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扉    作者: 楠 秋生
蠕動
11/55

蠕動 3

「遅くなってごめんね」


 どうやら走ってきたらしい真由美は、まだ荒い息を整えながら言った。うっすらと汗ばんだ肌に髪がへばりつくのを片手で無造作に掻きあげる。さらさら流れる髪がきれいだと幸也は思った。


「聞いて!今日はね、いいことがあったの!」


 頬を紅潮させて嬉しそうに話す。


「今日、練習試合だったんだけどね、試合終了後に『今後の活躍次第で次の大会からレギュラーにするかもしれないぞ』って言われたの!」


 零れる笑顔にどきりとする。


「・・・でもね、もしレギュラーが確定したら今までみたいに毎日は来れなくなるかもしれないの。帰りがもっと遅くなるし」


 言いながら曇ってくる表情。


「あ、勿論出来る限りは来るつもりだけどね?もうちょっと遅くなっても大丈夫だよね?」


 慌ててつけくわえるのを聞いて、幸也はここ数日来胸の中で膨らみ続けている感情が、今また大きくなろうとしているのに気がついた。


 一人になりたくない。僕を一人にしないで。


 けれど幸也の口からは全く別の言葉が紡ぎ出される。


「べつに来なくてもいいよ」


 一人にしないでほしいとは今さら恥ずかしくて言えないからなのか、子供のように淋しがっている自分の感情を持て余してなのか、それを認めたくないのか。それとも心底嬉しそうにバスケットのことを話す真由美を束縛したくないためか、逆にそのバスケットに軽い嫉妬を覚えてなのか。

 幸也は自分でもわからないままぶっきらぼうに言った。


「来てくれなんて頼んでないだろ」

「来るよ。時間つくって、ちゃんと来る」


 はっきりとした口調とは裏腹に、真由美がまた悲しげな瞳をしているのを見て幸也は胸が痛んだ。


 こんな顔をさせたいわけじゃないのに・・・。


「勝手にすれば?」


 幸也自身、自分がなぜそんな態度をとってしまうのかよくわからなかった。照れから本心を話せないのか、あるいは、何を言っても真由美はきっと側にいてくれるだろうという根拠のない信頼からか。


 今はまだ自分の本当の気持ちに気づいたばかりで心の整理ができておらず、どう対処していいのかわからないままにそっけない態度をとってしまっているのだ。


「うん、勝手にするよ。今度はもう、幸也を手放したくないから」

「・・・・・・」

「だけど、幸也はもっと外に出なくちゃ駄目だよ。今までみたいに殻に閉じ籠りっきりじゃなく、いろんなところに行っていろんな物を見ていろんな人に会って」


 真由美はあかりに自分が幸也を閉じ込めていたんだと言われてから、何度となく言っている言葉を繰り返したが、幸也はそのことには返事をしない。


「あ、そうだ!」


 ふいにぱちんと指を鳴らして目を輝かせた。


「今度の練習試合、見に来ない?」


 その言葉にはじかれたように幸也が叫んだ。


「自分勝手だよな、真由美は!!」


 驚いて真由美が口を噤むと、

「自分が来れなくなるから、僕を引っ張り出そうとするんだろ。自分の都合に僕を合わさせようとしてるんだ」

「そんなことないよ。あたしは・・・」

「あるよ!要は自己満足ってことだろ」

「何それ」

「そうじゃないか。真由美は自分が僕にこれだけのことをしてやったと思えたらそれで満足するんだろ。僕がどう考えるかなんてお構いなしなんだ。いつだって誰にだって親切なふりをしてるけど、親切を無理に相手に押しつけても自分さえ満足できればそれで・・・」


 真由美が今度こそ本当に泣きだしそうな気がして幸也は言葉を切った。

 長い沈黙の後、真由美がやっと口を開いた。


「・・・そんな風に思ってたの?」


 その間幸也は、何百回となく否定と謝罪の言葉を頭の中で繰り返していた。


「でも、あたしは来るからね。幸也を失いたくないもん」


 幸也はここに来る前に真由美が出会った出来事を知らない。

 真由美が幸也の言葉にどれほど傷ついて、それでもなお力を振り絞ってその言葉を口にしてくれたのかも。知っていたならば、この言葉を聞くまでの不安はもっと大きかっただろう。

 それでもその言葉に幸也がどれほどほっとしたか。


 真由美が帰った後も、自分の今日の行動を反省しては心の中で謝罪を繰り返し、自分を失いたくないと言ってくれた真由美に深く感謝した。


 一体どうしてこんな風になってしまったんだろう。


 幸也はベッドに転がって考えた。

 昔は真由美にはなんでも話せたのに。少しずつ、何かが変わってきてしまっている。これからはどう変わっていくんだろう。


 時の歯車は、少しずつ少しずつ、でも確実にまわっていて、人をその場にとどまらせない。

 先の見えない未来に不安を抱きつつ、真由美がいてくれることを頼もしく思い、安心して真由美の温かさに包まれて幸也は眠りへと落ちていった。


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