやりましょう。せっかく俺がいるんですから」と岩場の始まる場所に目を止めて、「俺が岩伝いに海岸を捜索します。二人は上から何か怪しいものがないか見ていて下さい」



 捜索を開始してから二時間強が経過した。馬渡は海岸伝いに突出した岩を跳んで、海側からでないと目視出来ない場所を捜索している。私と理真はその上から海面を見下ろすように確認していく。時折、岩の陰になって馬渡が見えなくなるが、すぐに器用に岩の上を跳びはねる、その姿が視界に入ってくる。


「かっこいいですね、馬渡さん」


 理真が声を掛けてきた。


「そう? あんなサーカスもどき、三日で見飽きるわよ」

「あはは」

「付き合わされるほうの身にもなってほしいわ。私、どれだけ擦り傷を作ったことか……」

「それが原因ですか?」

「えっ?」

「別れた原因」


 理真が悪戯っぽい笑みを寄越す。私もため息と一緒に笑みを浮かべて、


「違うわよ」

「今でも気になりますよね」

「何を」

「馬渡さんのこと」

「……全然」

「自分がいたら、彼の足手まといになるから身を引いたとか?」

「ふふっ」少し吹きだしてしまった。「そんなロマンチックな話じゃないわよ……」

「じゃあ、何なんですか?」


 ぐいぐい来るな。さすが恋愛作家、と言っていいのか。


「ただ……」

「ただ?」

「嫌いになっただけ」


 私は足を速めて理真から離れた。


「おおい!」


 崖の下から馬渡の声が響いてきたのは、そのときだった。「どうしました?」と理真が答える。


「ボートがあった!」

「ボート?」


 私も足を止めて声のする場所に立つと、理真と顔を見合わせる。


「影浦さんが現場まで行くのに使ったボートかしら?」


 私は言ったが、


「いえ、狂言説だとしたら、ボートはその場に沈めてしまったはずです。馬渡さんの目撃時、ボートはどこにもなかったんですから」


 理真が先ほどのセッションを持ち出して否定した。


「それじゃあ……」


 がさがさと音がして、岩の突端から革の手袋をはめた手が覗いた。馬渡が崖を上ってきたのだ。


「晃平、ボートって?」


 馬渡が完全に上りきってから、私は訊いた。


「ああ、二本のオールが付いた小型のボートだ、公園の池なんかに並べてあるようなやつ。船体の塗装が剥げたりしていて相当の年代物だが、十分使用には耐えうる。実際、最近使用された形跡があるな」

「影浦さんが使ったのではないとしたら、どうしてそんなものが?」

「影浦を殺した犯人のものかもしれない」

「どういうこと?」

「あのボートに乗って、密かに誰かが上陸していた可能性があるってことだよ。俺たち七人以外の何者かが」

「私たち以外の、誰か……? そいつが、影浦さんを殺害して、死体をどこかに持ち去った?」


 馬渡は頷いた。理真を見ると、考え込むような神妙な表情をしている。彼女は馬渡、そして私を順に見て、


「八人目の人物、ということですか」

「ああ、そいつも俺たちと同じ、探偵だったりしてな」

「八人目の……探偵」


 頭上に被さる雲は、さらにその色を濃くしていた。


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