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扉    作者: 楠 秋生
解氷
20/55

解氷 1

    いつか天辺てっぺん


    いつだって行く手には

    大小様々の困難が待ち受けている

    それは

    誰のところにも等しくやってくる


    挫折と克服は紙一重だけれど

    挫折を繰り返すか

    一つ一つを ゆっくりでもいい 乗り越えてゆくか

    それに費やす努力の度合いが

    人の成長を大きく左右する


    困難は挫折するためにあるのではなくて

    克服するためにあるのだと気づき

    どんな時も歯を食いしばって

    たとえそれがどんなに大きな困難でも

    自分の足で自分を支え

    大地をしっかり踏みしめて

    乗り越えてゆきたい


    困難を避けて通ることもできるけれど

    何事もトライしてみなければ始まらない

    逃げてるばかりじゃ 前へは進めない

    待ち受けている困難は

    乗り越えて 乗り越えて

    階段を一段一段登りつめるように

    いつか天辺に辿りつけるように


    最高の自分に近づけるように

     今日も明日も───



 詩集を一通り読み終えた真由美は、全ての詩に共通して豊かな優しさがその底にあることを感じた。胸の奥が温かくなってきて、勇気が湧いてくる気がするのだ。

 本を閉じてもう一度表紙を眺めてみる。


 秋吉葵?さっきは気づかなかったけれど、聞き覚えがあるような気がする。

 首を傾げて記憶の糸を手繰ってみる。


「あ・・・」


 ふいに真由美はぱちんと手を叩いて立ち上がると、本棚の隅をごそごそ探しはじめた。


「あった!───やっぱりそうだったんだ」


 満足気に頷く真由美の手には、ずいぶん古びた数冊の写真集があった。 写真家の名前が秋吉葵になっている。『遼~はるかなる風景~』とあるその写真集は、真由美がまだ小さかった頃お気に入りだった本で、いつもおばあちゃんにせがんで見せてもらっていた。


「あおいちゃんのごほんみせて~」


 写真家の葵は”銀曜日のお茶会”というやよいが開くサロンに時折顔を出していた、綺麗なお姉さんだった。真由美も懐いていてよく抱っこしてもらった覚えがある。


 いつ頃からこの本のことを忘れてしまっていたんだろう。とても大好きだったはずなのに。


 真由美は懐かしさに惹かれてページを開いてみた。


 ああ、わかる気がする。この写真を撮るあの人があの文章を・・・。


 温かい春の陽だまりのような葵の笑顔を思い出す。


 雄大な自然の写真には、力強い生命力が呼吸いきづいている。今見てみると、この写真集にも隅に短い文章が書いてある。真由美は一ページ一ページ丹念に繰りはじめた。


 一通り目を通すと、自然と時計に目がいった。

 佳代と幸也は今頃話し合っているのだろうか。二人はお互いの気持ちを素直に口に出せているのだろうか。


 一緒に行くと言ってみたが、風邪をひいている真由美の身体を気遣って

か、

「今日は二人でゆっくり話し合ってみます」

 と鮮やかに微笑んだ佳代。


 そんな佳代の様子を見て、大丈夫だろうと彼女を送り出したものの、いったん気になりだすともうどうしようもない。


「ちょっとだけ。・・・ちょっとだけ、ね。この本を幸也に渡して、様子を見たらすぐ帰ってくるから」


 真由美は階下に降りると半分自分自身に言い訳しながら、八重子の顔をちらっと見てみた。八重子は苦笑しながらも立ち上がって、黙ってコートを着せかけてくれた。


 家を出ると風は冷たく顔を打ち、慌ててコートの襟を掻き合わせる。もともと体力のある真由美は一日寝ていただけですっかり元気にはなっていたが、あまりの寒さにすぐそことはいえコートをかけてくれた八重子の気遣いに感謝した。

 角を曲がって幸也の家のある通りに出ると、暗闇にぽうっと浮かぶ門燈の薄明りの中に立ちつくす幸也の姿が目に入った。真由美は急いで駆け寄ったが、幸也はまるで気がつかない。


「ゆき・・・や?」


 容易に声をかけえないただならぬ気色で何やら箱を抱えて項垂れている幸也に、真由美は躊躇いがちに声をかけた。幸也はびくっと身体をうちふるわせて顔をあげた。


「真由美・・・」


 掠れた声で言い一瞬大きく見開いた幸也の眼から、唐突に大粒の涙がぽろぽろと零れだした。真由美は思いがけない幸也の涙に動揺し、おろおろと幸也の名前を繰り返した。


「幸也?!どうしたの。何かあったの?・・・幸也?」


 みるみる顔を歪めてゆく幸也の泣き顔は、やよいが生きていた頃と同じ子供らしい泣き顔だった。違いといえば、今の幸也は声もあげずにただ涙だけを流していることだ。嗚咽を堪えるように必死で歯を喰いしばっている。

 真由美は腰を屈めて幸也と同じ目の高さになり、はじめて箱の中の猫に気づいた。門燈の白い灯りが箱の中に斜めに差し込んで、二三匹の仔猫の頭がぼんやりと見えている。隅の方は暗くてよく見えないが、全部で五六匹はいるようだ。


「とにかく、家へ入ろう。・・・猫にもミルクか何かあげないと」


 促す真由美に幸也は応じようとしない。肩を抱くようにして玄関へ進もうとすると、幸也は身をよじってあらがった。


「おばさんには一緒に言ってあげるよ」


 幸也が家に入りたがらない理由わけが仔猫にあるのだと早合点した真由美は、幸也の顔を下から覗きこんで言い、背に回していた手に力を入れた。が、幸也は足を踏ん張っていやいやと首を振る。その身体はずいぶん冷えているようで、唇が微かに震えているのがわかる。

 真由美は途方に暮れてしまい、とにかく佳代を呼ぼうと一人で玄関へ進んだ。

 すると、それまで両手で箱を抱えていた幸也は、片手をにゅうっと伸ばして真由美のコートの端を掴んで再びいやいやと首を振る。何か他にわけでもあるのか、佳代に知らせてほしくないらしい。


「・・・うちに、来る?」


 真由美は迷いながらもそう口にした。


 幸也は泣き腫らした赤い目で真由美の瞳を凝視し、やがてこくんと首を縦に振った。


 幸也の肩を抱いて角を曲がるときに真由美が振り返ると、幸也の家には暖かな灯りがともっていた。佳代が今、何を思って幸也の帰りを待っているのだろうと思うと、幸也を連れて行こうとしている自分がひどく悪いことをしているような気になってしまった。


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