第五節 薄明 ③
「──はぁああッ!」
その頃、アイオーンたちは、増え続ける小さなドラゴンを斬り続け、さらに巨大なドラゴンの攻撃をかわしながら大きな躯体に魔力を込めた攻撃を食らわし続けていた。
アイオーンたちが着用している極秘部隊の制服の上着やインナーの袖やズボンの脚にはところどころ切り裂かれており、そこには乾いた血が付いている。ドラゴンの身体は魔力でできているため、この血はそれぞれ自身のものだ。それでも傷口がないのは、仲間が怪我を負うたびにアイオーンが守りに入り、傷を癒していたからだ。
不利な戦いに見えたが、戦いを続けていくことで、仲間たちはドラゴンの動きや攻撃に対する経験を得ていき、攻撃を受けることが減っていった。前衛の武器に魔力を乗せた攻撃と、後衛の魔力融解を組み合わせた魔術の攻撃で、ドラゴンを構成する魔力を削り取っていたこともあり、攻撃の激しさははじめに比べて少しだけ収まっている。それでもドラゴンには傷を修復する力があるため、総合的に与えられているダメージは攻撃頻度のわりには少ない。この戦いは、すべてユリアにかかっている。
そんな戦闘でも、誰も絶望していない。希望を持ち続けながら、戦士たちは武器をふるい続けている。
「──!」
その時、黒いドラゴンの動きが止まり、地が響くほどの叫びをあげた。
「ユリア──」
ユリアの魂を感じ取ったアイオーンが目を見開く。
心配しないで。私たちはここにいるわ──そういう思念が届いた。アイオーンは、思わず胸部を撫でる。胸のあたりが不思議と温かかった。目には見えないユリアの手が、自分の胸に触れているような感覚がした。
その刹那、咆哮しながらドラゴンの身体が泥のように溶けていった。ドラゴンの身体が黒い泥となり、ドラゴンとしての姿を留められなくなると、黒い泥は一ヶ所に収束し、大きな球体になった。そして、泥の球体の色が黒から半透明へと変わり、球体の内側が白く発光する。その後、それが勢いよく弾けた。
「きゃ!?」
飛んできた半透明の破片は魔力の塊であるが、破片そのものはガラスのようなものであり、しかも突風も吹き荒れたことからイヴェットは思わず目をそらした。ほかの仲間たちも腕で目を覆っている。アイオーンだけは、何もせずにその光景を見据え続けていた。
そして、その光の中から人の姿が現れた。互いに抱きしめあうユリアとヴィヴィアン。ふたりの間には金色に輝く聖杯。
ユリアは、自らが飛んできた方向を睨んでいる。白い光の中にあるのは、黒い瘴気に覆われた球体──呪いの核だった。あれが、すべての元凶だ。
「──アイオーン! 虚数座標空間を! みんなはアイオーンを支えてあげて! 私とヴィヴィアンがあれを拘束し、この世から追放する!」
暴風が止み、ユリアが叫ぶ。
アイオーンの力を与えられた者のみが開けられるという異空間。時を越えるときに通る場所ではあるが、アイオーンの力を持たない者にとっては死の空間でもある──その名称を『虚数座標空間』。
この名は、『異空間』のことを知った後にアシュリーが名付けたものだ。その造語のほうが『異空間』というものの性質を示しているような気がしたためか、それともたんに格好良かったからか、いつの間にかなんとなく全員がそう呼ぶようになった。
約千年前のあの頃には、それを的確に示す言葉がまだなかった。あるいは、あったとしてもアイオーンは知らなかったので、単純に『異空間』と呼んでいたのだ。
アイオーンは障壁を解除し、障壁を作り出していた魔力を虚数座標空間を開錠することにまわす。仲間たちも大気中の魔力をアイオーンが編み上げている魔術に流す。
「──ヴィヴィアン。お願い」
ヴィヴィアンを抱えながらユリアは着地し、ユリアの胸から離れたヴィヴィアンは聖杯を掲げた。
「はい。力を開放します──!」
金色の聖杯が輝くと、大気中に膨大な魔力が作られていった。それらの魔力は意思があるかのように、瘴気を放つ呪いの核の動きを封じこめる術式を組むユリアに力を貸した。そして、アイオーンたちが開こうとしている虚数座標空間への扉にも働きかけた。呪いの核は、聖杯が与したことでユリアの拘束術に抵抗できないでいた。
何の補助もなければ、ただの呪い。しかし、それでも星霊たちを狂わせられる力を持つ呪いだ。この世に存在してはいけない。近づくことも危険であり、呪いの消し方もよくわからない。アイオーンを憎む感情が込められている理由は不明だが、虚数座標空間に追いやる方法が一番安全だ。
重い扉が開くような音が響いてきた。その音は、大きな生き物の唸り声のようにも聞こえる。空に円形状の歪みが生じ、そこから紫を帯びた黒い渦のようなものが広がっていく。同時に、暴風が吹き荒れた。円形状の歪みの端々に電撃のようなものが走っている。
あそこに足を踏み入れれば、未来か過去か。どちらにも行けなければ、死が待っている──虚数座標空間への扉が開いた。見るからにこの世のものではない場所。あの電撃に少しでも触れれば死んでしまいそうだ。そんな直感が働くほどに恐ろしい空間だと肌でわかる。
「──消えろ」
アイオーンの言葉が放たれると、ユリアは拘束術を解いた。その刹那、虚数座標空間は呪いの核を吸い上げた。呪いの核が消え、身体の内側まで響く重い音を轟かせながら、空に生じた円形状の歪みが閉じていった。
「……終わった」
暴風も止み、穏やかな風に変わった。
その直後、ユリアは膝をついた。
「ユリア・ジークリンデ様!?」
ヴィヴィアンがユリアに寄り、彼女の背に手を添えて心配そうに顔を覗いた。すると、ユリアは力を失った目で笑いながら両手で腹を押さえた。やがて、不機嫌そうな低い音で腹の虫が長く鳴り響いた。
「……どうしましょう、ヴィヴィアン……。勝ったのに、何もかもかっこよくなくて恥ずかしい……。お腹がかつてないほどに減っているし、なにより私だけパジャマ姿だし……」
「え」
戦闘が終わった瞬間、ユリアの雰囲気がなんとも緩くて情けないものになった。あまりのその落差にヴィヴィアンはどういう言葉をかけていいのか判断できず、うまく言葉が出てこなかった。様子を案じて背に添えていた手も思わず放し、行き場を失ったその手をこっそりと下ろす。
その後、ユリアは地に寝転がった。見上げた空には厚い雲がまだあるが、その隙間からは陽の光が射している。雨はもう降らないだろう。
「……任務完了。やりましたよ、カサンドラ様」
ユリアは満足げに微笑みながらそう呟き、空腹で辛い身体を起こして立ち上がった。背中や脚についた砂を手の甲で雑に払い、乱れた寝間着やインナーを整えていると誰かがこちらに向かって走ってきた。アイオーンかテオドルスかしらとユリアが思っていると、その人物に抱きしめられた。ヴィヴィアンが「まあ」と、少しだけ甘い声を漏らす。
違う。アイオーンもテオドルスも筋肉質な肉体を持っているが、違う人の身体だ。
背がアイオーンよりもさらに高い。ということは、この人は──。
「無事で良かった……」
「……えっ……」
理解した瞬間、ユリアは固まった。
抱きしめてきたのは、ラウレンティウスだった。さらに強く抱き締められ、身動きがとりにくい。
これは、友が無事だと安堵したことからとった行動なのだろうか? それにしては大胆なような気がする。彼は、あの時に身を引くと言ってくれたはずだが──。




