華がないからと婚約破棄されたので、仕事を全てお返しします
「ミレイユ。君との婚約を、解消したい」
王立学院の卒業式。
最後の記念晩餐を前にした広間で、私は第二王子エドガー殿下からそう告げられた。
周囲が静まり返る。
私は手にしていた紅茶のカップを置いた。
「理由を伺っても?」
「君には華がない」
「……華、ですか?」
「そうだ」
殿下は自信満々に頷いた。
「君はいつも地味な服を着ているし、社交界でも目立たない。話すことといえば、税のこと、倉庫のこと、使用人の勤務表のことばかりだ」
「必要なことかと思いまして」
「そういうところだよ」
殿下はため息をついた。
「私の婚約者なら、もっと華やかであるべきだ」
その隣には、学院でも有名な令嬢、リゼット様が立っていた。
彼女は美しく着飾り、殿下の腕にそっと手を添えている。
「リゼットは僕を理解してくれる。君とは違う」
「そうですか」
「それに、君がいなくても困らない」
その言葉だけは、少し胸に刺さった。
けれど。
「……では、婚約を解消いたしましょう」
私は頭を下げた。
「今までありがとうございました」
周囲から小さなどよめきが起きた。
もっと泣くと思われていたのだろう。
けれど私は、泣かなかった。
婚約者としての役目が終わった。
それなら、それでいい。
私は広間を出た。
◇◇◇
翌朝。
私はいつもより一時間遅く起きた。
侍女が驚いた顔をする。
「お嬢様、お加減でも?」
「いいえ」
「本日の予定は……」
「ありません」
「え?」
「全部、取り消しておいてください」
侍女は目を丸くした。
私は三年間、毎朝予定表を確認していた。
殿下の予定。
王宮への訪問。
学院の行事。
各領地から届く報告書。
王都の備蓄状況。
冬を前にした孤児院への支援。
王宮厨房への食材搬入。
それらを確認し、問題があれば担当者に連絡する。
それが婚約者として必要な仕事だと思っていた。
けれど。
もう必要ない。
「今日は何をなさいますか?」
侍女に尋ねられ、私は少し考えた。
「……庭で本を読みます」
それだけだった。
窓を開ける。
秋の風が入ってくる。
こんなに朝が静かだったことを、私は知らなかった。
◇◇◇
三日後。
王宮から手紙が届いた。
『至急、相談したい』
差出人は王太子殿下だった。
私は少し迷ったが、王宮へ向かった。
「ミレイユ、来てくれたか」
「はい」
王太子殿下は、珍しく疲れた顔をしていた。
「実は困ったことになっている」
「何がでしょう?」
「王宮の食料が足りない」
「……え?」
私は首を傾げた。
「正確には、食料そのものはある。だが、必要な場所に届いていない」
「担当者には?」
「確認したが、初めての作業で何もわからないそうだ」
王太子殿下が苦笑した。
「だから、倉庫の記録の整理と確認を頼みたい」
「……私が?」
「もともと君がやっていた仕事だからな。もちろん、この後は後任に引き継げるよう体制は整えておく」
私は王宮の倉庫記録を確認した。
一時間後。
「原因が分かりました」
「早いな」
「南倉庫から厨房へ送るはずだった小麦が、東倉庫へ回されています」
「なぜ?」
「東倉庫から南倉庫への移送命令が出ています。でも、その命令書の日付が古い」
私は書類を並べた。
「おそらく新しい担当者が古い命令書を混在させてしまったのでしょう」
「つまり?」
「小麦はあります。ただ、別の倉庫に移されているだけです」
王太子殿下は目を閉じた。
「……助かった」
「いえ」
「いや、本当に助かった」
その言葉に、私は少し戸惑った。
「君のことは昔から知っていたが......以前から、こういうことをしていたのか?」
「はい」
「毎日?」
「だいたい」
「誰かに頼まれて?」
「特には」
私は答えた。
「必要だったので」
王太子殿下は何とも言えない顔をした。
◇◇◇
それから王宮では、小さな問題が次々に発生した。
薬草の納品が遅れる。
王宮馬車の点検予定が重なる。
地方から来た役人の宿泊場所が確保されていない。
孤児院への冬服が一部不足する。
私は呼ばれるたびに書類を確認した。
けれど、全部を自分で解決することはしなかった。
「こちらは担当者に確認してください」
「この件は財務局です」
「それは私の仕事ではありません」
以前なら、全部自分で片付けていた。
今は違う。
私はもう婚約者ではない。
だから必要以上に手を出さない。
その代わり。
「この数字だけは確認してください」
「こちらの日付が間違っています」
「この発注は二重になっています」
必要なところだけ指摘する。
すると王太子殿下は、次第に各部署の担当者を直接呼ぶようになった。
問題は少しずつ減っていった。
ある日。
王太子殿下が言った。
「君は、仕事を奪うのではなく、仕事を返しているんだな」
「どういう意味でしょう?」
「今まで君が全部背負っていたせいで、誰も自分の仕事に責任を持たなくなっていた」
私は黙った。
「君が優秀だったから、周囲が甘えていたんだ」
「……そうかもしれません」
「それを君は、三年間も続けていたのか?」
「婚約者でしたから」
私はそれ以上、答えなかった。
◇◇◇
卒業から二か月。
王都に初雪が降った。
その日の朝、私は庭に積もった雪を眺めていた。
「綺麗ですね」
「お嬢様」
侍女が後ろから声をかける。
「王宮から使者が来ています」
「何の用でしょう?」
「第二王子殿下からです」
私は少しだけ眉を上げた。
「身支度を」
「既に整えております」
「ありがとう。……では行ってきます」
「お気をつけて」
ここ数日何回も通っていた王宮へ向かう。
そして今日は、普段と違い、応接室へ向かう。
着くと、そこには既にエドガー殿下がいた。
以前よりずっと疲れて見えた。
「久しぶりだな、ミレイユ」
「ご無沙汰しております」
「……君に謝りたい」
「何についてでしょう?」
「僕は、君の価値を何も分かっていなかった」
私は黙っていた。
「君がいなくなってから、何もかもが上手くいかなくなった」
「それは私には……」
「分かっている」
殿下は苦笑した。
「君がいなくなったせいにするつもりはない」
少し意外だった。
「僕自身が、何も見ていなかっただけだ」
殿下は椅子から立ち上がった。
ゆっくりと頭を下げながら殿下は言葉を紡ぐ。
「婚約を、もう一度結び直してほしい」
「……」
「今度こそ君を大切にする」
私は静かに殿下を見た。
昔なら。
この言葉を聞けば嬉しかったのかもしれない。
必要とされたかった。
認めてもらいたかった。
そう思っていた。
けれど今は。
「お断りします」
殿下の顔が固まった。
「……なぜだ?」
「私には、もう必要ないからです」
「僕が?」
「婚約が、です」
私は微笑んだ。
「婚約者でなければ何もできないと思っていました。でも違いました」
「……」
「私は、私の仕事をすればいい」
窓の外を見る。
雪が静かに降っている。
「誰かの婚約者だから価値があるのではありません」
殿下は俯いた。
「そうか」
「はい」
「君は……変わったな」
「そうでしょうか」
「強くなった」
私は首を振った。
「たぶん、逆です」
「逆?」
「以前は、必要とされるために頑張っていました」
私は少し笑った。
「今は、必要とされなくても自分の好きなことをしています」
◇◇◇
その日の夜。
私は机に向かい、一冊の新しい手帳を開いた。
以前の手帳には、誰かの予定ばかり書かれていた。
殿下の予定。
王宮の予定。
仕事の予定。
問題が起こらないための予定。
けれど、この手帳は違う。
最初のページに、私はこう書いた。
『私の予定』
次のページ。
『明日、雪が積もっていたら庭を歩く』
その次。
『読みたかった本を読む』
さらに。
『街の新しい菓子店へ行く』
最後に、小さく書き足した。
『何もしない日を作る』
ペンを置く。
ふと、昨日の王太子殿下の言葉を思い出した。
――君は仕事を返している。
私は三年間、自分が誰かの役に立つことだけを考えていた。
だから、役に立たなくなったら、自分には何も残らないと思っていた。
でも。
そんなことはなかった。
私は私だった。
誰かの役に立たなくても。
褒められなくても。
必要とされなくても。
朝になれば、お腹が空く。
紅茶を飲めば美味しいと思う。
雪が降れば綺麗だと思う。
読みたい本があれば読みたいと思う。
それだけで、十分だった。
窓の外を見る。
雪はまだ降っている。
私は手帳を閉じた。
「明日は、少し寝坊しましょう」
誰にも予定を合わせる必要はない。
誰かの代わりになる必要もない。
そして何より。
もう、自分の価値を証明する必要もない。
雪明かりの中で、私は初めて、自分だけの明日を楽しみにしていた。




