第23話 僕は彼女のことを何もしらない
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7月31日、水曜日。
当たり前のことだけど、今日で7月が終わる。
これまでの人生で一番長く感じた1か月。
去年の夏休みなんて、思い返せばあっという間に終わった感覚なんだけど、今年の夏は1日が48時間、いや72時間に延長されたかのように長く感じる。
あの日以来、妹と連絡は取っていない。
向こうも沈黙したままで、たぶん怒っているのか、それとも不甲斐ない僕に愛想が尽きたのか―――。
終業式までの学校を休んでいた間、井上さんから何度も着信があったしメッセージが送られてきていた。だけど何を話したらいいのかわからないまま、いまだに返信できていなかった。
陰キャ仲間の宗助だけど、正直なところ慰めの言葉の1つや2つは期待していた。なのに今まで1度も連絡を寄こしてこないでいる。
僕が言えた義理じゃないけど、薄情な奴だ。なんて一時は思っていたものの、理由は大体は想像がついていた。
おそらくは彼女である満月さんの情報網によって、こっちの状況を把握しているんだと思う。だから連絡を寄こさないのは彼なりの気遣いというか、タイミングを計ってのことなんだろう。
で、離島合宿が始まってちょうど一週間が経過した今日、トラブルというかトラブルに発展しそうな出来事に遭遇した。
当事者の片方を知っていたことでこっちも当事者になりかけた訳で‥‥‥。
ここに来てから知り合ってまだ日の浅い赤の他人に振り回されてばかりのような気がする。
それは夕食時間帯の混雑する食堂でのこと。
周りにはこの一週間で打ち解けあった大小のグループが生まれていて、ボッチ組の僕は定番の唐揚げ定食を1人で食べていた。
はす向かいのテーブル席には僕にとっての悪目立ち―――勉強とスポーツが得意そうなお洒落陽キャの男子2人が座っていて、その2人の会話がいやおうなしに聞こえてきた。
「そろそろ欲求不満ってやつ?」
片耳にピアスをした茶髪の男子が言った。
「オレもオレも。あぁあああ―――誰でもいいからヤリてぇ~~~」
細身で軽薄そうな印象の男子が応える。
「ナンパでもすっか」
「お、いいね~~~って―――オレ、知ってるかも。遊んでくれそうな奴」
「本当か」
「まじ、まじ。Fクラスの金髪ヤンキーしらねぇ?」
「あのギャル? そうだな、たしかに尻軽そうだ」
「頼めばヤラしてくれるっしょ」
2人の男子が誰のことを話しているのかは、考えるまでもなかった。
でも実際に頭に浮かんだ人物の顔は違っていた。もっと身近で大切な存在。ここにはいない彼女も進学校ではギャルな見た目のせいで色々と噂されたりする。
本当の中身を知らないで見た目だけでこんな酷い言われよう‥‥‥友人になりきれてない間柄だけど、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
2人の男子の会話は聞くに堪えない内容で、早くこの場を立ち去りたくて最後1個の唐揚げを口の中に放り込み白米を掻き込んでから席を立った。
その時、勢いよく立ち上がったせいで、後ろに引いた椅子がテーブルの脚にぶつかりガタンと大きな音を立てた。
すると悪目立ちする男子の1人―――片耳にピアスをした茶髪の方と目が合った。
だから、すっ―――と視線を外した。だれだってそうする、だろ? 知り合ってからまだ日の浅いギャルのために戦う理由はどこにもない訳で。
何事もなかったかように椅子を戻し定食のトレイを持って体の向きを変えると、下品な会話が再開された。
「ゴム持ってるか?」
「必需品っしょ!」
ゴムという言葉を耳にした瞬間、胸の奥がズキンと疼く。
完全にトラウマとなっている。
「おっ!? 噂をすれば」
「ナイスタイミング~~~」
最悪のタイミング。思わず2人の男子の方に顔を向けた。
すると、金髪のギャル―――鏡原さんがタイミング悪くちょうど彼らの傍を通りすぎるところだった。
「なぁ~ちょっといいか?」
ナンパ慣れしているんだろう、片耳にピアスをした茶髪の方が椅子から立って躊躇なく鏡原さんの背中に声を掛けた。
混雑する食堂で誰に向けられたものかはわかりにくいはず。普段から不愛想な鏡原さんだ、声が届いていたとしてもわざわざ相手にすることはないだろう。
そう思っていたら、彼女はピタリと足を止め2人の男子がいる方へと振り返った。
「私のこと?」
首を傾げて確認する仕草を見せる鏡原さん。無表情に見えるけど、いつもの不愛想な雰囲気ではなかった。
僕に対する態度とは明らかに違う。
「そ、もしよかったらこの後どう?」
「この後?」
再び首を傾げた鏡原さんにものすごく違和感をもった。
「ちょうどさ、合宿一週間記念をやろうと思っててさ、一緒にどうよ?」
誘う理由が雑に感じた。そもそもナンパはノリってやつが大切で、つまりは理由なんて何でもいいのかも。
陽キャの思考は理解できないし、こんな雑な誘い方に鏡原さんが引っかかるとは到底思えない。
「どこで?」
言葉少なく訊き返す鏡原さんだったけど―――ん!? 断るんなら場所なんてどうでもいいだろう。
興味はなさそうなのに、彼女の口からは相手をその気にさせる言葉。
「俺らの部屋。内緒だけどアルコールもあるぜ」
―――おい!? 今確かにアルコールって聞こえたような‥‥‥絶対にダメなやつだ! 真夏の島、青い海、白い砂浜、都会を離れ大自然の中で解放感に浸る男女―――しかも男子2人と女子1人。嗚呼~~~これは危険度Maxな状況だ!!
「もう眠いし」
―――そうだ、鏡原さん。自分の部屋に戻ってこのまま寝よう。彼らはついさっきまで飢えたオオカミのような会話をしていたんだぞ!
心の中で鏡原さんの行動を促す。こういう時、男気のある主人公キャラなら間に割って入るんだろうけど、いかんせんこっちは生粋の陰キャモブ。
鏡原さんの言葉に細身の軽薄な印象の男子が前のめりになって必死の説得に乗りだした。
「いいじゃん、いいじゃん。な、少しだけだから。酒も甘~いカクテル系だからさ~~~ちょっと飲んだ方が気持ちよく寝れるって」
「俺らと一緒にパーティーしようぜ。ほかの女子も呼んでるからさ」
ほかの女子!? 絶対に嘘だ! こんなにわかりやすい嘘に引っかかるような女子なんていないだろう。
ましてや不愛想で他人を寄せ付けない雰囲気をまとっている鏡原さんなんだ。相手をからかっているだけで、こんなナンパに引っかかるはずはない。一緒に過ごした時間は少ないけれど、そのくらいのことはわかるつもりだ―――。
「どうしようかな‥‥‥」
鏡原さんはこっちの期待をよそに小さく首を傾げて迷う仕草を見せた。
そんな態度に、知り合ってまだ日が浅いということを実感させられた。
そうなんだ、僕は彼女のことを何もしらない。
地元も知らないし、下の名前すら聞いていなかった。
こんな自分が彼女に何を期待していたのか。
鏡原さんは彼らの部屋―――飢えたオオカミたちの巣穴へ連れられて行くかもしれない、そんな不安が頭をよぎった瞬間だった。彼女の視線が一瞬こっちに向けられ―――。
―――うん!? 目が合った・・・・・・気がする
鏡原さんとは宿泊施設を抜け出して一緒にアイスを買いに行ったり、規則違反を犯して海で泳いだりした、ただそれだけの間柄。
最初の印象からすれば少しは距離感が近くなったように思えていたんだけど、じつは日曜日以来まったく話をしていなかった。
と、いうか相変わらず授業をサボっているみたいで、点呼の時間以外にその姿を見掛けることがなかった。
でも、なんで鏡原さんがこっちを見たんだ。
最初からこっちの存在に気付いていたんなら、素通りするんじゃなくて声くらい掛けてくれてもよかったのに。
いや、いまはそんなことはどうでもいい。知り合ってまだ日の浅い赤の他人である彼女のことは何も知らないけれど、それでもほかの受講生たちに比べれば接点があることは事実なんだ。
「ほら、部屋行こうぜ」
片耳にピアスをした茶髪の方が鏡原さんの手を取った。
強引な態度に不安と怒りがこみ上げてくる。だけど相手は陽キャ2人組。陰キャ男子としては見守るほかに術はない!
不機嫌で不愛想、その性格の一端を知る僕からすれば彼女は絶対にこんや奴らの誘いには乗らない。
この期に及んでまだ、心のどこかで鏡原さんを信頼する気持ちがあった。あったんだけど―――。
「じゃあ、少しだけなら」
――――――な、なにを‥‥‥!?
一瞬、聞き間違えたのかと思った。飢えたオオカミの誘いに乗って一緒に歩き出した彼女の向かう先―――深い森の薄暗い入り口が見えた気がした。だから気が付くと自分でも驚くほど大きな声が出ていた。
「ちょ、ちょっと待ったぁあああ!」
食堂が一斉に静まり返った。
どうやら周りの受講生たちも場違いなナンパの成否を固唾をのんで見守っていたらしい。
中には心配していた人もいたのだろうけど、 どちらかと言えば迷惑そうな顔の方が多いような。
「―――はぁん!? 俺に言ってんのか? 何だよ、お前‥‥‥」
言いながら振り返ったのは片耳にピアスをした茶髪の男子。
目が合ったと思ったら、視線をそらして語尾がしぼんだ。
続いて細身で軽薄そうな印象の男子と目が合うと、彼も目をそらしてそわそわした態度を見せた。
何かがおかしい。そう感じたけど、もう後には引けない。
「あ、あの・・・・・・彼女に用があるんだけど」
用事は何もない。けど、とりあえず嘘でもなんでもいい。
担当の武波さんが探していたとか、鏡原さんを引き留める理由を頭の中で考える。
「あ、そう‥‥‥そうなん? じゃあ、仕方ないか」
「そうかぁ‥‥‥残念だわぁ~」
最悪、2人相手にボコボコに殴られることを覚悟していた。だけど今の状況と周りの雰囲気はなんなんだろうか‥‥‥!? 釈然としない―――。
目の前の陽キャ男子は明らかに怖気づいたような態度を見せているし、周りを見渡しても目をそむけられるし。
「俺、忘れてたわ。あれを」
「あっ、あれな、あれ。オレも忘れてたわ~」
誰でもいいから予備校の関係者を呼んでくれないだろうか、そんなことを考えていると陽キャ男子の2人は鏡原さんを置いたまま足早に立ち去ってしまった。
その場に残された彼女が振り向くと目が合った。一転してすこぶる機嫌が悪そうで‥‥‥。
僕は何もしていないのに、負の感情の矛先が何故だかこっちへ向けられているように感じるのは気のせいじゃない。
思案に暮れていると、鏡原さんは「ふん!」と鼻を鳴らしてそのまま食堂から出て行った。
―――なんなんだ。この報われない気持ちというか、徒労感は‥‥‥
外の景色に癒しを求めて食堂の窓を見れば、そこにはガラスに映った自分の姿があった。
Tシャツに短パンという軽装に包まれた筋トレの成果が現れはじめた体で、のぞく手足と顔は日焼け当初の火傷みたいな色から小麦色へと変わっていた。そして地元の床屋で切った短髪。その風貌はさながら『海の似合う男』だった。
―――ちょっとガラ悪くないかな・・・・・・
改めて自分の容姿を確認し、天井を仰ぎながら「はぁあ~」という大きな溜息を吐いた。
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