解氷 5
一方真由美は、丸一日中寝ていたためかなかなか寝つけなかった。しばらく布団に潜って目を瞑っていたが、いろいろなことが頭の中を駆け巡って、ますます目が冴えてくるばかりである。
そういえば、あかりが幸也に会いに来たって佳代おばさんは言ってたっけ。・・・あかりは幸也に何を言ったんだろう。
布団からそろりと顔を出す。
あれ?幸也はその時までは家にいたんだ。それから出かけた・・・?
あかりに会ったことと何か関係があるのかな。
あかりが何かひどいこと言ったんだろうか。・・・そんな訳ないか。あ、でも、この前久しぶりに出会ったときも、かなり遅い時間に一人で街を歩いてたんだった・・・。
そこまで考えて、真由美はもう眠るのを諦めてベッドサイドの灯りに手を伸ばした。
「ん・・・眩しい・・・」
暗闇に慣れていた目をしばたたかせて、慌てて片手で目を覆う。その灯りが瞳を襲ったのとほぼ同時に、ふとある考えが頭に浮かぶ。
真由美にとっては嬉しい思いつきだ。
幸也は、いつも待っていてくれたのかもしれない。
そのすぐ後から、反対の考えも浮かんでくる。
私が行くから、出かけられないのかな・・・。
がばりと跳ね起きて自分の考えを否定する。
ううん、だって出かけるつもりなら、本当に会いたくないのなら、私が行く前に家を出てしまえばいいんだもんね。・・・うん、きっとそうだ。幸也は毎日私が行くのを待っててくれたんだ・・・!
真由美は暗い考えの方にいきがちになる自分の心を、なんとか自分で立て直し鼓舞する。
そのとき、かちゃりと小さな音がしてドアがすーっと開いた。
「おやおや、まだ起きていたのかい?うちのお姫様は」
「おかえりなさい!」
ベッドから飛び出して駆け寄ると、満面の笑みで孝行は答えた。
「ただいま」
真由美は久しぶりに見る父の顔にじっと見入った。孝行は柔和な瞳でそれを受け止める。
「お父さん・・・もうあたしも中学生なんだから、こんな真夜中に娘の部屋に忍び込んでくるのはやめてよね」
くすくす笑いながら真由美はからかうように言った。
「そんな意地悪をいうのかい?たまにしか帰れないんだから、構わないじゃないか。お前は知らないだろうけど、どんなに遅くても帰ったらいつも一番に愛する眠り姫の顔を拝みにきているんだよ」
「ふふふ。知ってる。前にお母さんに聞いたもの。ちょっとからかってみただけよ」
「おや、ずいぶんと生意気な口をきくようになってきたね。親をからかうなんて」
孝行は茶目っ気たっぷりに笑って、ベッドの端に腰かけた。真由美も並んで座る。
「そういえば、今夜は幸也くんが来ているんだね。ずいぶん久しぶりじゃないか?彼がうちに泊まるのは」
「うん」
「今見てきたけど、ぐっすり眠ってたよ」
「ほんと?よかったぁ。眠れてるか心配だったんだ」
「さっき、八重子に聞いたよ。佳代さん、とうとう脱皮するんだね」
「脱皮ってお父さん」
真面目な顔で言う父の言葉に思わず吹き出してしまう。
「だってそうだろう?大きく生まれ変わろうとしてるじゃないか」
「まぁそうだけど」
真由美はちょっと考えて返す。
「羽化の方がいいかも」
「ああ、そうだねぇ。そっちの方が綺麗だね」
相槌を打ち真由美の頭に手をのせ、くしゃくしゃっと掻きまわし感慨深げに言う。
「いろんな言葉を覚えたし、切り返しも早くなったなぁ。・・・成長したもんだ」
「もう!一体いくつになったと思ってるの?お父さんの知らない間にどんどん成長してるんですよ~だ」
ちろっと舌を出して見せると孝行は盛大に溜息をついた。
「かわいい愛娘の成長が見られないなんて淋しいなぁ」
「ふふっ。・・・お父さん、大好き」
しょげかえった孝行を見て微笑んで、それからちょっと悲しくなる。
「どうして平等じゃないんだろ。・・・あたしには、こんないいお父さんがいてお母さんも優しくて、おばあちゃんにもかわいがってもらえたのに」
孝行の愛情が優しくて、嬉しくて、泣きそうになる。
「・・・幸也くん、か」
「おとうさん」
「ん?」
「幸也のお父さんは、今度はいつ頃帰ってくるの?」
「さぁて、・・・少なくともあと二三か月は向こうじゃないかな。ここんとこ連絡とってないから詳しくはわからないが」
幸也の父親のことは、真由美もよく知らない。海外出張が多く、滅多に日本に帰ってこない。たまに帰ってもすぐまた行ってしまうので、真由美が会ったのも数えるほどだ。顔すらまともに覚えていない。
「・・・あいつも不器用な奴だからなぁ。家にいるのが短いのは俺もおんなじなんだけどな」
彼と中学時分からの友人の孝行は、溜め息まじりの声で言った。あいつは照れ屋で愛情表現が下手なんだよと、いつだったか孝行が言っていたのを真由美は思い出した。
「佳代さんももとから内気で大人しかったしなぁ。慣れてくると結構お茶目なところもあるんだけどなぁ」
内気で大人しいっていうのはわかるけど・・・お茶目?確かに今日の佳代からは想像できなくもない。
「いろいろ頑張ってはきたんだろうけど、幸也くんに伝わらないとなぁ」
「え?頑張ってきたって?」
佳代が今まで何かをしてきたなんて、初耳である。
「・・・?知らないことないだろう?幸也くんのために料理とか、洋裁とか、いろいろ習いに行ってたんじゃないのか?」
訝し気に首をひねる。
そういえば。
記憶を遡っていくと、そんなことを聞いたことがあるような気もする。確かに料理は美味しかった。おやつもいつも手作りだったし。絵本袋や給食袋も手作りだった。・・・あれは佳代おばさんの幸也への気持ちだったの?
「知ってたかもしれないけど知らなかった」
「・・・・・?」
「佳代おばさんが、ちゃんと料理作ったり小物作ったりしてたのは知ってたけど、幸也のためにって思ってるとは思わなかった。っていうか、幸也にも伝わってないよ。あたしだってわかんなかったんだもん」
「佳代さん自身に本気で幸也くんに近寄りたいっていう気持ちがなかったんだろうから、仕方ないかもしれないな。してあげたい気持ちはあったみたいだけど・・・お前にもわからなかったのか」
呆れたように言う孝行に反論する。
「だってあたしはいつも幸也と一緒にいたから・・・佳代おばさんの態度はひどかったもの。いつも、びくびくしてる感じで。あたし、大嫌いだったの。幸也を泣かせるから」
あの頃の佳代の様子を思い出して腹立たし気に言う。
「そうか」
「でも、もう大丈夫だよね?変わっていくよね?努力するって笑ってくれたもの・・・!」
「そうだな。きっと変わっていくよ」
孝行の言葉が力強く胸に響く。
「もうおやすみ。明日も早いんだろう?」
「はーい。おやすみなさい」
真由美は言われた通り、もう一度布団に潜りこんだ。




