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選択、そして次の道へ ①

 この香りは、香草? 肉や魚にも相性が良い香草の香りだ。

 それとは別の香りもする。鼻の中でスーッと抜けるような感覚があるものだ。これは、茶として飲むことがある香草だろう。くわえて台所などに出没する黒光りの虫が嫌う香りでもある。だから、台所があるところの隅には、その香りが漂う虫除け剤を置いている。

 どちらも嗅ぐ機会が多い香りだが、なぜそれが漂よってくるのだろうか。

 まさか、近くに料理がある──?


「はっ!?」


「お……おはようございます」


 勢いよくユリアが目覚めると、驚きとどこか引いた様子の女性の声がした。ユリアがそちらのほうを見ると、そこには人間姿のヴィヴィアンがいた。夢で見たヴィヴィアンの人間姿は耳が尖っていたが、今は丸い。変身術が上手くなっている証拠だ。


「……おはよう。あの……これらは、何かしら……?」


 ユリアは、すぐそばにあったベッドで寝転んだ時の目線と同じくらいの高さがある小さな丸いテーブルの上に視線を移した。そこには香草が皿に盛られている。しかもふたつ。そのうちのひとつは、料理に使うためアイオーンが買っているものだ。もうひとつの香草は、ユリアがお茶として煎じて飲むために、そして虫除け剤としても利用しているものだった。


「しょ、食事や台所に関連する香りを漂わせていれば、起きるかもしれないと……アイオーン様が設置されまして……」


 アイオーンがわざわざこういったものを設置する意図はなんだ──ユリアは即座に理解した。


「私が寝てから何日が経った!?」


「三日です……」


「寝ている場合ではないわ! ありがとうヴィヴィアン!」


 ユリアはベッドから飛び起きると、引き出しから下着を、クローゼットからは着替えを取り出し、まずは浴室へ走った。隣接している洗面所で歯を磨き、その次はシャワーを浴びる。なにせあの決戦の日の前日から身体を洗っていないのだ。それでも嫌な匂いはしていないのは、寝ているときにアシュリーかイヴェットが身体を拭いてくれていたのかもしれない。

 最後に洗った髪を乾かして整え、ようやくユリアは台所へ向かった。

 この時点で仲間がひとりも見当たらない。裏庭からも声はしない。どこにいるのだろうか。


「──あ」


 食事室から台所へ向かうと、ヴィヴィアンが冷蔵庫からふたつのタッパーを取り出して、それらを皿に盛っていた。


「ヴィヴィアン……みんなは、どこに……?」


「皆様は、スミスという方がいらっしゃるところへ向かわれましたよ。任務の報告とのことです」


「スミスさんのところへ? みんなの制服はボロボロだったのに……」


「黒い服を、お店からお借りしておりました」


「……なるほど。スーツをレンタルして行ったのね」


 極秘部隊という立場の証明は、制服以外にも左の人差し指にはめる特殊な金の指輪がある。服が普通のスーツであっても、それさえあれば問題はないのだろう。


「はい。なので、ユリア・ジークリンデ様が目覚めたら作り置きしている食事を食べてほしいとの言伝を預かっております。準備をいたしますので、椅子に座って少々お待ち下さい」


「わかったわ。ありがとう」


 ヴィヴィアンが皿に盛っているのはビーフシチューだろうか。赤みのある茶色のスープで煮込まれたごろりとした肉やじゃがいも、にんじんなどが見える。もうひとつのタッパーには卵と緑色野菜を使った副菜が入っている。ユリアは、ヴィヴィアンの厚意に甘えて盛りつけと準備を見守っていたが、ひとりだけで食べるのは少し寂しい。


「──ヴィヴィアンも、良ければ一緒に食べない?」


「……そうですね。では、少しだけいただきます」


 やがて、ふたつの皿と食器が食事室の長テーブルに並べられた。ふたりは向かい合って食事を始める。

 ユリアにとっては数日ぶりの食事となる。濃厚な風味とコクのあるビーフシチューが口の中で踊り、味覚を楽しませてくれる。腹が満たされていく。

 そうそう、この感覚よ。この感覚がなければ食べた気持ちにはちっともならないわ。


「……ユリア・ジークリンデ様は、アイオーン様をお慕いしていないのですか?」


 そして、なんの前触れもなくアイオーンについての話が飛んできた。しかも、ふたりにとってはなかなか繊細な話であったため、ユリアは思わず吹きかける。少しだけ気持ちを整えるために間を置き、口を開いた。


「……情けない話だけれど……私には、恋というものが今もよくわからない……。私にとっては、アイオーンは家族のような存在なの。けれど……初めての友達と聞いてからは、ヴィヴィアンには悔しい気持ちが生まれたわ……」


 身内として特別でありたかった。これは、ラウレンティウスに縁談がもちあがっており、女性からの人気もあると聞いたときと同じ感情だと思われる。

 ヴィヴィアンは、「そうですか……」と呟くと、何かを考えるようにちらりと天井を見上げた。


「……わたくしは、憧れと放っておけない気持ちから始まった恋でした。寂しさと苦しみを抱えながらも生きようとしていたあの御方の強さと、永く生きながらも優しさを失わなかった精神が凄いと思っていたのです」


「その時のアイオーンも、優しかったの?」


「はい……。噂では、恐ろしい御方だから近寄らないほうがいいと聞いておりましたが……実際に接してみると、そっけない言葉のなかに優しさがとてもつまっていました。そして、独りであることがとても寂しそうだとも感じました……。だから、放っておけないと思ったのです」


 たしかに、当時のアイオーンはそんな雰囲気があったように思う。孤独であったからこそ、かつての自分と似たような思いを抱えていそうだと感じたから親近感を抱いた。


「あの御方の心を癒せるのは、わたくしだけかもしれない──そう感じてしまったことで、変な特別感を抱いてしまっていたのでしょう……。アイオーン様は、ただ友と呼べる存在が欲しかっただけだったと思います。それなのに、わたくしは厚かましくも、それ以上の関係となることを望んでしまいました」


「……そう……」


 恋という感情はわからないが、特別な存在でありたいという気持ちはわかる。

 静かに聞いていると、ヴィヴィアンはユリアを見て微笑んだ。


「……わたくしは、あなた様のような人になりたいです」


「えっ、え? 私のように?」


 意味がわからないというふうにユリアが聞き返すと、ヴィヴィアンは少しだけ照れた顔で言葉を紡いでいった。


「あの薄明の光を宿した瞳が、とても眩しくて、かっこよくて……わたくしの背中を優しく押してくださいました。……アイオーン様があなた様に焦がれるのも、今なら少しわかる気がします」


 あの時の自分はそんな目をしていたのか。

 眩しい? かっこいい? 本当?

 とても嬉しいけれど、すごく恥ずかしい。今の私の顔は見ないでほしい。


「あ……あ、あの──あのあと、聖杯はどうしたの?」


 ユリアは、スプーンを持ちながらにやけついた顔を隠そうとするが、無意識に手がまったく別の方向へと泳いでしまって顔を隠すことが出来ていない。ヴィヴィアンもくすくすと笑っている。


「呪いを切り離せたとはいえ、現代では強い力を秘めたものです。なので、あの地下遺跡に再び封印しました」


「もう必要になるときはほとんどないものね。それでは──聖杯が三つの欠片に分かれたのは、子どもたちの力ではないわよね……?」


 照れ隠しゆえにまた話題を変えたが、それにしても少し褒められただけだというのにこの落ち着きのなさは、まるで褒められることに慣れていない子どもが浮かれているようだとユリアは恥ずかしく感じた。彼女は自身がこのようになってしまう理由をよく解っていないが、これはユリアの自己評価の低さからきているものである。

 それにしても、本当にこの話題を言ってもよかったのだろうか。言葉にしてから、嫌な記憶を思い出させてしまったかとユリアは焦ったが、ヴィヴィアンは嫌な顔をせずに答えてくれた。


「聖杯を分けたのは、そうすれば呪いの力が弱まり、誰にも見つからないようなところに行けば迷惑をかけないのではと思ったからです。分けようと思ってヒビを入れたら、あの子どもたちも割ろうと思ったようで攻撃をしてきたのです。……しかし、そのせいであの子たちにも悪いことをしました……」


「ガラードとパーシーのことね。大丈夫よ。あの子たちは無事だわ」


 ヴィヴィアンは黙り込んでしまった。

 やっぱり変えた話題がまずかったかと自己嫌悪しながらビーフシチューを口に含む。


「……実は、わたくし……極秘部隊の一員となろうと思っております。なので、その時にガラードとパーシーに傷つけてしまったことを謝るつもりです」

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