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扉    作者: 楠 秋生
解氷
23/55

解氷 4

 幸也は真由美が出ていくと早速、本を手にしてみた。

 同じ人の作品だが、詩集と写真集とある。自分の周りに一冊ずつ並べてみて、その中で表紙の気に入ったのを手にとってみる。


 最初のページを開くと、そこにあるのはどこまでも続くサバンナ。空との境目の地平線まで広がっている。風に揺れる草々の中に、所々思い出したようにぽつぽつ立木が生え、淡い水色の空には乳白色の雲が風にひきちぎられた綿飴のような格好で流れている。

 よく見ると、草の中に半分身を隠してシマウマが数頭立っている。遠くにはキリンの群れ。

 開いたページから風が流れ出してきそうな、そんな写真だ。草々や木立の葉を揺らし、野生動物の四肢をすりぬけて吹く風は、大自然の匂いを運んでくる。


 幸也は目を閉じて、写真の情景を目の裏に思い浮かべてみた。


 風に揺れる草々は、風に吹かれた水面の小波さざなみに似ている。そう思って見ていると葉擦れの音までが、波のさざめきのように聞こえてきはじめる。

 風がザーッと吹くと、遠くから波が打ち寄せるように草々もしなり、波模様を呈す。

 動物たちは心地よさそうに風を受けながら、草をんでいる。彼らを狙う肉食獣は、腹を空かせて風下から静かに近づいてきている。若い鷹が風に乗って空を舞いながら、大地に獲物を求めて鋭い眼を光らせている。


 はるか彼方より吹いてくる風を、幸也は胸いっぱい吸い込んだ。


 目を開いてみると、その風景は四角に切り取られてページの中に収まっている。

 けれど、たった一枚の紙の上に写しとられているその風景こそが、場所も知らぬはるかな世界へ導いてくれる扉となっているのだ。


 ページを繰ると、次は砂丘の夕日。

 風の戯れで砂上に描かれた風紋の美しい曲線が、いくつも連なる丘々にくっきりと際限もなく続いている。

 砂をも巻き上げて吹く風は、まだほんのりと熱を帯びているのだろうか。灼熱の昼の砂漠と、凍てつくような夜の砂漠との、ちょうど真ん中。砂漠でもっとも過ごしやすい昼と夜との境目のひととき。

 風が強ければ一夜のうちに今ある丘が数十メートルも移動してしまうこともあるという砂丘は、樹海やジャングルや洞窟とは少し違った意味で、一種の迷宮ラビリンスだ。一番簡単に抜け出せそうに思えるが、その実一番恐ろしい。一見どちらにも道が開けているように見えるだけに始末が悪い。そこへ迷いこんだ者は、周りの景色に頼ることができない。自らの力で抜け出さなければならないのだ。

 

 けれども、たとえどんなに複雑な迷路になっていようとも、真実ほんとうの大地を感じ取れるなら、迷うことはない。目に見えるものに惑わされたりせずに、進むべき方向がわかるはずだから。


 もしこんな場所でたった一人になってしまったら、僕はどうするだろう。


 幸也は砂塵の舞う寂寞とした丘陵に立ちすくむ自分を想像してみた。

 心の深いところからこみあげてくる寂寥感から救い上げてくれるのは───今まさに沈もうとしている太陽の光。心のよりどころとなっているその陽が砂の下へ消えてしまう頃には、星が代わりに輝きを増し慰めてくれるだろう。


 僕にとって、真由美こそがこの光なんだ。


 幸也はふとそう思った。


 それは、太陽のひかりであり、また小さく瞬く星の光でもある。

 臆病に縮こまっている幸也を、叱りつけ引っ張りあげて照らす陽光は、幸也がひどい言葉を浴びせると傷ついて遠い地平線の向こうへ沈んでいってしまうけれど、代わりに星の輝きとなってまたすぐに現れる。その小さな輝きは、傷ついた心とともに空一面に砕け散ってしまっても、それでも優しくそっと幸也を見守ってくれる真由美そのものだ。時が流れて傷が癒え、再び朝日となって空に昇れるようになるまでの辛いときでさえ幸也をひとりにはしない。


 そう思ったとき、幸也は翌日真由美についてきてもらって家へ帰ることをやっと決心することができた。さっき『わかった』と返事したものの、本当は家に帰るのは怖かったのだ。


 だけど、たとえまたあの怯えた瞳が僕を拒絶したとしても、真由美がいてくれる。───僕は一人じゃないんだ。


 ようやっと幸也の胸の内に、小さな勇気が生まれた。

 いつもは眠りの訪れが遅い幸也も、今日は幸せな気持ちで、するりと夢の中へと滑り落ちていった。



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