第二節 雨のなかの決意 ④
『落ち着くんだ、ラウレンティウス』
それをテオドルスがなだめる。
「……『怪物』化したユリアが聖杯を回収した後、すぐに道具とわたしたちの血液を用いて特殊な空間を作り出し、そこに閉じ込める。わたしたちもその空間に入り、そこで『怪物』と戦闘を開始する。この戦闘の目的は、ユリアが聖杯の力を引き剥がすための補助となることだ。道具とわたし達の血液は、聖杯の力を抑えるために使い、わたし達の力でユリアにまとう聖杯の力を削りとっていく──ユリアの負担は、これが一番かからないだろう」
『完全になった聖杯の力って、ユリアちゃんから引き剥がせるものなの……?』
アイオーンの言葉の後に、イヴェットが不安げに問う。
「頑張ってやってみるわ。テオから不信派の呪いを引き剥がしたのは私だもの。出来ないことはないと思う」
もちろん、不信派の呪いと聖杯の力は違うことなど判っている。それでも、この方法が一番可能性があるとユリアは感じている。
「──この力が表に出てきてくれたことで、ようやく詳しく調べることができたわ。この聖杯の呪いの力は、聖杯が作り出したものではなく、外部から埋め込まれたものみたいなの。聖杯は、その力を増幅させるために働かされているだけ。何かが、呪いの力を阻害してくれているような気配があるけれど……それは今もよくわからない」
だが、なんとなくその正体が判る。
ヴィヴィアン。
『彼女』の何かが、不安定ながらも呪いの力を堰き止めてくれているとユリアは感じた。
「ともかく、呪いの核を引き剥がすことができれば、アイオーンとテオと私で、呪いの力を『あの空間』へ追いやるわ。……だから、みんなには、この作戦を手伝ってほしいの」
アイオーンの力のひとつである時間超越の際にくぐることになる『異空間』だ。しかし、アイオーンの力を持ち、かつ魂を認められていない者であれば、その空間は『死の空間』となる。聖杯で力が増幅した力であろうとも、その空間に放り込まれれば脱出することは叶わないだろう。
ユリアがそう言うと、仲間たちの返事はなかった。しかし、拒絶の声が上がらない。ということは、納得はしていないが一応了承はしているのだろう。他に安全な方法があればそちらをとりたいが、何も案が思い浮かばないからだ。
「おそらく、ユリアにかけている封印は、もってあと二日ほどだろう。今は聖杯の力を封じることができているが、少しずつ封印が解かれている。……ちなみに、『怪物』との戦闘状況によっては、遠距離攻撃が重要なものとなってくるとみている。というわけだ、ダグラス。動揺して照準を狂わせないように頼むぞ」
『無茶言ってくれるな……。けど、それでなんとかなるってんなら──やってやるよ。……テオドルス。魔術指導を頼むぜ』
さすがのダグラスも怖気づく声を出しているが、ユリアたちの作戦を飲んでくれた。他の仲間たちは何も言わずに話を聞いている。
『わかりました。──他のみんなは、今から準備を頼む』
『……わかった』
アシュリーの声。
その後、かすかに何人かの人が走る足音が聞こえ、やがてその音が遠くなっていった。
「……アイオーン。無線機を私の方へ。テオと総長に話をしたいの」
機を見計らったように、ユリアは声をかける。アイオーンは、何も言わずに障壁の近くまで無線機を持ってきてくれた。
「テオ。その場にいるのは、あなたと総長だけかしら?」
『ああ、そうだよ。どうしたんだい?』
「アイオーンとテオ、そして総長にしかできない──三人にしか頼めなさそうなことを頼もうと思ったの」
妙に改まった言い方で、それもこの三人だけしか頼めないということに、ダグラスは一瞬言葉を詰まらせた。
『……なんだ、姫さん……。改まって……』
「……もしも、私の精神が聖杯の力に完全に負けてしまったら……私の身体は捨ててほしいのです。……アイオーンとテオドルスで、私の身体ごと聖杯を『空間』に放り投げてほしいの」
『捨てる──? いや、ちょっと待て。まず、姫さんの精神が完全に負けたらなんてどうやって判別するんだ』
「『魂の契り』と呼ばれる魔術を使います。それは、魔力を用いて精神的に結びを施すことで、魂の生死や状態を感じ取ることができるようになるものなのです。──そうだったわよね? アイオーン」
「……ああ。そうだな」
アイオーンは、何やら物申したい気持ちを込めた目でユリアを一瞥すると、すぐに無線機のほうへ視線を戻した。
「なので、アイオーンと私が『魂の契り』を結び、アイオーンが私の魂の状態を感じ取れるようにしておきます。聖杯が私の魂を殺すか、あるいは完全に操って私の身体を奪ったとしても、聖杯は時間超越の力を使えません。その力を使えるのは、アイオーンに認められた私の魂が本当に望んだときだけです」
ヴァルブルクの出来事では、ユリアは操られて時間超越の力を開放した。それは、当時の彼女が過去に戻ることを少なからず望んでしまったからだ。
それでも、今は戻りたいとは思わない。だから、聖杯がその力を使おうとしても使えない。
「その『空間』に放り込まれれば、聖杯は二度とそこから出られません。私が望んで時間超越の力を使わないかぎり、『空間』の内側から出ることできません。──なので、その時が来てしまったら、総長はみんなを説得してほしいのです」
『お、おい……。待てって、姫さん……』
あまりにも突然すぎる願いに、ダグラスはうまく反応を返せなかった。ユリアは、彼の心を待つことなく言葉を紡ぎ続ける。
「みんなからの助けがあるとはいえ、呪われた聖杯を完全な形にしてしまいます。なので、私がどうなってしまうのかは本当にわからないのです……。すみません……作戦を提示しておきながら、こんな後ろ向きな発言をしてしまって……。このことをみんなの前で言ったら、作戦のお願いを断られてしまうかもしれないと思ったので、言えませんでした……」
みんなのことを信じていないわけではない。だが、どこか感情を優先してしまいそうな気がしてしまったのだ。現代では、このように命を天秤にかける機会など無いに等しい。しかし、ユリアたち三人にはその機会が常にあったから、いざというときには非情になることができる。とても冷たい感情だが、そうならざるを得なかったのだ。
聖杯の力には波がある。善と悪が入れ替わる二重人格のようなものだ。その理由は判らないが、おかげでユリアはまだ精神を完全に乗っ取られずにすんでいる。それでも、最悪の場合のことを考えておく必要はあった。
「三人とも。私は、ここで聖杯との決着をつけたいと思っているわ。この戦いは、この世の害となりうる聖杯の呪いを完全に消すことが最優先であり、私の命は二の次。──だからこそ、どうしようもなくなった時は……私を殺してほしい」




