〈8〉逃亡者たち②
よろしくお願いします。
「あれ?あれれ?」
しばらく歩いていると、川べりになにか見つけたらしいリックが、ハリスをおいて駆け出した。
「どうした?」
目的物にたどり着いたらしいリックは、しばらくその物体を観察してから……
「ハリス~~!! ひとがしんでる~~!!!」
「物騒なことを能天気な大声で叫ぶんじゃない!!!!」
おまえは5歳児か!! と叫びたくなる。
慌てて駆け寄ると、どうやら川に流されてきたらしい男が、岸に打ち上げられていた。
「……まだ死んでないじゃないか。息がある……おい、おまえ、大丈夫か!?!?」
ハリスが頬を叩いて男の意識を確認するが、どうやら水を大量に飲んでいるらしく、口からは絶えず水が流れ出てくる。
「よっしゃ!! これはまず、水を全部吐かせて、呼吸を確保しないと、だな」
リックがハリスを男から引き離すと、男を仰向けにしてお腹のあたりを押し始めた。
男の口からは、水が溢れ出てきて、その量が少しずつ少なくなる。
「……っと、これくらいで大丈夫かなって、およよ?なんだよ、こいつ、結構いいジャケット着てるじゃん……あれ?これアバクロじゃん、なに、こいつ、もしかして……」
リックがよく見ると、細身の長身の体に、美しく輝く銀色の髪、北欧のモデル、といえば確かにそう言えないことはないが、それにしてはアバクロのジャケットは似合わない。
容貌に似合わないその装いは、着ている、というのではなく、着せられている、という感じだ。
「……同じ世界のトモダチかって思ったけど……違う?」
「同じ世界の……って、“漂流者”ってことか?」
リックは頷いた。
「でも多分、この上着は持ち主が違うよ。彼が俺の世界の住人だとは思えない。どこかで俺と同じ世界から来た誰かから、この上着を譲り受けたんだろう」
「じゃあ、その上着の持ち主は?」
もちろんわからない。
「だからさ~~ハ・リ・スvv」
少し気持ちの悪い猫なで声でリックがハリスに擦り寄ってきた。
「やめろ」
「お願い~~、ちょうどいいから、こいつ格さんにするから~~そうしたら、水戸黄門フルコンボセット!!……ホントは、うっかり八兵衛も欲しいところだけど」
何やらわからないが、この変装には本来二人の従者が付き従うらしく、リックが自分一人しかいないことを不漫がっていることは知っていた。
「とはいえ、こんな得体の知れない男……」
おまけに瀕死の状態だ。
「だいじょぶだいじょぶ、俺たち一応、命の恩人になれるじゃん?こいつだって、よほどの悪人じゃない限り、恩人に失礼なことはしないっしょ?それに悪人なら、ハリスが退治してくれればいいことだし」
勝手なことを言う……と思いつつも、初めてリックと会った時の、不思議な気配をこの溺れた男から感じたことは否めなかった。
溺れていた男が目を覚ますまで、と結局出発を遅らせることになり、ハリスは鬱陶しい白い付け髭を一旦外した。木切れを集め、焚き火を準備する。リックは荷物をひっくり返して、男の着替えを用意しているが、もちろん言うまでもなく、白ひげの老人の従者の格好をするための着物だ。
しかしなあ、とハリスは首をひねった。
「お前の話を聞いていても、どうもしっくりこないんだが……その、ミトコーモンっていう英雄は、白いヒゲが特徴の、好々爺というじゃないか。そんな御仁がどうして英雄譚のヒーローなんだ?」
わからないでもない、とリックは肩をすくめた。
「たいていの英雄譚の場合は、主人公は青年期か壮年期の男性だ。それこそ、旅先で女性と関係を持つことも物語の楽しみとして考えられているから、生殖能力がある男性であることが多い」
「まあねぇ~、確かに暴れん坊将軍も遠山の金さんも、モテモテだけどストイックってのが定番だったしね。勧善懲悪のロードムービーでおじいちゃんが主人公ってのは、あんまりないね」
リックの知識は全世界の物語に精通しているわけではなく、どちらかというとオタク文化の申し子だ。
古典文学や歴史書に詳しいわけではないのだが……
「第一、元々国のナンバー2だった、という御仁が、引退してから自分たちの部下の悪行を成敗するために旅に出るなどと……現役の時にしっかり内政を正し、処罰を行うのが当然だろう」
「いやいや、元々おじいちゃん、諸国漫遊は老後の楽しみだから。悪人成敗は、そのおまけ」
おまけで倒されたのでは悪党もたまったものではないが。
「でもどの世界でもどの国でも、地方自治の腐敗なんてよくあることじゃん。将軍様だって国王様だって、隅々にまで目を配れないっしよ?」
「たとえそうだとしてもそうならぬようにきっちりと管理体制や監査機関を設けて、極力そんな腐敗が蔓延せぬように努力をするのが、上に立つものの役目だろう」
言ってから思わずしまった、と唇を噛む。何をバカ真面目に語っているのだ。それもこんなヤツを相手に……自分はもう、“為政者”側の人間として生きていくつもりはないのに。
「さっすがプリンスだぁねぇ~♪やっぱりおとなしく追っ手に捕まえられちゃえば?」
「だからプリンスじゃないっっ!!!」
焚き火には水を沸かすための簡易焚火台を架けている。もう少ししたら温かい飲み物を与えてやれるだろう。ただ、目を覚まさないことには振舞うことはできないのだが。
リックは引っ張り出してきた着物とは別に、濡れた男の体を拭くためのタオルを準備しているが、まずは濡れた服を脱がせる方が先だと思う。
ただ、川を流されてどこかをぶつけているかもしれない男の体をむやみやたらに動かしてしまうのも危険だ。仕方なく男の目覚めを待つしかない。
「じーんせっいっらっくあ~りゃく~もあっるっさ~~♪」
また歌を歌い始めてしまった。
「う……」
「あ、目ぇ覚ました!?」
リックは身じろぎした男に気づき、顔を覗き込む。男の顔を見ながら「あれ?」と首を傾げているところを見ると、思い違いだったようだ。
「お前の歌にうなされてるんじゃないのか?」
おかしな節回しの歌は、健康なハリスにすら耳障りだ。まださっきのクロネコの方がましだ。
「ひどい、でもほらホントに目、開いてるよ」
開いてるんじゃないか、じゃあさっきの反応はなんだったんだ。
「おっは~~!!! 元気~~!?!?」
リックの能天気な大声に、長髪の男は開けたばかりの目を眩しそうに細めた。
「あなた、たち……は、だれ?」
それはこっちのセリフだ。
「僕たちはね、君の“命の恩人”!!」
「イノ……チノ?」
片言でリックの言葉を繰り返す男は、あまり頭が賢くはなさそうだ。
「そう、俺がリックでこっちがハリス、本当はもっと長い名前があるんだけど、覚えにくいだろうから割愛!! 君がどんぶらこ~~どんぶらこ~~って川上から流れてきたところを、僕らが……」
「いや、それは嘘だろう。お前はこの川辺に打ち上げられてたんだよ。意識がなく水を飲んでいて危険な状態だったから、こいつが水を吐かせて、お前を助けたんだ」
リックに状況説明を任せてしまうと、話がどんどん膨らんでいってしまう。
ハリスは男の隣にしゃがむと、未だ起き上がれない状態の男の脈を取る。
「というわけで、正しく言うと俺はお前の命の恩人じゃない。ところでお前はなんで溺れてたんだ?」
「溺れ……川を?」
まだ脳が事態の把握に追いついていないようだ。
「まあ、焦らなくてもいい……見たところどこも怪我をしていないようだが、痛むところがあれば言え。骨折程度なら、治してやらないこともない」
「いいな~~!!! ハリスのそのチートな能力、なんで俺、なんのスキルも付加されなかったんだろう?異世界トリップじゃ、主人公に最強無敵になれるような素敵能力が与えられるのが王道なのにな~」
「ごちゃごちゃうるさい、わけのわからないことを言わずに、こいつをさっさと着替えさせろ、濡れたままの服だと体温が奪われる」
「え?俺が?男を脱がせるなんてやだよぅ」
「怪我人だ、仕方がないだろう。それにその着物に着替えさせられるのはお前だけだ」
リックは不満げに男の体を起こして、上着を脱がせた。
「そういやあんた、この上着、どこで誰からもらったんだ? そいつ、俺と同じ世界……ってもわかんねぇか、故郷が同じやつかもしれないんだ」
水を含んで重たくなったアバクロのジャケットを示して男に問いかけるが、男は首を傾げるばかりだ。
「……知らない……口の、臭い人……」
「はあ?」
「口の臭い人?」
よくわからない酷い表現に、リックとハリスは眉根を寄せた。
「……あの女の子も……同じ匂いがした、口から……」
「女の子?」
「川に……突き落とされた……」
男の言葉に二人は顔を見合わせた。
「女の子に川に突き落とされるって、お前、何しでかしたんだよ!?」
「口が臭いって……もしかして、本人にそれ言ったの!?」
リックの問いかけに、男はこくり、と小さく頷いた。
「…………あちゃ~~っっ!!!」
「信じられないな。淑女に対してそんな失礼なことを口にできるバカがいるとは……」
ハリスは男を見下ろして冷たい視線を送る。
「怒ってた……二人とも……」
「そりゃそうでしょうね」
男はリックの返事に不安そうに彼を見つめる。
「……悪いこと?」
でかい図体をして、どうも言動や雰囲気が子供っぽい。
どう見てもリックよりも年上なのだが、弟みたいな雰囲気の男に、リックは頭を掻いた。
「男は別に構わないが、女性に言う言葉じゃないよ、今度会うことがあったら、きちんと謝ろうね?」
リックが諭すようにそう言うと、男はこくこくと素直に頷いた。
「しかし不思議だな、女性がその言葉にショックを受けてそいつを川に突き落としたのはなんとなくわからないでもないが……そのジャケットをくれた男に対しても、口が臭いと言い放ったんだろう?……リック、お前の元いた世界じゃ、口が臭いっていうのはお礼を渡したくなるほどの褒め言葉なのか?」
まさか、である。リックはぶんぶんと首を横に振った。
「じゃあ、その男はどうしてそいつにジャケットをやったんだろうか?」
確かに。しかし男は、ハリスの疑問にプルプルと首を横に振る。
「……これ、着せてくれた後、臭いって言った……」
「お前サイテーだな」
とにかく、口の臭い女には興味はないが、アバクロのジャケットの本来の持ち主には興味がある。
「服を着替えて出発だ、川上から流されてきた、ということは、お前がやってきた場所は、俺たちの目的地のようだからな。その上着の持ち主も、そこにいるんだろう?」
ハリスの問いに、男は自信なさげだが小さく頷いた。
「ああ、その前に聞いておかないと、お前、名前は?」
リックに着替えさせられながら、男は目を瞬かせた。
(うわ、やっぱりコイツの目……時々銀色に光るんだ……)
リックは濡れた体を拭いてやりながら、見上げた男の目に息を飲んだ。
意識を取り戻した直後、開いた目から銀色の光が走ったのを見たが、その後改めて見直すと、たんなる灰色の目になっていた。光の加減か、とも思ったのだが……
(まるで自分の姿を……自分で調整しているみたいだ……)
このぼーっとした天然男が、途端に得体の知れない化物のように思えてきて、銀色の瞳に魅入られたリックは、両腕に鳥肌が立つのを感じた。
「名前……?」
瞬かせた瞳を伏せて、考え込む。
「もしかして、記憶喪失、だとか言うんじゃないだろうな?」
ハリスの問いに、男は無言だった。
記憶喪失かどうかも、わからない、ということだろうか?
「物覚えは悪いっていわれるけど……」
「なんだ、単なる馬鹿か」
身も蓋もない。
「でも名前も……覚えてる。“コーラット”……」
ハリスの嫌味が通じないところは、面の皮が厚いのか、純粋すぎるのか……
(多分、後者だろうな……)
口臭い発言を含めて、天然すぎる“コーラット”の性質が、なんとなく把握できてきた。
(ある意味、ハリスに似てるんだよね……本人に言ったら、絶対怒るだろうけど……)
たとえ短期間であるとしても、このまとまりのない三人での旅が、どんな意味をもたらすのか……
リックはアバクロのジャケットの水気を絞りながら、手のかかる子供が増えた母親のような気分になって、溜息をついた。
ハリスはリックに対して保護者のような感覚でいますし、リックはハリスに対してお母さんのような立ち位置だと思ってます。
どちらにせよまぁ、両想いっちゃ両想い。