スローライフを目指して①
前世の記憶を思い出してから、数日。
俺と母さんはいまだ、ネーア王国の地を踏んでいた。
本来なら一刻も早く、この地から離れるべきだったかもしれない。
だが、それはできなかった。
何故なら――。
「おい、聞いたか? ネーア王国の第一王子、ヴェルディ様が、あの天使ミカエル様の生まれ変わりなんだって」
「何でも、天使ザナフェル様の覚醒も、近くで感じ取ったらしい。『これはまさに、偶然ではなく必然』と、演説で告げておられたよ」
――強烈で、見事で、それでいて、忘れたい光景だった。
それほどまでに、衝撃だった。
それほどまでに、人々は魅入られていた。
それほどまでに――俺はこの場から逃げ出したい現状だった。
ミカエル兄様が、ネーア王国の第一王子。
早くも今世の人生、詰みました。
母さんとともに、これからも街々を転々として、のんびりスローライフを満喫したい。
今世では、愛溢れる人生を送りたい。
そう願っていたけれど、どうもその願いはかなわないらしい。
ミカエル兄様はきっと、獲物を見定める視線を向けて、俺を探し出そうとするだろう。
『ああ~。かわゆす! マジ、尊死する! ザナフェル、今世の姿もかわいい~!』
さらに好奇心に負けて、俺観察ノートを書き散らしていくに違いない。
……最悪だ。
せっかく生まれ変わったんだ。
不幸になんてなりたくない。
「ライル……」
顔を上げると、母さんが痛みをこらえるような表情を浮かべていた。
「お母さんが必ず、守ってあげるからね」
母さんは俺を抱きしめ、声を震わせる。
「あなたが、ザナフェル様の生まれ変わりだと知った時は動揺したけれど………。いつまでも、くよくよしても仕方ないわよね」
母さんは、これから何を言おうとしているのか。
俺は口をつぐんで、まっすぐに母さんを見た。
「ライル……。私、あなたの言葉を信じてみることに決めたの。前世が何であろうが、誰がなんと言おうが、あなたが私の息子であることは変わらないもの」
母さんが、俺を信じてくれている。
それだけで、こんなにも勇気が出てくる。
自分の前世が、天使ザナフェル。
この世界を支配してきた超常の存在。
その事実は悲しくもあるし、辛くもある。
でも、わめいてどうなるわけでもないから、こうなった以上、前を向いて生きるしかない。
そう結論づけて、俺たちは熱狂の渦に背を向けて歩き出した。




