第一節 任務開始 ②
隊列は、地下遺跡の奥へと進んでいく。地下遺跡も地上と同じような様式で造られており、さまざまな姿をした石像がある。
ユリアは、道沿いに柱の上に光る球体を一瞥した。球体は水晶のようなもので、内部に発光術式が組まれている。現代にとって、術式を組み込むという技術は、難しい技術であると同時に失われつつあるものである。術式を操作して作動させることは、術式を組み込むよりも簡単ではあるが、それでも細やかに魔力を操れないとできない。調査隊員たちはそれができるということは、現代ではレベルの高い魔術師といえるだろう。
「地下なのに、こんなにも広いんだねぇ。湿度が高いのがちょっと気になるけど」
少し重くなっている場の空気を変えようと、イヴェットが明るい口調で言った。
「湿度高いのはしゃあねえな。水路あるし、ほとんど密閉空間だし」
「これ、全部魔術で造ったんやろなぁ」
「昔の人の魔術技能は凄まじいな。日常では何でもかんでも魔術を使ってたから、これくらいは普通だったんだろうな」
クレイグ、アシュリー、ダグラスも他愛ない会話にのる。
「それにしても、地下遺跡にも水があって水があるとは。──この水は、湧き水ですか?」
テオドルスが調査隊員に問う。
「はい、そうです。水は、遺跡にとって重要なものだとされています。大昔のこの地域では、水そのものが神の分身だとされていました。なので、地下水が湧き出ていたからこそ、地下にも凝った遺跡を造ったのかもしれません」
「人間にとって、水は大事なものだもんね」
と、イヴェットは納得する。
「聖なるものが杯という形をしているのも、神の分身たる水を入れて、それを溜めておく──神の分身のための玉座って意味合いか……?」
クレイグがぶつぶつと考察を呟いていると、一行は、一番奥にある広間らしきところに到着した。すると、彼がわずかに顔を引き攣らせる。
「……壁の向こうから、不穏な魔力が流れてくるな……」
と言って、訝しげに言葉を零しながら壁を指差す。ここまでは何もなかったが、壁の向こうから漏れる魔力から嫌な気配が漂っているのはユリアたちも感じていた。聖杯はすでに無いというのに、この気配はいったい何だろうか。
「不穏……ですか……?」
その言葉を聞いた調査隊員たちが怯む。
「あの壁の向こう側に、聖杯があったのではないか?」
アイオーンが問うと、調査隊員は悪夢を思い出したかのように顔を歪めて頷いた。
「はい……ここにも隠し扉があり、その先に祭壇の間があります。聖杯は、恐ろしいものでした……ですが、今はもうここにありません。それなのに不穏な魔力とは、いったい……」
「……壁の向こう側を調査しなければ、なんとも言えません。……お願いしてもよろしいですか?」
ユリアが要望すると、調査隊員は少しだけ間をあけたあとに了承した。調査隊員たちが壁の隠し扉を解錠させ、開こうとしたそのとき、アイオーンが眉を顰めながら「待て」と静止した。
「おい、どうしたんだ?」
アイオーンの行動に、ダグラスが疑問の声をかける。
「扉を開ければ、戦闘を必要とする術式が作動するだろう。おそらく、銃では対処しきれない規模だ。ゆえに、ダグラスよ。戦闘に自信がなければ、調査隊員たちと共にできる限り遠くへ下がっていたほうが無難だ。──ほかの者は、武器を構えよ」
「え……?」
「な、何ですか……それは……」
調査隊員たちは戸惑った。ここにいる誰もが戦闘が起きるなど予想していなかった。聖杯があれば話は別だが、今はない。
「大丈夫ですよ。おふたりは、できるかぎり遠くへ──総長、お願いします」
「ああ」
ユリアが促すと、ダグラスと調査隊員たちはその場から距離をとった。しばらくして、三人は入口付近まで遠ざかったことを確認すると、ユリアは帯びていた剣を抜き取った。ラウレンティウスたちも亡国ヴァルブルクで製造された武器を、何もない空間から出現させた。ラウレンティウスはハルバードのような形状の槍、クレイグはふたつの短剣、イヴェットは棍棒、アシュリーは魔術の発動時間を短縮するための補助具となる短い杖だ。ユリアの剣以外の武器には、アイオーンの血が用いられているため、普段は次元の狭間という異空間に納められている。テオドルスも、愛用している武器がそれであるため、次元の狭間から片手剣を取り出した。
アイオーンは、右手の手袋を取り、制服を軽く腕まくりした。そして、自らの右手を剣身の形に変形させ、硬質化させるために魔力を帯びた。アイオーンはほとんど人間の姿をしているが、本質は星霊の核を消滅させないよう保管するために造られた『器』。そして、アイオーンの意思ひとつで自由に変化させることができる武器だ。
全員が臨戦態勢をとると、アイオーンは左腕を伸ばし、隠し扉へと手のひらを向けた。大気中の魔力を利用して、扉を開けようとする──だが。
「──!?」
誰かに阻まれているかのように扉が動かず、くわえて扉に集束させていた魔力が何者かの術によって飛散したため、開くことができなかった。簡単な魔術とはいえ、アイオーンの術を阻むことができたことに周囲の者たちは驚く。
その後まもなく、地面から靄が形をとったような姿をした人間らしき存在が、ユリアたちを囲むように十体も現れた。靄の者たちは、ユリアを敵と認知したようで、火球を高速で飛ばす術や風を刃とする術、水路の水を鞭のように操る術、そして地面を勢いよく隆起させて対象に打撃を与える術を一斉に放つ。
「ッ!!」
ユリアたちは、咄嗟に魔力で障壁を作ったり、地の術を繰り出そうとする魔力の動きを強制的に解くことで防ぐことができた。しかし、靄の者たちは、続けて剣や槍、そして弓──これらも靄のようなものだ──を手に持ち、その隙に接近戦を可能とする武器を持つ者たちが間合いをとってきた。魔術だけでなく白兵戦も可能とは、まるで昔の戦士のようだ。
特務チームと靄の者たちの乱戦が始まった。剣と靄の剣が交わると、金属同士がぶつかったような高い音が響いた。ただの靄に見えるが、武器は魔力を凝縮させて物質化しているようだ。
「弓兵もいるとは面倒なものだな……!」
弓兵は三体。テオドルスは、そのうちの一体を真っ先に狙った。風の魔術を駆使しながら白兵戦を挑もうとする者たちの攻撃を受け流し、弓兵の身体に一撃を与えた。だが、実体がないからか、すぐに斬撃を食らった場所が修復されていく。
「……なるほど、攻撃は無意味か。ますます面倒だ」
「あッ──!?」
棍棒を巧みに操り、乱戦のなかを軽業師のごとく舞っていたイヴェットが短い悲鳴をあげる。弓兵のひとりが、一瞬の隙をみた調査隊員たちに向かって弓矢を放ったのだ。敵は相当に戦い慣れているようだ。矢先は、勢いを劣らせることなく真っ直ぐに調査隊員たちとの距離を縮めていく。
「敵意も武器も持ってない相手を──狙うなぁッ!!」
大声を出したダグラスは、調査隊員たちの前に現れ、右側の腕と手に魔力をまとわせた。そして、飛んでくる弓矢に向かって拳を思いっきり突き出す。おそらく突発的に思いついた防ぎ方がそれだったのだろう。ダグラスの拳と衝突した矢は、衝撃で地に転がり、飛散した。
しかし、あの弓矢のほうが魔力の凝固率が高かったのか、彼の手袋は魔力による衝撃でぼろぼろになり、ほとんど手袋としての意味をなさない形となった。そして、素肌の手の甲は火傷でもしたかのように皮膚が焼け、血が滲んでいる。その光景を見ていた調査隊員たちは、涙を浮かべて腰を抜かした。
「総長! ウチが防御しときますから、魔力だけ協力してください!」
事態を重く見たアシュリーがやってきた。自分と三人を包む障壁を展開し、遠くの乱戦を見守る。
「……ああ、わかった」
ダグラスは、痛みに耐える顔で障壁に魔力を与える。腰を抜かしていた調査隊員は、血が滴るダグラスの手を見ると、震えた手を懸命に動かし、持っていたバッグから救急道具を取り出した。
「──クレイグ。あなたは戦闘から抜けて」
同刻。広場で繰り広げられている乱戦では、戦いながらクレイグに近づいたユリアがそう伝えていた。
「理由は?」
クレイグはユリアと背中合わせになり、息の合った動きで敵からの攻撃を薙ぎ払いながら会話を続ける。戦いながらであるため、ユリアは端的に理由を述ていった。
「地下空間のどこかに幻影術式が隠されているはず。魔力の差異に一番敏感なクレイグなら、術式を探して破壊できると思うからよ」
「戦力減るぜ? 敵は多いし不死身だし、この術式が発動しているせいか大気中の魔力が減ってるし。そのせいで、アンタらヴァルブルク組も本調子は出せねぇし」
ユリア、アイオーン、テオドルスは、戦争を経験しているため戦い慣れてはいる。だが、大気中の魔力が薄い現代では、戦いで大いに活躍していた魔術がほとんど使えない。魔術が満足に扱えないことで、どうしても戦い方は白兵戦が主となり、昔に比べて戦力が落ちたと言わざるを得ない。
ここには母なる息吹があるため、地下遺跡に魔力が無くなることはない。しかし、幻影術式のせいで湧き出ている魔力のほとんどが使われてしまっている。なので、魔術による攻撃は潤沢にあった最初だけであり、敵もユリアたちも魔術は出来ない状態だ。
「ご明察。だから、弓矢が来たら避けるのよ。おそらく魔術は飛んでこないはず──避けられなかったら、あなたに地獄の訓練を課すわ」
「そいつは勘弁!」
いつも通りにふたりは軽快なノリで会話をし、クレイグは戦線を離脱した。広い空間だが、彼ならきっと探し出して破壊してくれる。ヴァルブルクの幻影術式も、彼はそれを探し出して破壊してくれたのだから。
「わたしも術式を探す。敵を頼む」
この戦闘は、術式の破壊を行わないかぎり永遠に続く。しかし、アイオーンも術式を探してくれるなら、早くに終われるだろう。おそらく敵は、術式の破壊しようとするふたりを狙いはじめるはずだ。せめて、弓兵の攻撃はふたりに向かないようにしたい。術式が破壊されるまで持ちこたえなければ。
「了解」
「わかった」
テオドルスとラウレンティウスは即答したが、ふたりも心のどこかで焦りを感じているはずだ。
「な、なるべく早くでお願いします〜……」
「あら。私たちがいるのに弱気だなんて、どうしたの?」
イヴェットの士気を上げようと、ユリアは笑いながら指摘する。
「だって、総長が……」
「大丈夫よ。今はアシュリーがいるわ。──敵は、戦闘の練度が高い。それに、数は向こうが多いし、苦戦するのは仕方のないことよ。今は、ふたりに攻撃がいかないように頑張りましょう」
ユリアは、イヴェットが調査隊員たちに向けられた弓術を防げなかったことを気にしていることを察し、それを気にするなと暗に伝えた。
「──うん、そうだね……」
こういった気持ちの沈みがあると、戦闘に影響が出てしまう。そのことは、ユリアが昔から教えていたため、イヴェットは無理やり今は気にしないことにした。ひとまず彼女は大丈夫だろう。
(それにしても……まるで、ヴァルブルクの家臣と戦っているみたいだわ)
敵からの攻撃を防ぎながら、ユリアはかつて戦争を共に戦い抜いたヴァルブルクの兵士たちのことを思い出していた。彼らのことが思い浮かぶほどに良い腕をしている。
いいや。今は、それはどうでもいいことだ。
この幻影術は、どうして発動した? 考えられることは、今までは感知術式をくぐり抜けていたこと──防護服の有無か。だが、遺跡内の魔術照明器は、聖杯の発見時にも調査隊が調べて起動している。その時に魔力を使っているため感知はされていてもおかしくはない。
となると、魔力の感知ではなく、魔力生成量で判断されたのか。魔力生成量が低ければ、祭壇の間に到達できても聖杯の力によって侵入者は簡単に倒れるだろう。高ければ、この幻影術式で弱らせる。そういうことなのか。
そもそも、なぜ聖杯がこんなところにあったのかも判らない。いろいろ考えたが、なにひとつ正解していないかもしれない──。
ユリアは、身体能力をさらに向上させ、弓兵の背後に回った。そして、術式が作り出している靄の者に触れ、術式を読み取り、何かを施した。
術式が生み出した靄の者たちは、どこかにある術式そのものを壊さないかぎり消えることはない。だが、術式に少しばかり『手を加える』ことはできるかもしれないとユリアは考えていた。ユリアの施した術式は、ほとんど魔力を必要としないものだ。
(私だけを攻撃しろ──!)
この術式は、攻撃することを絶対条件としているはずだとユリアは直感した。なので、「攻撃するな」という『命令』を加えたら、『攻撃された』とみなされて『命令』を修復してしまうだろう。修復されないように『命令』を加えることができれば、戦況は変わる。
「……お願い……」
術を施し終えて弓兵から距離をとった。弓兵は、ユリアばかり狙いはじめる。『命令』が修復される気配はない。
──いける。
ユリアは、残りの弓兵にも同様に『命令』をつけ加えた。あとは、誰かに当たらないよう逃げればいい。ユリアが弓兵の攻撃から逃げることに専念することは、戦線を抜けたことど同等のこと。なので、自陣営で白兵戦が可能なのはあと三人。対する敵の数は七。大丈夫。あの三人なら耐えられる。遠距離攻撃をされないようになっただけでも戦いやすくなるはずだ。何より、クレイグとアイオーンに邪魔が入りにくくなる。ユリアは、天井や壁、地面を駆使して広い空間を縦横無尽に動き回り、ときおり自身に向かって飛んでくる矢を払い除けた。
「──敵の姿が不安定になってきた!」
イヴェットが叫ぶ。靄が薄まり、攻撃も弱まっている。もう少しだ。
「……消えた……!」
靄の者たちがゆっくりと飛散していく。クレイグとアイオーンによって術式が全て破壊され、戦いはようやく終わった。イヴェットは、安堵のため息を漏らしながら武器を次元の狭間へと収納し、その場にぺたりと座り込んでしまった。ラウレンティウスやテオドルスも武器を次元の狭間へと消した。全員が防戦に集中していたため、目立った外傷はほとんどない。
「……まさか、幻影術式で創りだされた敵に術式を加えるとはね。素早く術式の特徴を読み取って、さらに術式がうまく噛み合うように組まないとできないというのに。細やかな作業が得意な君ならではの戦法だ」
テオドルスがユリアの称えながら近づくと、ふたりは自然にハイタッチを交わす。
「直感が冴えてくれたのよ。うまくいくかは判らなかったけれど……成功してくれて良かったわ」
「だからって、その術式の才能をバイクの強化にまで生かさないでほしかったな。こんな魔力が薄まった環境下で術式が出来るなんて器用なものだ」
「あら、いやだ。テオこそ器用じゃない。イタズラ専用の道具を作るだけでなく、術式を使ったイタズラ魔術まで仕掛けられるんだもの。──それと比べたら私は健全よ」
仲良くハイタッチを交わしたかと思えば、しょうもないことで張り合いが始まりそうな雰囲気に変わりつつあった。ふたりは笑顔だが、どこか「文句があるなら受けて立つ」とでも言いたげな表情である。
「どちらもそう変わらんだろうに……」
その雰囲気に呆れつつ、ラウレンティウスは小さい声で突っ込んだ。