月光 2
幸也が目を覚ますと、すでに夜が降りてきていた。窓の外は暗闇に包まれている。
時間がわからないので幸也は音を立てないようにそうっとベッドから滑り降りて廊下に出てみた。階下から話し声が聞こえてきている。真由美と八重子が何か話をしているようだ。
そのとき幸也のお腹がぐうっと鳴った。そういえば夕食を食べてなかったな、と階段を下りて声のするリビングにむかう。
「あ、幸也。起きたんだ。お腹すいたんでしょう」
ドアを開けると真由美がさっと立ち上がり、テーブルにひろげていた教科書やノートを片づけた。八重子も雑誌を閉じキッチンに幸也の食事を温めてに行った。
「夕飯食べずに寝ちゃってたからね。ちょうど今、起こした方がいいかどうか話してたのよ」
幸也が食事をはじめると、二人して向かいの席に座ってにこにこと見つめてくる。
「・・・え?・・っと?」
「なんでもないよ。食べて。あ、そうだ。仔猫たちにはミルクあげといたからね」
あんまり見られてなんとなく居心地が悪いけれど、嫌な感じではない。温かい食事の時間。幸也はまたここで暮らせたらいいのに、と思わずにいられなかった。
それからしばらく仔猫のかわいかった仕草や世話のことを話して、楽しかった食事は終わった。
「幸ちゃん、遅いけどお風呂に入っておいで。真由美はもう寝なさいよ」
「はーい。幸也、おやすみ」
幸也も手早く風呂をすませると八重子におやすみなさいとあいさつして部屋へ戻った。
しばらくして枕を抱えてまた出てくると、幸也はそっと昔のやよいの部屋の前に立った。幸也の部屋があの頃のままだったのだから、やよいの部屋も同じように当時のまま置いてあるかもしれないと思ったのだ。
ゆっくりとノブを回しドアを開けると、僅かな隙間から中を覗いてみる。明かりがなく真っ暗な部屋の中には、懐かしいやよいの匂いが漂っている。幸也は大きく息を吸い込んだ。───あの頃と、まったく同じ匂い。
幸也はその匂いに身を浸し、真っ暗であるがゆえに自由に思い出を蘇らせることができる部屋の中に一歩踏み入れ、腕に抱えた枕に顔を半分埋めたまま立ちつくしていた。
やよいがいつも座っていた椅子の位置、その前の丸いテーブル。一緒にお茶をするときのティーポットとカップの並べ方まで正確に覚えている。
そして小さい幸也がやよいの足元に座って、やよいの話を聞きながら彼女の編んでいる毛糸の玉をころころと転がして遊ぶ。真由美も幸也と同じように床に座り、毛糸玉で遊んでいる幸也をみながらやよいの話を聞き、時々質問をしたりする。
時には真由美が中心になって話をし、やよいは優しく頷きながら聞き、幸也はお話でも聞くように自分の知らない世界の話に聞き入る。
優しく懐かしい思い出に浸りきっていた幸也は、真由美がそうっと背後にやってきていたのに気づかずにいた。
「幸也。今夜は久しぶりに一緒におばあちゃんのところで寝ようか」
声を掛けられて驚いて幸也が振り返ると、幸也と同じように枕を抱えた真由美がすぐそばに立っていた。
「こっちのドアを開ける音が聞こえたから」
真由美は電気を点けて幸也をベッドに行かせると、
「幸也が奥だよ」
掛け布団を捲って幸也を窓際に寝かせてから電気を消し、真由美もごそごそと布団の中に入ってきた。昔もよくこうやって二人でやよいのベッドに潜りこんだことを思い出す。そのときも幸也はいつも窓側で、やよいを挟んで二人はお話を聞きながら眠りについた。
しばらくして真由美がぽつりと言った。
「懐かしいね」
「・・・・・」
「この部屋、おばあちゃんの匂いが残ってるでしょう。お母さんが時々、おばあちゃんの好きだったお香を出してきて焚いているいるせいかもしれないけど、この部屋に入ると今でもおばあちゃんが生きているような気がするの」
本当にそんな気がするくらい、懐かしい匂い。
「ここにいるといろんなことを思い出すのに、おばあちゃんはいなくて。・・・前はね、それが嫌でこの部屋に入らないようにしいてたの。だけど、今はただ懐かしい───。おばあちゃんがこの部屋の空気に溶け込んでいるような気がして、とても優しい気持ちになれるの」
悲しすぎて思い出すことすらしたくない───そう思っていたのは真由美もおんなじだったんだ。それなら幸也にも、ただ懐かしく思い出せる日がくるのだろうか。
「・・・幸也。今日はごめんね」
もう眠ってしまったかと思うほど時間がたった頃、真由美がぽつりと口に出した。幸也は一瞬なんのことかわからなかった。
「みんなにいろいろ言われたのは、あたしのせいだよね。・・・ごめん」
幸也は昼間のことを思い出したが、それが真由美のせいだとは思わなかった。
真由美はいつも一生懸命に僕を守ってくれているじゃないか。そんなに自分をせめないで。
幸也は口に出してそう言ってあげたかった。けれどやっぱりその言葉は、幸也の口から紡ぎだせずにしまった。この部屋にいると、やよいの記憶が鮮明過ぎて、声を出すと泣きだしてしまいそうだったのだ。




