誰かの為に
“誰かの為に”の掌は所詮は自己満足で
したという事実で自己完結して
自己陶酔ではないと否定はしてみても
それが自己欺瞞と言われれば
口を噤むしかなくなって
そうなってしまえば
偽善と詰られても或いは嘲笑われても
それはそれで仕方のない事だろう
それでも誰か
どこかの誰かが一人でも
「素敵な事だね」と微笑んでくれたなら
それは確かに“誰かの為に”なるだろう
「君だから」と認めてくれたなら
開いた掌も確かに意味のあるものになるだろう
聞こえないけれど見えないけれど
その力があるのならば
そんな“誰かの為に”
握った掌を今また開こう