蠕動 2
「何あれ。感じ悪いったらないよねぇ!」
よく晴れた日曜の午後、涼やかな秋風が頬を撫で空は高く澄み渡っているというのに、あかりは一人憤慨して文句を並べたてている。
年の離れた兄弟がいるせいか言動が老成しているあかりだけれど、理不尽なこと、自分が納得いかないことには熱くなるのだ。
「なぁにが『退いてやったのに』よ!あてつけがましい!あんなの親切じゃないよ」
真由美は苦笑しつつあかりの怒号に相槌を打つ。
練習試合後に買い物にでた二人は、解散前に二人そろってレギュラー入りを仄めかされたためにウキウキした心持ちでいたのだが、その帰りの電車で不愉快な目にあったのだ。
二人は足腰を鍛えるため、電車に乗ってもいつも座らないことにしているが、二人の前の席が空いたとき、今日に限ってあかりが真由美を無理やり座らせた。真由美自身気づいていないが、あかりは彼女がかなり無理をして疲れていることを知っていたからだ。
「今日は座っときな。マミ、自分で思ってるよりも、疲れてるよ」
強引に座らされる。その真由美の前にあかりが立ち、二人は向かい合って今日の試合の流れや選手の動き、今後の対策を話し合っていた。降りる駅が近づくにつれて乗客が減ってくる。
と、真由美のすぐ隣に座っていた男が立ち上がりながら手で自分の座っていた席をあかりに勧め、少し離れたところに空いた席へ移動していった。あかりは軽く会釈して感謝の意を示したが座りはせず、二人はそのまま会話を続けていた。
すると電車を降りたときに同じ駅で降りたその男が、興奮して怒鳴りつけてきたのだ。
「人がわざわざ席を移ってやったのに、なぜ座らないんだ!」
「・・・え、あの」
二人が戸惑っていると男はさらに息巻いて続けた。
「二人で話しているから近くに座れた方がいいだろうと思って場所を変わってやったのに、人の親切をなんだと思ってるんだ?親切を受け入れるだけの心も持ってないのか?学校で何を習ってるんだ!」
あまりにも思いがけないことで、二人は一体何を言われているのかすぐには理解できなかった。
「あの・・・」
状況を把握したあかりが口を開こうとしたが、男は聞く耳持たずという感じで自分の言いたいことだけをずらずら並べたて、まだ怒りさめやらずといった調子でぶつぶつ文句を言いながら去っていった。
後に残された二人は呆然とするばかり。
しばらくしてあかりがやっと怒りが頭に到達したようで、不平を言い始めたのだ。歩きながらいらいらした口調で言い募る。
「まったく何を言ってるんだか。ああいうのを親切の押し売りっていうんだよ」
それまで相槌を打ちながら、比較的落ち着いて宥める側にまわっていた真由美は、この一言で硬直してしまう。
真由美が幸也にしていることもまた、そうなのではないかという思いがむくむくと頭を擡げてくる。
「マミ!」
あかりは一瞬にして真由美の表情の微妙な変化を見てとると、名前を呼ぶのと同時にぺしっと真由美の後頭部をはたいた。
「ま~た、莫迦なことを考えてるんでしょう」
自分には全部お見通しなんだぞというように真由美の眸を覗きこむ。
「でも、幸也がどう思っているかなんて、わからないでしょう?」
「そりゃそうだけど・・・」
真由美の性情を知りつくしているあかりには、そう思わずにいられない彼女が愛おしくもあり、また同時に苛立たしくもあった。あかりはどう言ってやったものかと思案してしばらく黙って歩いていたが、公園のベンチに落ち着くとゆっくりと口を開いた。
「マミは、もっと自分に自信を持たなくっちゃ駄目だよ。自分にというより自分のしていることに、かな」
あかりは神妙な顔をして聞いている真由美の眼を見て、更に続けた。
「さっき、あのおじさんのしたことを親切の押し売りだって言ったけど、あの人がしてくれたことはあくまでも『親切』なのよ?あたしたちが応えなかったからあんなに怒ったの」
その時の憤りを思い出したのか、ほんの一瞬眉根を寄せる。
「だけど、マミは違うでしょう?見返りを求めているわけじゃないものね。・・・そりゃ、見返りがあったほうが嬉しいに決まってるけどさ」
ふいっと風が吹き抜け、落ち葉がかさかさと音をたてる。足元に転がってきた一枚の大きな枯れ葉を拾ってくるくるとまわしながらあかりは続けた。
「それに、さ。もともと彼の場合とは次元が違うのよ。なんていうのかな・・・そう、例えば学校の先生がルールを守れない子を叱ったりするでしょう?きちんと挨拶ができてなかったりしても叱るよね?でもあれって、子供のためを思ってのことでしょう?それをもマミは親切の押し売りだって思う?・・・なんかちょっと例えが変かもしれないけどさ」
組んだ膝の上に頬杖をついて問いかける。
「全然ちがうでしょう?そう思わない?」
「・・・・・・・」
真由美はあかりがいつもいつも適切な言葉で自分を救ってくれたり、背中を後押ししてくれたりすることに感謝したが、なんと答えていいのかわからなかった。
それでもあかりは真由美の眼に深い感謝の色を認めると、無言の彼女が少なくとも自分の行為が親切の押し売りなのかもしれないと悩むのをやめたのだとわかってほっとした。と同時に、真由美が自分の怒りを冷やしてくれたことを思って感謝した。
お互いに相手の気持ちを読み取った二人は、どちらからということもなく顔を見合わせて笑い出した。
ベンチの影の下草の中では、コオロギたちも二人の笑い声に応えるかのように鳴きだし、夕闇が次第に濃く辺りを包みはじめた。




