現代の風潮
「大変なことになっております。只今、人類はまさしく絶体絶命の淵に追い込まれているのです。そして、世界が救われるか否かがこの国のただ一人の青年の手に委ねられているのです。これはまったく信じられないことで…」
リモコンのボタンを押して彼はテレビの電源を切った。思った通りのニュースが流れていた。彼にとってはそれだけ知れば十分だったのである。暗い部屋のベッドの上で寝返りを打ち、彼はテレビに背を向けた。
桂國彦。二十八歳。彼女なし。現在無職。
無職といっても彼の胸の内にはちゃんと言い訳がこしらえてあった。それを聞く相手がいるかどうかはまた別の話であるが。まあまあの高校に入って、一浪してまあまあの大学に入り、まあまあの女性と恋に落ち、まあまあの会社に就職した。なるほどここまでは主観的にも客観的にも別段不満の無いまあまあの人生であったと言える、と彼は自分でも思うのであった。
が、転落は突然。入社して三年目、直属の上司が左遷され別の男が彼の上にやってきた。この男、控えめに言っても人から好かれるタイプの男ではなかった。國彦の入った会社は業績優秀、社員の福利厚生も行き届いたところ、ブラック企業ならぬホワイト企業であった。しかしながら新しく上司となったこの男、まるで一人で会社の悪い部分を背負い込もうと覚悟したかのような悪辣さ。言ってみればブラック人間だったのである。朝九時に出社し夕五時に退社するまで一日中この上司は國彦をいびり、罵り続けた。やれコピーが曲がっているだのやれ歩くのが遅いだのとぎゃあぎゃあ喚くものだから國彦はすっかり参ってしまったのである。ここで反抗するだけの気力、一発ボカンとやって会社を飛び出すような気力が彼にあればそれはそれでまた別の道が開けたのかもしれなかった。しかし、國彦は元来気の強いほうではなかったのでこればかりは仕方ない。見て見ぬふりを続ける同僚が見て見ぬふりをしていても気づかずにはいられないほどに彼はやつれ、食欲も失せ、常にぽかんと口を開いたままになった。そんな彼を上司がぐずだのろまだとまたいびる。同僚が気づいたふりをしたときにはまるっきり國彦はうつ状態であった。婚約までした女はいつの間にやら影も形も無くなっていた。
そして、同僚がようやく真に気づいたときには彼はすでに会社にいなかった。以来三年、田舎の実家でだらだらと毎日を過ごす身分に身をやつしていた。幸い、死んだ両親はそれなりの遺産を残して逝った。心配する人もなく、働く気も起きず、外に出るのは二週間に一回食料を買いだめしにいくときだけ。それ以外はベッドの上でぼんやりしているかテレビを観る。ネットサーフィンはたまにしかしない。しかし、進んで死ぬ気は起きなかった。そうする気力を起こすエネルギーも残っていなかったと言うべきか。そうして、このまま何も食わずに飢え死にするのも構わん、と思い始めていた頃、世界がひっくり返る出来事があったのである。
『謎の電波来る』
『宇宙との交信、ついに』
『専門家は慎重な意見』
『高度の知能、人類を上回る?』
『国連緊急招集、会議は紛糾』
国内外を問わずこのような見出しが新聞や雑誌、テレビにネットその他もろもろで飛び交った。すなわち、どうやら宇宙人が来たらしいということ。プエルトリコのアレシボ天文台と世界中の自称宇宙人研究家はついにその長年の労苦が報われたらしかった。國彦が会社をやめて丁度三年目の朝、何の前触れもなく世界最大のアンテナは見慣れぬ電波を受信したのだ。
すぐに国連総会が招集された。同時に世界中の高名な科学者がニューヨークに集められ、電波の中身を解読するよう急き立てられた。世界中がこれほど迅速に行動に移ったことは人類史において類を見ないほどであった。ただし、国連安保理は大国同士の対立で完全に機能不全に陥っていたが。発信側が人類に合わせた電波を送ったからか、解読側が粉骨砕身努力したからか、受信した電波は一週間もかからぬ内に解き明かされ、あらゆる言語に翻訳された。おおまかに言って、その内容とは以下のようなものであった。
「タイヨウケイ、ダイサンワクセイニクラスナカデ、モットモコウドナチノウヲモツミナサン。ワレワレハアナタガタヲ、ソノキュウクツナニクタイカラカイホウスルベキカイナカヲケッテイスルタメニヤッテキタ。トウホウノブキ、ヒジョウニキョウリョクナレバ、ミナサンノニクタイヲホロボスノニ、アナタガタノジカンデスウビョウモカカラズ。モシソチラガキボウスルノデアレバ、スグニデモケッコウスルショゾン。シカシナガラ、トウホウニハジュウブンナジカンアラズ。ヨッテ、ダイヒョウシャハ、アナタガタノジカンデトオカノアイダニヘントウスベシ。レンラクマツ」
まったくもって理不尽な内容であった。人類にとって到底受け入れることのできない申し出である。国際会議は喧々諤々、大いに紛糾した。その中には例えば以下のような議論もあった。
「断固このようなことは受け入れかねる! 必要ならば徹底抗戦の準備をすべきである! 今こそ国連軍が必要で…」
「我々を数秒で吹っ飛ばせる武器を持つ相手にどうやって戦うというんですか!」
「やってみなくちゃ分からんでしょう」
「そもそも返答の代表をどうやって決めるんです」
「それは世界最大の軍事力と経済力を持つ我が国にお任せいただきたいですね。それらはそのまま国際社会での発言力に繋がりますから」
「なにをバカなことを。あんたの国は軍事費が多いだけで失業者もたくさんだ。それより世界最大の人口を抱える我が国に。世界中七十億人で代表選挙をやれば一番人口の多い国の人物が代表になるのは明白ですからな」
「そんな空論には付き合ってられません!」
「国連事務総長ではどうです。まがりなりにも国際連合の長ですよ」
「ふん、ほとんど名誉職みたいなもんでしょう。だめですよ」
「なんですとっ、事務総長をバカにするということはとりもなおさず我が国を愚弄するのと同義ですぞ!」
「人と国を一緒に考えなさんな。そこのところもしっかり議論しないと」
「時間もないのに!」
「あのー… そもそも代表は人間でいいんでしょうか…? 実は我々よりも適任の生物がいるんじゃありませんか」
「何を仰いますか。ネズミやイルカが我々よりも知能が上だと本気で言っているわけじゃないでしょうね! ここまで来てそんなひっかけ問題みたいな話があってたまりますか! 」
「はあ、そうですか…」
ということで当初の迅速さでもって二日間会議を寝食を惜しんでやり通したにも関わらず、決まったことは代表者は人類である、ということであった。電波の解読に一週間、会議に二日。定められた返答期限まで気づいてみれば半日しか残されていなかった。そこで、期限延長を求める電波が地球側から発信された。すぐに回答があった。
「キゲンエンチョウハミトメラレヌ。ワレワレニモヨテイアリ。ダイヒョウシャガキマラヌ、トイウコトデアレバトウホウデダイヒョウシャヲ、ムサクイニシメイスル。ソノダイヒョウシャトワレワレノアイダニ、シネンヲツウジテヤリトリスルホットラインヲカイセツシタ。トウホウガエランダダイヒョウシャハ、ソチラガワノキジュンデ、ソンザイ、トウケイ○○○ド、セイケイ××ド。セイブツネンレイ、ニジュウハッサイ。シキベツバンゴウ、ソチラノゲンゴデ、カツラクニヒコ。カイトウキゲンハ、ノコリジュウニジカン。ヘントウナキバアイハ、コチラノモウシデジュダクトミナス。サイシュウカイトウマツ」
ということで、幸か不幸かとんでもない確率をすり抜けて國彦に大役のお鉢が回ってきたのである。あっという間に彼の名前は世界中に拡散された。自国の大統領の名前も知らぬ子どもがその日友達と話すことはと言えばカツラクニヒコのことであった。世界中の宗教家がその日唱えたのは自分たちの救世主の名ではなくカツラクニヒコであった。もしくは彼を主とした宗教まで勝手に現れた。
日本だけでなく世界中の人間が國彦に申し出拒否の決定を催促しようと彼の住所へ向かった。ところが彼らにとってはやりきれないことに國彦の田舎というのはまさしく田舎であった。交通の便の不自由さは他地域に誇っても誇り切れないほど。国内ならともかく、海外から國彦に時間内に会いに来ようというのは不可能だった。国内では緊急ということで首相以下閣僚が全員、とにかく行動を起こそうとしてヘリコプターに乗り込んだ。新聞社、テレビ局、もはや野次馬というには多すぎる人々が國彦の田舎の村に集結し、村は開闢以来のにぎわいを見せた。人類の終焉についてはみな考えないように努めていたが、テレビもラジオもネットも煽る煽る。世界各地で暴動にも似た運動が頻発し始めた。しかし、それを取り締まる者はだれもいない。あと数時間でそんなことは関係なくなるかもしれないのだ。
自分勝手だなあ… と彼は思った。いきなりやってきた宇宙人も、家の前だけでなく部屋の前でああしろこうしろと怒鳴り続ける奴らも。これも現代の風潮というやつなのだろうか。雨戸はしっかり閉めて、入り口は本棚でふさいであるから入って来られる余地はないし、一週間前に久しぶりに外出して食料はたっぷり調達してあったからあと数時間の籠城には何の問題もない。にしても、昔はもっとお互いを思いやる時代があったのではなかろうか。数時間前に見たテレビは不安を煽るだけではなく合間合間に世界中で意味もなく他人を傷つけあう人々のことを伝えていた。自分など、当事者でもこんなに落ち着いているではないか。なにを騒いでるのだろう。
しかし、こんな感情になる時点で抜け殻同然である。
でも、よくよく考えたらみんなが自分勝手なのは今に始まったことじゃないなあ。
小学校、昼休みの野球では一人余ったから得点係にされたっけ。そうそう、ミスしたら袋叩きにされて背中にたくさん砂詰められたこともあったっけか。
中学校、ああ、珍しくテストで満点取ったらカンニングじゃないかとクラスから総攻撃された。あのとき教師が何も言わずにじっとこちらを見つめていた眼も全く忘れいない。
高校、障害を持つ生徒の世話を押し付けられた。こっちは受験勉強で忙しかったっていうのに。学生鞄のキーホルダーが車にあたったというだけで学校にねじ込んできたおかしなバアさんもいた。あんな狭いところに駐車しておくほうが悪い。あのとき納得もしてないのに謝らさせられた、どうして忘れられるか。
大学、飲みたくねえっつってんのに飲ませやがったバカ野郎。急性アルコール中毒になってたらどうするつもりだったんだ。飲み会の幹事は全部俺。任せときながらだれが来るの来ないので騒ぎやがった。知りたかったら出欠連絡は期限までのしやがれってんだ。消しゴムのカバーを外してないから英語の試験を受けさせまいとしやがった教授もいた。こっちが単位落としたらどうなるかなんて考えちゃいねえ。美術講義のレポート、絵画についての考察が深められてないから単位落とした講師だっていた。人の感性全否定ってのはいけねえよ。
社会人、クソ上司。どこをどうこねくり回したらあんなに次から次へと罵倒の言葉が出てくるのか。てめえが一遍でも言われたことがあったのか。会議の資料にミスがあったのを俺に責任転嫁しやがって。そのくせ飲みに行くとまるで十年来の友人かのように肩を組もうとしてきた。風のうわさではあの野郎、あまりのやり方が目について地方へ飛ばされたらしいな。ざまあみやがれ。そういや、ドアの外で騒いでやがるやつの中にあいつがの声が聞こえたような気がする。あいつのツラが外にあるならますます出て行ったりなんてしねえ。会社のやつらもそうだ。自分がいじめられるのが嫌だから俺のことは知らんぷり。申し訳ばかりの言葉をかけてきたものの、クソ上司に抗議したやつはいなけりゃ、反抗したやつもいなかった。偽善者どもめ。そうそう、いつの間にか音信不通のあの女。十五万もする婚約指輪買わせといて、人が落ち目になったと見るや別れ話さえせずにいなくなっちまった。遊園地に行ったときだって待ち時間が長いだのなんだのと文句ばっかり。てめえが遅れてきたんじゃねえか。ふざけんじゃねえ。あっ、あの女の声もしたような…
國彦はもう一度寝返りをうった。久しぶりに思考の奔流が溢れだした。これほどものを考えたのはいつ以来だったろうか。またこうも考える。
でもなあ…… ここまで文句も不平も言わずに真面目にやってきたんだよなあ、俺。耐えてきたんだよなあ。だったら…
「あと十分ですよ! どうするんですか」
「いや、実はもう回答したのかもしれんぞ。結果発表が期限時刻にあるというだけで」
「そんな悠長な」
「彼も人だ。まともな人間なら大丈夫だろう」
「ところが少々調べさせたところ桂國彦という人間…」
「聞きたくないね」
「あっ、ちょっと!」
約束の期限が来た。
その次の日が来た。
一週間後が来た。
國彦にとって何も変わらない日々が来続けた。彼にとって変わったことといえば、ごくたまに行く食料品店で挨拶をする必要も、レジに並ぶ必要も、金を払う必要もなくなったというだけだった。
「長い人生だ。俺だって一回ぐらいは現代の風潮ってやつに流されても構わんだろう? 自分の好きなように生きるっていう風潮に」
もっとも、その言葉を聞きとれたのは吹き抜ける一陣の風だけであったけれども。そして、まさしく彼は今、現代の風潮そのものであり、それはすなわち虚無ということであった。
「なんで一人だけ残っちゃったんですかねえ。我々の変換光線に不具合はなかったはずですけど」
「いやあ分からん。だが思うところはあるさ」
「なんです」
「我々が手を加えるまでもない境地に一人だけ達していた、ということはありえんだろうか」
「なるほど。もしかしたらそうかもしれません。自分なりに肉体から解放されたというわけですね。でも、なんで他の人はダメだったんでしょうか。七十億なんて大したことありませんけど」
「それは本当に分からない。もともと変換光線に不適な体だったのか、変換光線に適応するレベルまで達していなかったのか。初めての事例だからなあ。研究が必要だ」
「そうっすね。きれいさっぱり消えちまうってこともあるっていうのは興味深いですものね」
「まったくだ」
「ところで、質問ばかりで申し訳ないですけど…」
「なんだい」
「僕たちはなんでこうやって宇宙を回ってるんでしたっけ。なんとなくやってますけど、大事な意味でもありましたっけ」
「うん? あー、そう言われればはるか昔にはあった気もするな。でも、忘れたよ、そんなこと。強いて言えば、宇宙の高等生物を肉体から解放する、これが現代の風潮だからじゃないかな。みんなやってることだ」
「そういえばそうですねー。じゃあまあ、次の地域に照準を合わせますね」
「頼む」
そうして、宇宙における大いなる知力の持ち主たち、肉体を超越した至高の精神生命体たちはその精神触覚を使って、広い広い宇宙の中で高等知能に向けた電波を発信し始めたのだった。