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君を知らないまま、君を想っていた  作者: ペンタス


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2/6

失われた日々の、焼き直し



 戦争が、始まったと思った瞬間にはもう日常に変わっていた。

 怖がってないと前を張った心はガラスのように砕けた。準備も覚悟も間に合わなくて、体だけが先に前へ出て、頭はずっと遅れてついてきていた気がする。

 怖かったかと聞かれると、正直よくわからない。怖がる余裕がなかった、怖がったら壊れる気がした……というほうが近い。


 一日は確かに一日だったはずなのに、どれも同じ形をしている。

 朝と夜の区別はあっても、昨日と今日の境目は曖昧で、ただ続いていく。終わりの見えない作業みたいに、身体を動かして、命令を聞いて、時折静まり返る戦場で眠り銃声と爆発音で起こされる。考えることをやめるのが、いちばん楽だった。


 負傷したときの記憶は、ひどく現実感がない。音は遠く、景色はぼやけていて、自分の体なのに他人事みたいだったと感じた。

 痛みは確かにあったはずなのに、それを『痛い』と認識する前に、状況だけが先に進んでいた。生きているかどうかも、その場では重要じゃなかった。

 軍医からは、生きていることが奇跡……いや、運が悪かったと言われた。


「ここからは……お前次第だ」


 そう言って握らされたのは、手榴弾。

 軍医は明確に口に出さなかったが、それが自死を選べという意図だとは理解できた。

 もしこれから生き残っても、病気と闘い苦しみ、どうせ早々と死ぬ。

 それなら、この戦場で散り骨を埋めろと……

 

「………俺、会いたい人がいるんだ」

「そいつはもう、お前のことを忘れてるかもよ?」

「もし忘れてても、思い出させるよ」

「もう死んでるかも──」

「それはねぇよ。絶対に……!」

「そうか」


 軍医は俺の少し荒げた言葉に追求することなく、一言だけ残し別の患者の治療に向かった。

 もしも、俺が彼女にあって、また傷つけてしまうだけかもしれない。あんな別れ方をして、死にそうだから会いたいなんて自分勝手で図々しい考えだ……それでも、俺は会いたいんだ死ぬ前に──────






 終戦は、唐突だった。


 何かが劇的に変わったわけじゃない、いつから始まっていつ終わったのかも分からない。

 ただ上から「もうやらなくていい」と言われただけで、それまで積み重なっていた日々が一気に宙に浮いた。

 終わった瞬間、俺が何をしていたのかの自覚が芽生えた。人を殺したんだ。きっと軍からの命令で呼ばれただけの人を、俺と一緒でただの被害者を。


 終わってから気づいたら、何年も経っていたんだ。体感は一年ほどだと思っていたが、パン屋を畳んでからすでに3年は経っていた。

 街は新しくなって、人は前を向いていて、時間はきちんと流れているように見えた。でも自分の中だけ、時計が途中で止まったままだった。

 大きな音に体がビクンッと反応する理由を、ない右足が浮いてる感覚を、うまく言葉にできないまま、街を抜けて俺はある場所に向かった。

 





「あった……!」


 俺が、夢を描いて作り人生を捧げた『パン屋』がまだ形を残していた。

 何故かはわからない、街からの外れ通りとはいえ汚れや錆が目立つ以外何も変わらずそのままの姿を保っていたのだ。

 これこそ奇跡だと思う。



「なつかしいなぁ……」


 埃を被ったガラスケースを触ると、必然と涙が出てくる。

 

「いねぇよな、そりゃあ……」


 ここに来たら彼女が立っていて、俺を出迎えてくれる──なんて小説のようなベタな展開を、あり得ないと思い馳せながらも期待してた自分がいた……あぁ、バカバカしい。



「……これから、どうしよっかなぁ〜」


 泣きながらだんだん笑いが込み上げてきた。

 汚染物質のなかを血だらけ傷だらけで生き続けたんだ、どうせ何しても死ぬ。


「それなら、最期まで好きに生きるのも悪くないか」


 3年前来てくれた客はもう来ないかもしれない、彼女も────でも、やらなきゃ始まらないんだ!

 あの頃を思い出す、パン屋を始めようと色々調べていた時、行き詰まる俺に先生が『やった先がどうなってるのかはガラス次第だ。でも、どんなに辛くても、やらなきゃ始まらないだろ?』当時の俺は、その言葉に元気をもらって乗り越えられた。

 パン屋を再開しても、彼女は来てくれないかも、でも来てくれるかもしれないんだ……やらなきゃくるこないも始まらないっ!!



「…………埃は被ってるが、石窯はまだ使えるはず、道具と材料があればまだパンは焼ける…!」


 俺はそこで、改めて生き残った奇跡に感謝する。右足がなくとも、両手があればいくらでも技術はあるんだ。

 また、始めよう……俺のパン屋を───






──────────





 私の名は──セシル。


 そう名付けられてから、もう数千年が過ぎた。誰に名付けられたのかは覚えていない、ただ生みの親ではなかったと思う。



 永く時を生きていると、記憶は増えるものだと思われがちだけれど、実際は逆。

 残るのは、出来事ではなく、感触だけ。寒さとか、重さとか、何もないという感覚。名前のつかない空白が、年輪のように積み重なっていく。



 最初の頃は、確かに世界は色を持っていた。季節は巡り、街は形を変え、人は笑い、泣き、そして私の前から消えていく。私はそのすべてを見送った。別れを悲しいと思ったこともあったはずなのに、いつからか、その感情の行き先がわからなくなった。


 記憶というものは、不思議だ。

 近い出来事ほど曖昧で、遠い昔ほど、輪郭だけがはっきりしている。最初に見た空の色や、初めて覚えた言葉の響きは残っているのに、昨日誰と話したかはもう思い出せない。


 私は、何度も時代の区切りを越えてきた。王国が栄え、衰え、地図から消える瞬間を、何度も見た。英雄と呼ばれた者たちの名前は、石碑より先に風化した。横目に笑いながら見ていた内輪喧嘩を人々が歴史と呼んだ。

 彼らが何を願い、何を恐れていたのかを、今では私しか知らないことも多い。


 それを誇りに思った時期もあった。知っている、というだけで、世界とつながっている気がしたからだ。けれど知識は、時間とともに重りに変わった。共有できない記憶は、語れば語るほど孤独を強くするだけだった。



 人と関わることを、私は少しずつやめていった。理由を問われるほど深く近づかず、名前を覚えられる前に去る。そうすれば、見送る必要もなくなる。置いていかれる感覚を味わわずに済む。それは逃げだったけれど、私自身が生き延びるための選択でもあった。


 永く生きる身体は、傷つかないわけではない。ただ、癒えるだけだ。どんな深い傷も、どんな大きな喪失も、時間が上書きしてしまう。そのたびに、私は自分の中の何かが、少しずつ削れていくのを感じていた。


 数百年に一度、私は眠るように暮らした。世界から距離を取り、音の届かない場所に身を置く。目覚めると、世界は少し変わっている。その変化を確認することが、私にとっては暦のようなものだった。


 それでも、完全に何もなくなったわけではない。時折、理由もなく足を止めてしまう場所がある。昔、誰かと立ち話をした街角。名前も思い出せない誰かの声が、風に混じって残っている気がする場所。そういう場所だけは、避けることができなかった。


 私は少女の姿のまま、ずっと世界を歩いてきた。成長しない身体は、便利であり、不都合でもある。人々は私を守ろうとし、導こうとし、やがて違和感を覚える。その繰り返しに、私は慣れてしまった。


 

 それでも、ときどき思う。もし私が、あと少しだけ短く生きていたなら、何かを強く抱えたまま終われたのではないか、と。忘れられないほどの喜びや、痛みを、宝物みたいに胸に残したまま。


 今の私は、ただ昔を知っているだけの存在だ。語れることは多いのに、語りたいことは少ない。

 こうして言葉にするのは、完全な空白になるのが少し怖いからかもしれない。

 

 それでも、今こうして昔を語っているのは、変化があったからだ。最近になって、時間の流れが、ほんのわずかに遅く感じられる瞬間がある。

 ふと、森から出てある大きな街に着いたとき何かを感じた。

 とても美味しそうな小麦の匂い、誰も寄りつかないような場所にポツンとあるパン屋。


 理由はわからない、ただ私はそこで、人生の歯車が狂い始めたのだ。

 




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