02話
「道だわ! 川辺に沿っていて良かった! ここだけ雑草が少ないし、ものすごくしっかりしてる。きっと大勢の人が通ってるんだわ!」
エリシアはそういうとその道をかけた。
三日三晩、幼い頃の知識だけで生き延びた彼女はすっかりシェイプアップしており、戦場を駆けて鍛えられた足は今や駿馬の如く力強い軽やかさを持っていた。
川辺で水浴をすませた彼女はすっかり美しさを取り戻しており、目鼻立ちのくっきりした不思議な青い瞳をもつ美人だった。
そんな彼女が道をたどっていると突然、脇の草むらから投石が彼女の頭めがけて飛んできた。
「うっ!?」
当然、戦闘訓練などうけていない彼女はこめかみに大きな石を打ち付けられ出血してしまう。
が、すぐに癒やしの奇跡が彼女の額を治してしまった。
(何? 何が起こったの?)
震えた脳で平衡感覚を失いながらも前を観ると、そこには大量の小鬼の群れが武器を持って走り寄ってくるところだった。
小鬼たちは汚らしいよだれをまき散らしながら興奮しており、剣をむやみやたらと地面に打ち付けながらエリシアを囲もうと横に広がった。
(……ゴブリンは女性を襲うと聞いたけど、こんなブタ聖女でもおかいまいなしなんて、節操がないわね)
エリシアは心の中でつぶやくと相手が投げた鋭い石を掴み、応戦するため低く腰を構えた。
もちろんエリシアに武術の心得なんてない。
足はぶるぶると震え、恐れのあまりもった石を今にも取り落としそうだ。
それでも彼女は、この三日間で思い出していた。
母親との絆を。
食べられる植物、おいしい木の実、川沿いに村々がつくられていること、山で迷ったらむやみに降りてはいけないこと。
死んだ母親の深い愛情と知識が、まだ自分を現世につなぎ止めてくれている。
それを痛いほど感じたこの三日間が、彼女からすっかり折れていた闘争心を取り戻させていた。
(たとえ慰み者にされても、惨めな最後が待っていても、一匹だけだって仕留めてやるわ! こんなブタ聖女と罵られてももうこの自由は手放さないって決めたんだから!)
力強い鼓舞によって己を奮い立たせた彼女はゴブリンがこちらに飛び跳ねるのと同時に石を振り上げた。
「やぁああああああっ! って、え!?」
彼女も覚悟を決めて飛び出そうとした。
そのとき上空から何かが彼女の前に着地し、そのまままばゆい光の線を放った。
まるで流れ星の尾の如き輝きが一瞬の残光を残すと数匹のゴブリンが真っ二つに切られていた。
「大丈夫ですか!? お嬢さん!」
「はえっ!?」
一人の男が立っていた。
オオカミのような漆黒の髪に、空のような水色の瞳。
よく通る深く響きのいい声。
まるで英雄伝に出てくる颯爽とした登場人物のような剣士の登場にすっかりエリシアの闘志は沈下した。
何が何やらといった様子で、きょとんとするエリシア。
だがゴブリン達は待ってはくれない。
次々と徒党を組んで粗末な武器を手に襲ってくる。
それを目の前の男は次々とる。
とてもではないが、たった一人とは思えないほどの戦力で周囲のゴブリンを蹴散らしていく。
「グギャギャッ!」
ゴブリンがやけくそのように放った矢が偶然男の首めがけて綺麗な弧を描いた。
「むっ!」
彼はとっさに前腕の鉄鋼で弓矢を防ぐも、はねた鏃が少し額をかすめた。
吹き出る血に片目を閉じながらも、男はすかさず腰のナイフを投擲し、最後のゴブリンの首元に突き刺さした。
ほんの一瞬の出来事だった。
数十匹はいようかというゴブリンの群れが、男の剣一本で壊滅してしまったのだ。
王国の近衛兵だってこんな芸当はできない。
男は斬られた額からこぼれ出る血を拭いつつもアリシアに近づいてきた。
「大丈夫ですかお嬢さん! ここいら一体は平和な街道とはいえ国境沿いですから、どうしても魔物退治が滞って時々……」
そこまで言って男は固まった。
エリシアの顔を初めてまともに見て、息が止まったかのように停止する。
「……あの? 大丈夫ですか?」
エリシアが心配そうに彼の額の傷を覗くと、男は先ほどまでの洗練さがウソのようにガチガチに固まりビシリと背を正した。
「は、は、はいっ! その、大丈夫です! その、貴女はお怪我ありませんか?」
まるで上司を前にした騎士のように顔を引き結んだその剣士の額にそっと手を伸ばすエリシア。
すると男の顔はどんどんと紅く染まっていき、緊張に喉を鳴らすのだった。
(大変だわ、顔色がこんなに急に変わるなんて、きっと毒ね! ゴブリンの中には毒を使う者もいるって効いたことがあるもの!)
エリシアは男の顔色の変化に緊急性を感じ、男をぐっと自分の方へ近づけた。
「え?! はぇっ!?」
男は先ほどまでの威風堂々とした態度をどこへやったのか、生娘のように戸惑った。
エリシアの美しい手が自らの鎧にひっかけられ、ぐいとエリシアの方に引き寄せられる。
「な、何を!」
「……じっとして」
男が言うが早いか、エリシアの細い指が彼の額の傷に触れると、柔らかい光が彼の額を覆った。
一瞬で彼の額にしみこむように消えた光のあと、彼の傷は跡形も亡く消えていた。
「こ、これは!? 貴女は一体」
「これでもう大丈夫です。毒も取り除けたはず」
「ど、毒?」
戸惑う男性の顔を見るエリシア。
まるで空のように青く澄んだ瞳。
すっとのびた鼻筋。
気高きオオカミのようにツヤのある黒髪。
美しい男だった。
彼女はそんな男の顔を覗いて思った。
(マルドリッヒ王子って国一番の美男子って呼ばれてたけど、やっぱり世界は広いのねぇ~)
男の顔面偏差値からあさっての方向へと……世界の広さへと思いをはせていた。
だが、そんな彼女も聖なる力の対価からは逃れられない。
ぐ~きゅるるるるるっるる。
……恥ずかしい音がした。
とてもとても恥ずかしい音がした。
「あ」
「あっ」
お互いそろえて思わず口に出てしまった声。
「ち、違うんです! これはその、あの……いえ、違わないです、すみません、おなかが減ってて」
「そ、そうなんですね」
いうと今度はエリシアは切なそうにおなかをさすり、死んだゴブリン達の骸に目をやった。
「ゴブリン……焼けば食べられるのかしら?」
「ええええっ!?」
男は思わず素っ頓狂な声を上げて女性の顔を凝視した。
ゴブリンを食べるなんて冒険者だって言わない。
ましてや年頃の美女がそんなことをいうなど、この世界の住民ならば想像すら出来ない。
だが、エリシアは違った。
彼女にとって食事は喜びではなかった。
すべては彼女の聖女としての力を発揮するための燃料に過ぎず、王城に住みながら味は二の次三の次の生活を送っていたのだから。
彼女が物欲しそうにゴブリンを眺めるのを観て、これはイカンと思ったのか、青年剣士はエリシアに声をかけた。
「あ、あの、街は近くにありますし、是非そこであなたに傷の手当てのお礼を……」
「ううっ……」
男が歩み寄った瞬間、エリシアはついに空腹に倒れた。
三日三晩のサバイバル生活、ゴブリンに襲われる恐怖、男の傷を癒やした対価。
もろもろが積み重なってついにエリシアは気を失い、すっぽりと男の腕の中に倒れてしまったのだ。
「え、えええええ!?」
男は最初の勇ましい姿などうそだったかのようだった。
思春期の少年のように顔を真っ赤にしながら戸惑った様子で彼女を支えて呆然とする彼は一人、道の真ん中であたふたとするのだった。
◆◆◆
その日、中央王国の南東に聳える要塞都市に一人の女性が迎え入れられた。
半ば趨勢の決まった両国の最先端に位置するこの要塞都市は、国防と貿易の要であり、首都から離れていながらかなりの発展を見せている街だった。
名のある冒険者であったジルトという青年が背負ってきた女性は非常に見目麗しく、すわどこぞの王族かと噂されるほどだった。
ジルトがいうには一人街道でゴブリンの群れに襲われていたらしい。
決死の覚悟で戦っていた彼女の横顔には生まれながらの高貴さがあり、しかしそれと同時に食い意地のはったその所作は少女のようでもあり、しかも癒やし手の力ももっている。
そんな彼女が街の人気者になるまで時間はそうたいしてかからなかった。
「あっ! エミリーお姉ちゃん! こんにちわ!」
「あらファティちゃん、こんにちは~」
「きいちごとってきたの~♪ 食べるぅ?」
「食べるぅ!」
エリシアはすっかりこの街になじみ、名前はエミリーと偽名を名乗っていた。
すっかり自由の喜びを知ってしまった彼女は街では軽症までなら直せる腕のいい癒やし手として活動していた。
治療はどこのコミニティーでも必須の技術であるため、彼女の美貌もあいまって、街で慕われるまでそう時間はかからなかった。
実際、エリシア自身も自分の姿を初めて鏡で見たときは驚いた。
まるで風船のように膨らんでいた体が、一晩にしてスッキリとしたくびれを取り戻し、あれだけふくよかだった手足も細長く流麗さを称えていた。
(わぁ、これは歩きやすかった訳だ)
当人の感想はこれであった。
美しくなった自分の肉体にあまり感動はしなかった。
異性から求められるのは癒やし手としての力であり、誰かに望まれる瞳には慣れていたが、それはすべて聖女の力と彼女の中ですり込まれていたからである。
だから、街を歩く中誰かがエリシアに見惚れていることに気づいたとしても問うの本人は「ああ、癒やし手として優秀って広まってきちゃったんだな、無理に頼まれたらちょっと困るなぁ」と思うぐらいだった。
癒やし手も聖女も立場は変わらないとエリシアは思っていた。
ケガが治らなかったら聖女のせい。
病気が治らなくても聖女のせい。
そんな生活を再び送りたいとは思わなかったエリシアは、そこそこの治癒魔道士と同じくらいの能力に力をセーブしていた。
今の体型を考えると、そうしなければ餓死してしまう恐れもあるからだ。
しかし彼女を救ったジルトという青年はこの要塞都市でも有数の実力者らしく、冒険者という身分ながら街の有力者ともかなり太いつながりを持つ人物だった。
そのためジルトの言づてで気を回した有権者達はエリシアを本人が知らぬ場所でいらぬ虫や無茶な治療依頼がこないようにと根回ししていたのだった。
彼女にとってそんな要塞都市の住み心地は最高だった。
(おいしいものも自分の稼いだ金で、自分の自由な意思で、自分の好きな店で、食べられる! 最高! 二度と聖女なんかやりたくない!)
彼女は大変なこともあったが今や追放してくれたマルドリッヒ王子に感謝すらしていた。
二度と顔を合わせたい相手ではないが、それはそれである。
今までどれだけ自分の感情が死んでいたのかが実感できる。
こんなことに気づけるようになった。
こんなことに喜べるようになった。
こんなことが楽しめるようになった。
すべて、あの王城にいたら忘れ続けていたかもしれない日常の中の幸せ。
「あ、エミリーさんじゃないですか」
「ジルトさん!」
振り返ると底には大きなイノシシを担いだ冒険者のジルトがいた。
「どうです? 今日はこいつでジビエなんです。先日のケガ人のお礼もありますし組合にいっときますから貴女も参加しませんか?」
「是非いかせてください!」
「ははは、ここで会えて良かった。エミリーさんも誘えって皆言ってたんですよ」
「本当ですか! うれしいです! 食べるの大好きなのでっ!」
知ってます。
ジルトの顔は、エミリア以外の人が見ればそう言いたかったんだろうなという顔をしている。
だがそれも一瞬、ただ笑顔だけを捧げ続けるジルトであった。
「それにしても今日の獲物は大きいですね! 一人で狩ったんですか?」
「まさか、仲間達と一緒にですよ、今度紹介いたします」
「へぇ~みんな中央王国の出身ですか? 冒険者っていろいろなところからくるから」
「いえ、オレだけ中央王国の出身で、他の皆は南や東の隣国で出会ってパーティーを組んだんです」
「わぁ、ジルトさんって中央国出身だったんですね。知りませんでした!」
他愛のない会話も二人だと弾む。
エリシアもジルトの事を憎からず思っていた。
自分を救ってくれた上に、よほどゴブリン焼きを食べようとしたのが強烈な印象だったのか、ことあるごとに狩猟で狩った肉や山菜をプレゼントして貰い、彼女もまた冒険者組合での治療案件は優先してこなすようにしていた。
いつの間にか組合にいくとき、ジルドのオオカミのような黒い髪と青い空の瞳を探すようになっていた。
目が彼を追ってしまうその自分の心の内の理由に、まだこの少女は気づいていなかった。
気づけるほどの経験を、中央王国で積み上げることなどできなかったのだから……。
◆◆◆
一方その頃、中央王国。
ガシャン!
振るわれた何かが砕け液体のこぼれる音が王室に響き渡る。
「何故だっ! 一体何が起こっているんだ!」
苛立ち紛れにワインの注がれた杯を投げ、天井に紅い染みを作るマルドリッヒ王子。
王子の側近であり参謀でもあるソノトー・オリスはその姿に緊張し、ネクタイを緩めた。
「……殿下、隣国で王様が毒殺された件、やはり聖女を手元に置いておくべきだったとの貴族の反発が強く……」
「そんな事はわかっておる! 何故それでこれほどまでに他国の貿易関税が上がっているのだ!?」
それはそうだろう、聖女の治癒の力はあらゆる傷や病を治す万能なる治癒の奇跡。
いくら治癒師の増強を図ったところで、その領域までの治癒魔法を展開することは出来なかったのだ。
今までは中央王国と良好な関係を築くことで聖女の絶対の治癒力を利用することが出来たため、この国には大変な価値があった。
聖女が生まれるのは何故か中央王国の国土のみ。
次代の聖女が生まれるのはまた百年後である。
つまりマルドリッヒ王子は一生、いままで自国についていた付属価値を払拭されたまま外交対策を練らなければならなくなったのだ。
国王がいくらでも聖女に投資し、徹底的な管理をしてきた理由はそこにあった。
だが、マルドリッヒ王子は今の今までそのことに思い至らなかったのである。
(やってしまった……やってしまった……まさかこんな事になるなんて! 父上はどうしてオレにこのことを教えて下さらなかった! 折角ここまで上り詰めてきたというのに!)
身勝手に父親の死を喜び、身勝手に父親の不足に苛立つ。
(そもそもエリシアの奴があんなに卑しい生まれでぶくぶくと太っていなければこんな雑な扱いをすることもなかったのに! 子供の頃はまぁ悪くないと思ったが王都にきてから贅沢三昧、ブクブクブクブクと太りやがって!)
しかしそもそも、エリシアが太ったのは本人の責任ではない。
いついかなるときも王族の大けがを治せるよう、国王がきつくエリシアの身の回りの使用人に彼女を太らせるよう監視させていただけに過ぎない。
泣きながら「嫌々」と叫ぶ幼少期の彼女にあれだけ無理矢理食事を与えていたのも、国王の指示だったのだ。
そのせいでエリシアは王都にきてから太るほどに心は死んでいき、身の回りの大人も信用しなくなった。
そんなことにも気づかず自分の都合のいいことばかりを望み、手に入れるための努力もしないマルドリッヒ王子。
彼は王の器ではなかった。
そんなマルドリッヒにソノトーは恐る恐る訪ねてくる。
「あの……王子、いくつかの貴族派閥が第二王子派に傾き始めています。どのようにいたしましょうか?」
「ジークフリートの事か、奴は父とはそりが合わず異国の地に一人旅立ったと聞いていたが?」
懐かしい弟の存在に不快そうに眉をあげるマルドリッヒ。
「はい、彼は異国に渡り名をあげ、最近側近と接触してこちらの国に戻ってきたようなのです」
「なんだと!? 親父が死んだからか? 奴め、親父がいなければこの国におめおめと戻ってこられると思っていたのか!?」
「わかりません、ですが昨今の聖女追放は多くの貴族から反感を買いました。もしやすると」
そこまで聞いたマルドリッヒは苦々しげに拳を握りこんだ。
低い声でソノトーに確認をとる。
「ジークフリートの居場所は分かっているんだろうな?」
「はっ、南東の隣国に身分を偽り出国してから数々の迷宮を踏破した模様で、確実に実力をつけているかと」
「……近衛の暗殺部隊を集めよ、オレも出る」
「はっ、よしなに!」
そういうとソノトーは踵を返して部下に命令を飛ばした。
「最近は国内のダンジョンも活発化してきているというのに、頭の痛い問題だ、クソっ、せめてまともな聖女がいれば!」
身勝手な願望を口にするマルドリッヒ王子。
……だが既に彼の治める中央王国には暗雲が立ちこめ始めていたのである。




