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扉    作者: 楠 秋生
解氷
21/55

解氷 2

 暗い夜の中をゆっくりと歩きながら、幸也は肩に置かれた真由美の手の温もりに心底ほっとしていた。暗闇の中で孤独に震えていた人が小さな蝋燭の灯りに安心するかのように。

 真由美は時々その手をぽんっぽんっと子供をあやすように動かした。その掌はまるで「一人じゃないよ。幸也は一人じゃないよ」と言っているようで、幸也はまた涙が出そうになった。


 どうして自分が一人だなどと思ったのだろう。この手はいつだって僕に差し出されていたのに。


 ふと気がつくと、いつの間にか仔猫たちは鳴きやんでまたすやすやと寝入っている。


 仔猫たちも真由美が来たから安心したのかな。


 頑なに他人を拒んでいた幸也の凍りついてしまっていた心は、本人も気づかぬうちに少しずつ溶けはじめてきていた。子供らしい素直な感情が戻ってきているのが、わずかな表情の変化の中に、箱の中の仔猫を見る瞳の色に垣間見られる。

 もくもくと歩きながらも心配そうに横目で幸也の様子を見守っていた真由美は、幸也のその変化にすぐに気がついた。二人は心にぽうっと暖かいがともったような心地で家についた。


 八重子は二人を見てほんの少し驚いたようだが、すぐにあたたかく幸也を迎え入れた。


「あらあら。こんなに冷えちゃって。幸ちゃん、先にお風呂に入って温まってらっしゃい」


 何も訊かない八重子の心遣いが幸也にはありがたかった。

 勧められるまま風呂に入り身体の芯までぽかぽかに温まると、心が生き返ったような気がした。

 だぶだぶの真由美のパジャマを着て居間に戻ると、八重子と真由美が仔猫たちに寝床を整え体をきれいに拭いてやっているところだった。側にはミルクを入れた皿があり、仔猫たちはもうお腹いっぱい飲ませてもらったようで、満足気な表情で気持ちよさそうに目を細めている。仔猫たちの寝床は薄汚れた段ボールから可愛らしい籐の籠に変わっていて、中にはタオルが敷きつめてある。


「幸ちゃん、こっちへいらっしゃい」


 真由美が最後の仔猫を籠に入れ幸也と入れ代わりに風呂へ行くと、八重子は幸也を呼び寄せ、

「真由美のじゃ、ぶかぶかだね」

 と笑いながら袖と裾をまくり上げ、自分の前に座らせた。そして彼の持っていたバスタオルを受け取り、まだ濡れている髪を拭いてやりながら言った。


「今夜は泊まっていきなさいね。お母さんにはもう連絡したから。部屋はあの頃のまま置いてあるから、前と同じように使っていいのよ」

「・・あり・・が・・・」


 ふかふかの絨毯の上に座ってされるがままになっていた幸也は、消え入りそうな声で言った。それはほとんど聞き取れないくらいの大きさだったが、八重子はちゃんと気づいてくれて、バスタオルの上からぽんっと頭を軽くたたいた。

 また幸也の眼から涙が零れる。壊れた蛇口のようにぽろぽろと。一度緩んでしまった涙腺は簡単にもどらないけれど、後ろから幸也の髪を拭いている八重子には見つかっていない。


「幸ちゃん、真由美や私にはなんでも言っていいんだからね。聞いてほしいことがあったらいつでもいらっしゃい。部屋もいつだって使えるようにしてあるから、遠慮せずに来ていいのよ?おばあちゃんが亡くなって小野瀬の家に戻ったけど、ここももう一つの家だと思っていていいんだからね」


 また手を動かし始めて先を続ける八重子の言葉を、幸也は俯いたまま黙って聞いていた。


「私はおばあちゃんみたいにいつも側にいてあげるなんてできないけど、話があるなら聞いてあげるし、真由美だっているんだから」


 髪を拭いてもらっていると、ふわふわと不思議な気分になる。


「・・・時には自分から動きだすこともしなくちゃね。真由美が中学に入って幸ちゃんの家に行かなくなった時だって、幸ちゃんの方からやってくることもできたのよ?」


 この家にいたときはこうやっていつも拭いてもらっていたことを思い出した。優しい時間。


「生まれたばかりの赤ん坊だって、人に来てほしいときは自分から泣き声をあげて人を呼ぶでしょう。助けが欲しいときにはそう言いなさい。抱き締めてもらいたいときにはそう言いなさい。私も真由美もできることならなんだってしてあげるから」

「・・・・・」

「とりあえず、明日はちゃんと家に帰りなさいね。お母さんも心配してるから。・・・さあ、これで終わり!」


 それを合図にひょいと幸也を立たせ、さあ行った行ったとばかりにお尻を叩いた。


「子供はもう寝る時間だよ。部屋へ行って暖かくして寝なさい。あ、猫も連れて行ってあげなさいね。ここは夜、誰もいなくなるからね」


 幸也は言われた通り仔猫達の入った籠を抱えて二階へ上がった。籠の中で満足しきって重なり合って眠る仔猫たちの姿が自分の姿と重なって見え、幸也は今の幸せを噛みしめた。叩かれたお尻はちょっぴり痛かったが、そのじんとした軽い痛みに幸也は八重子の愛情を感じた。

 佳代はこんな風に幸也に触れてくれたりはしない。ましてや髪を拭いてもらうなんてことは、一度だってしてもらったことはない。


「心配なんてしてないよ・・・」


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