第五節 薄明 ②
『私にも、守れなかった人たちがいる……。苦しくて、悲しくて……自分を許せない──後悔から抜け出せない……。私にも、その気持ちが解る……。……泣いてもいいよ……。誰にも言わないから……』
しばらくしてから、ヴィヴィアンの泣き声が聞こえてきた。
ユリアはヴィヴィアンの泣き声を受けとめていたが、いつしか自分も泣いていた。
共感したことで、かつてを思い出してしまって気持ちが溢れてしまった。
『……わたくしの過ちを理解し、受けとめて……共に泣いてくださるなんて……』
その呟きが聞こえた時、ユリアの目の前にはヴィヴィアンの姿があった。昨夜の夢のように、ふたりは対面する。呪いの力はまだ周囲に澱んでいる。それでも、ヴィヴィアンには呪いが覆われていなかった。ユリアの行動がヴィヴィアンの心を照らし、そのおかげで呪いを防いでいた。
『ヴィヴィアン……今まで頑張ってくれてありがとう。苦しくて、辛くて、寂しかったはずなのに──。私は、あなたは強くて凄い人だと思うわ』
『……』
ヴィヴィアンは口を開こうとはしなかった。ユリアに気後れした様子で目線を少しだけそらしている。
『大丈夫? もう少しだけ頑張れそう? 私は、あなたと一体化している聖杯と呪いを断ち切るためにここにやって来たの』
ユリアがそのことを伝えると、ヴィヴィアンは首を左右に振った。
『わたくしを助けないで──わたくしごと消してくださいませ。あなた様だけ、生きて帰ってください』
ようやく助けられると思えた矢先、助けられることをきっぱりと断られた。ユリアは動揺する。
『な、なんで……? 嫌よ! そんなこと!』
『わたくしでも判ります。今のあなた様の身体は、悲鳴をあげております。これ以上、無茶をすれば本当に耐えられない。あなた様が死んでしまえば、お仲間の皆様もアイオーン様も悲しんでしまう』
平気そうな口振りをしていたが、見破られていた。そしてヴィヴィアンは真っ直ぐにユリアの目を見据える。
『わたくしのために、ここまで来てくださってありがとうございました。もう十分です。さあ、お行きになって──どうか、わたくしを殺してください』
助けたい思いを断られ、ユリアは衝撃のあまりに言葉が出てこなかった。何を言っても、もう駄目なのか。時間がない。ここに長く居れば身体が持たない。
次の瞬間、ユリアは口を大きく開いた。
『私は、あなたを殺したくない! まだ何も終わっていないのに! 聖杯の力があれば、星霊のあなたでも現代を生きることができるのでしょう!? 聖杯には大気中から魔力を作り出すことができるんだから! ──私は諦めたくない!! 何も諦めていないから、私はここにいるのに!』
まるで我儘を言う子どものようにユリアは泣き叫び、ヴィヴィアンを抱きしめた。それでも、ヴィヴィアンはユリアに言葉をかけようとはしない。
対して、ユリアは言葉を紡ぎ続けた。ヴィヴィアンは、きっと本心では死を選びたくはないはすだ。アイオーンとまた話がしたいと思っているはずだ。だからこそ、ユリアはヴィヴィアンに言葉をかけつづける。
『……あなたに伝えたとおり、私はかつて絶望から立ち上がることができずに、死を望んで、それを選んだことがある……。あなたも、生きることが辛くなってしまうかもしれない……。けれど、今の私は、この時代で生きようと思っている。私を支えてくれる人たちがたくさんいる。あなたにも、きっとたくさんいると思う。もしも困った事があったら、私も助けにいく』
ヴィヴィアンを助けたいと思う気持ちはエゴなのかもしれない。この世で生きる意味を見出せないかもしれない。それでも──。
私は、どんな人間になりたいのか。
助けを求めている人の手を離さない人。
助けられるかもしれない人の手を握り続けて、共に苦難を乗り越えられる人。
最後まで諦めない人。
そのような人になりたいと思う。それが一番、私にとっては後悔の少ない選択だと思うから。
暗い夜に輝く星のように。己の魂を燃やし、信念と共に生きたヴァルブルクの民たちのように。
『それに、この時代には素敵なところがたくさんあるのよ。私は、それをあなたと一緒に見に行きたいの』
『どうして……そこまで助けようと思ってくれるのですか……? わたくしは、あなた様に酷い言葉をあびせてしまったのに……』
ようやくヴィヴィアンが言葉をかけてくれた。そのことに嬉しくなったユリアは小さく笑いながら返事を返す。
『それは呪いのせいでしょう? 私は気にしていないわ』
『それでも……わたくしは、あなたが思うような心は持っていない──』
『その言葉は信じられないわね。アイオーンと初めて友達になれたあなたが、素敵な人じゃないなんて思えないもの』
そしてユリアはヴィヴィアンの身体から離れ、そっと手を握った。
『だから、ヴィヴィアン。私とも友達になってください』
ユリアに真っ直ぐ見つめられたヴィヴィアンは、困惑した目で視線をそらした。
『……丁重にお断りさせていただきます。友となれば、あなた様は迷わずわたくしを助けようとなさるでしょう。……さあ、もう行ってください。友になることさえ断る者のために、自ら危険な選択を選ぶなど──』
『ならば、素敵な人が悲しんでいるから放っておけないという理由に変更させていただくまでよ』
と、ユリアは間髪入れずに断れない理由に変更したことで、ヴィヴィアンはぽかんとしてユリアを見た。
呪いに侵され、肉体も精神も疲弊しているはずだが、ユリアは余裕を感じさせる微笑みを浮かべている。眩しい光を見るように、ヴィヴィアンは目を細めた。
『先ほど、あなたの想いや記憶が、私のなかに流れてきたわ。──ヴィヴィアンは、アイオーンと会う約束をしていたのでしょう? だから、あの人と会ってあげてほしいの。アイオーンも、きっと待っていると思うから』
『……わかりました』
長い沈黙の後、弱々しい返事が返ってきた。ヴィヴィアンが生きることを選んでくれた。
『しかし……どうするというのですか……?』
『負の感情を拒絶するのではなくて、受け入れてほしいの。こういった気持ちは抱えたくないものだから、難しいかもしれないけれど……受け入れて前に進もうと思う力が、この呪いの力に打ち勝てるものだと思うわ』
『負の感情を、受け入れる──』
『感情は、魔力の作用に関係する力の一種だもの。呪いを断ち切ることは、私に任せて。ヴィヴィアンは、私に合わせてくれたら大丈夫よ。今の私たちなら呪いを断ち切れる』
そう言って、ユリアはヴィヴィアンに手を差し伸べた。
この呪いの力に対抗できるのは、魔力そのものだけではない。精神に干渉されているからこそ、心でも対抗できる。ユリアは、この呪いの力というものは強力な力を持った存在の心から生まれたものだと感じ取っていた。星霊たちを狂わせられるほどの強力な力ではあるが、ユリアとヴィヴィアンは正気を保っていられている。それは、希望を持っているからだ。
『──ねえ。全部終わったら、デートしましょうか』
『で、でぇ、と……ですか?』
ユリアは、心の緊張をほぐすためにそれを提案したが、古い時代を生きていたヴィヴィアンにとっては聞きなれない単語であったようで、少したどたどしい言い方で疑問を返した。おそらくユリアとの繋がりで現代の単語は知っているが、意味はよくわかっていないのだろう。
『ふたりでお出かけすることよ。ヴィヴィアンは、人間の姿になれるのでしょう? それなら、現代の文化に触れてみてほしいの。面白いところや美味しい食べ物がたくさんあるのよ。私は、ヴィヴィアンとそれを楽しみたいわ。きっと気に入るものがあるはずだから』
『……はい。行きましょう。お約束します』
ヴィヴィアンは、微笑みながらユリアの手を握った。
『言質とったわよ』
ユリアは無邪気に笑う。そして、再びヴィヴィアンを抱きしめ、すべてが漆黒に染まった虚空の空間を見上げた。
『私から離れないで。何が起きるかわからないわ』
ヴィヴィアンもユリアの腰に両手を回し、決意の目で虚空を見上げた。
『大丈夫です。わたくしも、戦います──』




