表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

春の学校エッセイチャレンジ 

給食を残す私

作者: 恵京玖

 最近ミルメイクが百円ショップに売られているので、買おうか買わないか迷ってしまう。義務教育中の月一の楽しみだったからだ。

 このように私はそこまで給食が好きじゃなかった。いや、おいしかったけどね。八宝菜とかカレーとか。デザートも七夕の日だと天の川を模したゼリーとかも凝っていたし。


 だけど私はサラダが食べれないのだ!


 嫌いな理由はシャキシャキ感。これを言うと「松岡修造の熱い所が嫌いって言っているようなもんじゃん」と言われる。だがその良さが他人にとってはダメな事はあるんだ。

 さてサラダが嫌いなら、ドレッシングをかければ? と言われる。だがドレッシングの酸っぱさも私はダメなのだ。これかけるくらいなら、生でシャキシャキを死んだ顔をしながら食べる。食べなくてもいいと言われたら、喜んで食べない!

 そして酸っぱい物もダメなので、ゆかりご飯もダメだった! あとぶどうパンも見た目が駄目だから食べれなかった! あと辛い物もダメなのでキムチも無理!


 こんな感じなので小学校で給食を完食したのは十回以下である。保育園だと一回くらいだ。

 昭和のスパルタ教育だと給食を完食するまで席を立てないとか、残った給食は持って帰るとか、あったらしいが私の時代は無かった。本当にいい時代だった。


 中学時代はさすがに頑張って食べていたけど、残していた日の方が多かった。だって、ダメなんだもの……。

 先生は何も言わなかったが、なぜか友達はうるさかった。


「食べないと病気になるよ」


 と言われるが、どうしても食べたくないのだ。

 そんな友人も嫌いなものがある。グリンピースだ。

 結構、グリンピースが嫌いって言う人は多いが私は平気だった。生野菜のシャキシャキ感が無いから、普通に食べられたのだ。

 そしてグリンピースが嫌いな人は大体、器用にほじくって端に寄せている。ピラフとかに入っているグリンピースをスプーンで発掘作業しながら、丁寧に取っているのだ。友人もその一人だった。


 でもなんかピラフを丁寧にほじくってグリンピースを残すのを見ていると何だかなーって思ってしまう。私がパイナップルサラダを残す際、パイナップルは食べれるがほじくって食べずに堂々と全部残すからだと思う。


 当時、指摘しようかなって思うのだが【五十歩百歩】だと考えた。差はあれど大差のない事と言う意味である。そう思って優越感を覚えながら言わなかった。

 

 ……だが今考えると私は毎日野菜を残す百歩の方の人間である。指摘しても百歩の人間が言ったところで……と言う感じだろう。面の皮が厚くないと言えないな。

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ