〈7〉逃亡者たち①
よろしくお願いします。
「驚くほどに、酒ばかりだな……」
リドとシルヴィはその購入履歴と持ち込まれた購入品一式を確認して、溜息をついた。
「それもはじめは安い酒を購入していたのに。後半になると図に乗り始めたのかバカ高い酒を購入している……このハンターは、馬鹿なのか?……これだけの量の荷物となると、持ち歩くだけで一苦労だろうに」
領主の部下は、それらの購入品を持ってくるのに、更に5人ほどの部下を連れて来ていた。
聞いたところによると、彼らはたった二人で、馬車も馬もないらしく、徒歩で移動しているらしい。
では購入した酒を、一旦宿にでも預けているのだろうか、と確認させると、どうも領主が勧めた宿とは別のところを抑えていたらしく、調べさせたところ、その宿にも荷物を預けている様子がないらしい。
「持ち歩きながら……“猫”を探せるものなのかな?」
シルヴィの指摘も最もだ。
「高級酒は値段のわりに内容量が少ないから、数本あったとしても持ち歩ける範囲だろうが……最初にまとめて購入してるっぽいこのマタタビ酒ってのはどれだ?安いようだが、量は少ないのか?」
「いえ。これは安いわりには量の多い酒で……これです。そうですね、よくみると合計五本も購入しています。大人の男だって、この量を歩いて運ぶのは大変ですよ」
領主は並べられた瓶の中からシルヴィが一人で持てるかどうか怪しい大きさの瓶を選び出し、改めて瓶を見て首をひねっている。
「これを五本も?余程好きなのかな?」
「安いから、普段飲んでるものなのでしょう。聞くところによると独特の臭いを放つあまり上品ではない酒だそうです……私も飲んだことがないのですが」
リドは騎士としての仕事があるので、普段はたしなむ程度だ。反対にシルヴィは、晩餐会や夜会など、飲むこと自体が仕事であることも多いので、あまり普段は飲まない。
「ちょっと興味がある」
「いえいえ、国使様が口にするようなものではとてもとても……」
領主が慌てた。
「そう言われると余計に興味を引く」
「ねぇ、せっかくだし飲んでみない?」
どちらにしても、嫌いではないらしい。
封を切ったマタタビ酒は、シルヴィが思っていたよりも強烈な匂いだった。
「よくこんなものが飲めるわね!!」
余程好きでないと毎日などごめんだ。
シルヴィが飲むのを躊躇っていると、既に口にしていたリドが淡々と感想を述べる。
「まあ、好みは人それぞれですから……匂いは独特ですが、ちゃんと味わって飲んだら、意外とまろやかで舌触りがいいお酒じゃないか。それほどキツくもないし……ハマるのは分かる気がする」
顔色ひとつ変えずに酌を傾けるリドの様子に、シルヴィは悔しくなって負けじと杯を仰ぐ。
「姫、無理しないでください!!」
「大丈夫よ!!! 鼻をつまめば、それほどのこともないわ!!!」
ぐいっと仰いだマタタビ酒は、確かにきつい酒ではなかったが、その匂いにシルヴィの五感は、くらくらと拒否反応を示した。
飲んだ量は少しだったが、その匂いにやられたのか顔が火照ってきたシルヴィは、馬車の外に出た。
赤髪の騎士が護衛につこうとしたが、馬車からそれほど離れないから、と断った。
シルヴィの剣の腕は、リドのお墨付き……いや、お墨付きどころか、リドよりも強い。
おそらく赤髪の騎士は、先ほどのリドの様子から、シルヴィが過保護にただただ守るべき存在だ、と間違った認識をしているのかもしれない。
そこまでして守られるほど弱々しいシルヴィではないが、今考えるとあのリドの判断は的確だ。
閉ざされた理由がはっきりしない場所、たとえどれだけ腕に覚えのある剣士でも、徒党を組まれて取り囲まれたら逃げることもできないだろうし、万が一拘束されて火でも付けられたらただでは済まないだろう。それに、悪意のある暴漢ならまだしも、妙な病が蔓延していたとすると、どれだけ腕に覚えがあっても危険極まりない。
そして……一番問題なのは、もしそんな状況の中に飛び込み、捕らえられ、それでもシルヴィひとりがまったくの無傷で生還したとなると……彼女に対する【魔女姫】の悪評が更に高まるだけだ。
「しっかしなんであんなお酒が好きなのかな~~?」
ひとつ言えるとすると、あんなものが好きだなんて、“彼ら”ではない。
もしかして、偽名のハンターは“彼ら”なんじゃないか、と心のどこかで期待していた。
しかし“彼”の好みはもっと甘い果実酒だったし、その連れの男はどぎつい度数の酒を好んでいた。
彼らだったら……後半の購入商品はまさに好みだろうが、あのマタタビ酒だけは、絶対に違う。
(元気かな……いや、元気なんだろうけど、会いたいな……)
ふらふらと川からの風に涼んでいると、少し離れた川縁をこちらに向かって歩いてくる人物がいた。
薄汚れた身なりをしているが、なぜだか不穏な雰囲気はない。
殺意も悪意も感じさせないが、反対に生気も感じない。
少し汚れた髪は銀髪だろうか、長い手足はあまり筋肉がついていないせいか、儚げで女性のようである。近くにいた警護の兵士が追い払おうとしても、まるで言葉が通じていないかのようにふらふらと歩みを止めない。かといって、目的を持って歩いてあるようにはとても見えず、まるで夢遊病者の徘徊のようである。
次第にシルヴィの方に近づいてきたので、男の様子がさらに詳細に見えてきた。
「……!!」
シルヴィは男が身につけていた上着を見て、目を見開いた。
見覚えのあるものだ、というより、二つと見ないものだった。
素材や作りは上質であるのだが、デザイン的にあまり上流階級志向のものではない。しかししっかりと作られたその技法は、一般的というにはあまりにも技術が高いものである。
どこで購入したのか、と聞いたとき、気がついた時からずっと着ていた、と言われたことがある。
気がついた時ってなんなんだ、とその時は首をひねったが、後々彼が失った記憶と故郷を探すために旅をしている、と聞いて納得した。
見間違うはずがない。一度、自分の肩にもかけられたことのあるあの……
「あなた!!! その上着、どこで手に入れたの!?!?」
自分から男に駆け寄り、上着を掴む。
「………?」
言葉がわからないのか、男はシルヴィの大声にも足を止めずにフラフラと歩み続ける。
「ねえ、聞こえてないの!?!? ねぇってば!! この上着の男と……どこかで会ったんでしょう!?!?」
顔をぐいっと近づけて問い詰める。
背が高いから背伸びしないといけなかったが、近くで見ると意外にも整った顔立ちでびっくりした。
「……くさい」
と、男がシルヴィを見下ろして、やっと反応をした。
「……なんですって!?!?」
シルヴィは男の言葉に顔を引きつらせた。
今まで生きてきて、確かに他の淑女たちに比べると、侮辱的な言葉はたくさん浴びせられてきた。
【魔女姫】なんて可愛いものだ、男を狂わす悪鬼だの、世界を滅ぼす災厄だの……他にも思い出したくもない呼び名が数々ある。面と向かって言ってこないとしても、裏でも様々言われていることだろう。
しかし……こんなストレートな失礼な言葉は、今まで、ない。
「よりにもよって、この私がくさい、ですって~~!!!」
怒りに男の胸ぐらをつかみあげる。背が高い男だから、つかみおろす、というほうが正しいのだろうが。
「……だって……酒の、匂い……」
言われてシルヴィはうっ、と口ごもる。
身に覚えがある、というか、その酒を覚ますために、今散歩していたのだから。
「……そんなに……臭うかな……うわ、飲まなきゃよかった~~」
男から手を離し、両手で口の周りを覆うと、はあっと息を吐く。
鼻から吸い込んだ自分の呼気の匂いは、先ほどのんだマタタビ酒そのものだった。
「しょっく~~っっ!!」
歯を磨いて消えるのか、それとも何か臭い消しのハーブか何か……と考えていると、男はシルヴィが手を離したのをいいことに、再びフラフラ、と歩き始めた。
「あ、ちょ、ちょっと、待ちなさいよ!!! まだ話は終わってないんだから!!!」
上着の件を聞かなければ……と、再び男を追いかけたが、勢い余って男に体当りしてしまう。
筋肉が全くなさそうな細身の男は、シルヴィの体当たりにふらり、とよろめき倒れそうになったが、支えをなくしたシルヴィも、彼とともに倒れ込みそうになり……
「……!!!!!」
男は、振り返りざまにシルヴィを力いっぱい突き飛ばした。
「きゃああぁっぁぁ!!!!」
シルヴィがあげた声に、護衛だけでなく、馬車の中のリドも領主も何事か、と顔をのぞかせる。
突き飛ばされたシルヴィは、男が何をしたのか、瞬時には判断できなかった。
しかし、男の姿が視界から消え、数秒してから、やっと気がついた。
川べりに尻餅をついたシルヴィは、駆け寄ってきた護衛が手を差し伸べるよりも前に跳ね起きて、川岸に駆け寄った。
「危ないです!!」
既に、男の姿は見えなかった。
川べりで暴れたシルヴィが彼を……突き落としてしまったのだ。
そして彼は、シルヴィまで巻き込まないようにと、とっさに自分を陸の方へと突き飛ばして……シルヴィが巻き込まれて川へと落下しないように、助けてくれたのだ。
「ど、どうしよう……」
青ざめたシルヴィの眼下を流れる川は流れが速く、男の姿を浮かび上がらせることはなかった。
「くろねこのタンゴっ、タンゴっ、タンゴっ、僕の恋び~とはく・ろ・い・ね・こっ」
リックが上機嫌で歌っているのは、聞いたこともない異国の歌だった。
「くろねこのタンゴっ、タンゴっ、タンゴっ、猫の目のよぉ~にき・ま・ぐ・れ・よっ!! たんら、ら、らららん」
“猫”の目……どころか、“猫”自体を見たことのないハリスは、なぜ気まぐれなのかがわからない。
「歌はいいから、さっさと支度しろ」
ハリスは少しイライラとしながら、のんびり荷造りをしている相棒を急かす。
どちらかというと自分もいい加減で時間にルーズな方だが、自分を上回るいい加減さを振りまくこの男と組むようになってからは、実は自分はかなりまっとうなんじゃないか、と誤解してしまいそうになる。
「だってプリンス、“猫”はもう捕まったんでしょ?急いだって意~味な~いじゃ~ん!!」
「プリンスって呼ぶな!!」
ハリスはいらいらを増長させるリックの物言いに怒りをぶつける。
あああ、腹が立つ。この若い少年は、いつも俺を苛立たせる。
その呼び方も、妙な歌も、さっきみたいな妙な節回しのセリフも……
おかしい、初めて会った頃は、こんなんじゃなかった。
どちらかというと行き当たりばったりでその場しのぎのハリスの行動にリックが戸惑い、ハリスに振り回されることのほうが多かったのに……最近ではすっかり、こちらがオモチャ扱いされている気がする。
確かに逃亡に彼を巻き込んでしまったのは自分の責任だ、戸惑っていた彼が自由奔放に振舞うようになってきて、自分の自責の念も少しは楽になった気がするが……
「だって、ハリスはプリンスじゃ~ん!! 」
「だ~か~ら~!!! 何のために変装して“猫”の見物に行こうとしてるか、わかってんのか?」
「なんで猫なんかを珍しがるのか、わかんないんだもん」
リックに言わせてみれば、“猫”なんて彼の故郷では掃いて捨てるほどいたらしい。
「俺の家でも飼ってたしね。クソ小生意気なちびデブにゃんこ、俺には全然懐かないの」
「この国では“稀少生物”だ。それに……」
なぜ国王が“猫”に賞金をかけたのか? おそらく、その真意を知る者は数少ないだろう。
そしてその一端が……自分にも、関わってきている。
そう思うと、夢幻と思われていた“猫”が本当に捕まった、という話を耳に入れたとき、ぜひ一度でいいからこの目で確認したい、と思った。
ただし、現在逃亡中のこの身では、人目を引く大きな街に入ることすら危険だ。
いつも買い出しなどはリックに頼んで森の奥に隠れているのだが、今回に限っては自分が街の中に入る必要があった。
「だから……この変装なんだろう?」
黄色い着物に茶色のベスト、同じく茶色い頭巾と樹の杖を持たされ、足元は草鞋……おまけに顔には白い髭をつけさせられている。
「ちなみに俺は助さんのコスプレね~~」
リックは青い縦縞模様の着物を下半身分を捲り上げ、腰の紐ベルトにたくし上げて入れ込み、その下には水色のスパッツを履いている。頭には同じように水色の頭巾を被り、腰には2本、長さの違う剣を指している。
「わざわざ子供用の剣まで、なぜ必要なのか、まったくわからない」
「脇差ですよ、こっちの世界にはありませんからね。子供向けのサイズで代用です」
どうやら彼の世界の剣士は二刀流らしい。
おそらく大きい方を利き手で、小さい方を利き手ではないほうで扱うのだろう。
「その剣術、今度じっくり教えてくれ」
「無理無理無理無理!!! 格好だけで俺剣道も中学校の時に授業でかじった程度だもん!!」
「なんだ、残念」
確かに一緒に旅をしてきて、リックの剣の腕がそうでもないことは既に知っていた。
2本剣を持ったからといって、強くなるとは到底思い得ない。
(しかし興味深い、2本の剣を使いこなす技術か……)
「ま、それはともかく、この川を遡れば例の“猫”が捕獲されて届けられたという街につくらしいから、早速レッツゴー、黄門様!!!」
早く出発したいのにのろのろと準備に戸惑っていたのはお前じゃないか、とため息をつきながら、ハリスはその歩きなれない格好で川辺を歩き始めた。
やっと8人揃った……と思ったら、ちょっとだけでした。
一応次で、導入部分の第一章は終わります。