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第四節 黒い飛竜 ①

 夜になり、岩陰の中は静かになった。

 ユリアは眠っている。アイオーンは入り口付近に座って、岩壁にもたれながら見張りをしている。

 そんなとき、ユリアはまた『夢』の中に入っていた。


『──何の断りもなく精神を繋げてしまい、申し訳ありません』


 突如、女性の声が聞こえてきた。ユリアは真っ黒な空間のなかにいた。海を思わせる青い肌を持つ人魚の姿の女性だけがいて、周囲はすべて真っ黒だった。


『あなたは……ヴィヴィアン……?』


 ユリアは声を出せなかった。それでも思った言葉は伝わったようで、相手は頷いた。


『左様でございます。あなた様と呪いとの結びつきが強まったことと、呪いの力が抑えられたという機が重なったことで、ようやく対面することが叶いました。術のおかげで、わたくしも正常な精神でいることができております。しかし、聖杯が完全なものとなってしまったら、こうして会話をすることができなくなってしまうことでしょう……』


『正常な精神……?』


『呪いを抑えつけている術式が解かれれば、わたくしの精神もふたたび強い負の感情に覆われ、それに囚われてしまうでしょうから……。──ともあれ、ここはいわば精神世界です。危険な場所ではございません』


『精神世界……。ここが……』


 だから声を出せず、それでも意志を伝えられるのか。そういえば感覚がない。意識がはっきりとした夢の中といった感じだ。


『あなた様が深い眠りについている時が、わたくしとあなた様との精神が繋ぎやすいのです』


 なんとなく誰かが近くにいるような気配がある。これがヴィヴィアンの言う『精神が繫がっている』ということだろうか。だから、寝ているときにヴィヴィアンの記憶を見ることができたのだろう。


『──これから、あなた様に残りすべての出来事をご説明します』


『残りの、って……。それは、もしかして私が夢で見てきた、あなたの記憶のこと……?』


『はい。聖杯を奪った者たちからの攻撃を受け、わたくしが倒れた後のことです。──わたくしは、まだ生きておりましたが、戦う力はほとんど残っていませんでした。だから、聖杯の力に賭けようと思ったのです。聖杯の力を使えば、きっと敵を倒すことができる。わたくしの身体も癒やすことができる──』


『けれど、聖杯には呪いが……』


 ユリアがそれを伝えると、ヴィヴィアンは頷いた。


『ええ……。大きな負の力に汚染されているというのに、力を開放することは危険であると解っておりました。しかし、アイオーン様のお力を狙う連中をどうにかするには、これしかなかったのです。汚染された聖杯が外へ持ち出されてはいけない。ほかの町にも害が及んでしまう。汚染の浄化は、聖杯の契約者であるわたくしならば可能かもしれない……。そう思い、わたくしは契約者の権限を使って聖杯の力を開放しました』


 そして、ヴィヴィアンは言いにくそうな目をしながら顔を俯ける。


『……しかし、力を開放した直後……汚染された聖杯は、聖杯を奪った星霊たちとわたくしを取り込んだのです。聖杯がまとう負の力が暴走してしまったのだと思います……。共に取り込まれてしまったあの星霊たちは、聖杯の力と完全に一体化してしまい、核も消滅してしまいました……。わたくしがまだ生きているのは、聖杯の契約者だからだと思います。しかし、わたくしの身体と核は、永き封印から解かれて少しずつ一体化が進んでおります』


『そんな……』


『聖杯が安置されていた遺跡は、わたくしが町の者たちに命じて造った大きな封印術式でした。しかし、母なる息吹の活動が弱まったことにより術式の力も弱まり、現代人でも遺跡に入れるようになってしまった……』


 ヴィヴィアンは、どこかユリアを恐れるように見つめた。まるで怒られることを怖がる子どものようだ。そして、自身を責めているようにも見える。

 やがて、ヴィヴィアンは腹部あたりで祈るように両手の指同士を軽く交差させた。


『……わたくしが聖杯と一体化したことで、わかったことがあるのです。聖杯を奪った星霊たちの記憶が流れてきました──あの星霊たちは、地から滲み出てきた呪いを偶然受けてしまい、それに精神を操られていたにすぎなかったのです……。すべての元凶は、その呪いです。呪いが星霊たちの核に入り込んで精神を操り、聖杯を奪ったのです。そして、呪いは、聖杯の力を利用してここまで強大な力となりました』


『地から滲み出てきた呪いが、すべての元凶……?』


 呪いの力は、聖杯が作り出したものではなく外部から埋め込まれたものであることと、聖杯はその力を増幅させるためにあることは判っていた。

 しかし、事の始まりが、アイオーンの力を奪うという星霊の悪なる意思からではなく、地から滲み出てきたものであったことに、ユリアは戸惑いを隠せなかった。それでも、今はこのほかにも情報が欲しい。


『──その呪いについて、他にわかったことはある?』


『アイオーン様を殺したいほどに憎んでいる……。呪いからは、そのようなものを感じます。だから、あの星霊たちはアイオーン様を狙っていたのでしょう。呪いによって精神が汚染されるまでは、アイオーン様の力に興味はなかった者たちのようでした……』


 アイオーンを殺したいほど憎む理由とはなんだ。戦いを挑み、破れた者が放った呪いなのだろうか。わざわざ呪いにするほど、あるいは呪いになってしまったというのか。大きな確執がなければ、殺したいほど憎むということはないはずだ。

 ユリアがそのようなことを考えていると、ヴィヴィアンは目を伏せながら『本当に申し訳ありません』と謝罪を口にした。


『ユリア・ジークリンデ様と、お仲間の皆様がたには、多大なるご迷惑をおかけしてしまいました……。わたくしも最期まで足掻き続けますが、介錯はあなた様にお願いするしかないのです……』


『ま、待って……。か、介錯──?』


 なぜそのような言葉が出てくる?

 嫌な予感がした。アイオーンやテオドルス、ダグラスもこんな気持ちだったのだろうか。

 やめて。言わないで。


『どうか、お願いいたします。聖杯もろとも、わたくしを消してください。──ご武運をお祈りしております』


 ヴィヴィアンの姿が薄くなっていく。消えてしまう。行かないで。ユリアは咄嗟に手を伸ばした。


『ヴィヴィアン!?』


 しかし、伸ばした手と必死の声は届かなかった。ヴィヴィアンが消えたことで、ユリアの身体も透けていく。精神の繫がりが消えたからだ。

 あの星霊たちは、呪いのせいで悪に染まり、聖杯も汚染された。

 その呪いとは、アイオーンを憎むもの。たしかに湖での戦いでは、聖杯の欠片はアイオーンばかり狙っていたように思う。

 そして、ヴィヴィアンはまだ生きている。しかし呪いと一体化しつつあると言った。

 ──わたくしを消してください。

 殺してほしいという同意義の言葉が反芻する。

 絶対に嫌よ。そんなこと。

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