第一節 死神のいざない ③
「──過去のわたしのままでは、ここには至れなかっただろう。今があるのは、この現代での十年間で心が満たされていたからだ」
そして、余裕ある柔らかな微笑みでアイオーンは言う。
この人が、そのような表情を浮かべられるようになった。それだけでいいじゃないか。何かを見つけるきっかけを見つける余裕すらなかった人が、今こうして歩きだしている。それだけでいい。この詮索は余計なことだ。
「そう……良かった。それから、ありがとうアイオーン。私たちを支えようと思ってくれて。今のアイオーンはとても心強いと思うわ」
本当に心強い。精神的に頼りがいのある人のように感じる。
だからだろうか。この人に、少しだけ甘えたことを言いたくなってきた。
「……だから、少しだけ甘えたこと……というよりは、してみたいことを言ってみてもいいかしら?」
「構わないが、なんだ?」
「少しだけ、眠るのが怖いのは本当なの……。だから……みんなで一緒に寝てみたいのだけど……どうかしら……?」
◆◆◆
「──やっぱさ、ユリアって寂しがりやんな」
次の夜。特務チームは全員、屋敷の最上階かつドーム型の屋根の下にある天体観測室にいた。高いドーム型の天井は、装置を操作すると開いて夜空が見えるように設計されている。このような部屋があるのは、屋敷を作った人物の趣味だったのだろう。
八人の大人たちは、そこで円卓を囲むように敷布団を並べて寝そべり、ドーム型の屋根を開けて夜空を見ていた。天体観測室の中は、ほのかな月明かりが少しだけ入ってくる程度の明るさしかない。そんなとき、ふとアシュリーがユリアの提案を『寂しがり』と称した。
「さ、寂しいからではなくて怖いからよ……! そこまで子どもじゃないわ!」
「似たようなもんだろ」
クレイグが笑いながら断言すると、ユリアは「そんなことないわよ」と唇を尖らせた。
「まあまあ。聖杯のせいで、ユリアの身に何かが起こりかねないのは確かなんだ。だから、何かが起こって瞬時に対応するためにも、一緒に寝るのは有効ではないかと思うよ」
だからユリアは、テオドルスとアイオーンに挟まれるかたちで寝ることになった。しかし、ダグラスだけは輪に入りながらも困惑の色を未だ隠せずにいた。
「いや……お前さんらは、別にそれでいいのかもしれんが……。俺は、これでも元上司兼知人というだけのおっさんでしかなくてだな……」
「総長は一応、私と血が繋がっているではないですか」
「一応どころかほとんど千年前だから血の濃さは他人レベルなんだけど!? アシュリーとイヴェットもいろいろと気にしないのか!?」
ダグラスが勢いよく聞くが、アシュリーは何事もなく普通に頷いた。
「ウチは別にええですよ。なんやかんやでウチらが小さい頃から知ってて、ローヴァインの屋敷にバーベキューしに来てそのまま泊まるタイプのおっさんですし」
「まあ、バーベキューしに来てそのまま泊まるタイプのおっさんだけどさ……」
話を聞くかぎり、アシュリーたちが小さかった頃は、ダグラスを含めてローヴァイン家の屋敷の庭でバーベキューを楽しんでいたようだ。その話を聞いていたユリアは、食べ物を恋しがる様子で「バーベキュー……いいなぁ……」と呟き、口の中をもごもごと動かした。
「あたしも大丈夫ですよ。それを言えばテオドルスさんだって他人ですし」
「ほんとにそんな軽い感じでいいのか……?」
イヴェットからもそう言われるが、それでもダグラスは何か納得がいかない様子だ。だが、ここまで周囲が気にしていないとなると、もう折れて大人しく眠るしかなかった。そのことにテオドルスは所感を述べる。
「ふたりにとったら親戚のような感覚なのかもしれませんね。別に良いと言ってくれていますから、あまり気にせず寝ましょう」
「お前さんも謎に動じねぇな……」
「私個人としては、このように大人数で一緒に寝るのはどことなく懐かしい感覚があるんですよ」
「懐かしい?」
ダグラスが問いかけると、テオドルスは懐かしむ顔で夜空を見上げた。
「ヴァルブルクの兵士となる前の私は、修行の一環として、引率役の熟練の兵士と年の近い兵士見習いたちと共に国内外を旅していました。遠い町にやってきても、宿が一部屋しか空いていなかったら、全員でぎゅうぎゅうに入って寝たものです。もちろん野宿もしました。その時は、焚き火を点けて、仲間たちと空を見上げて話をしながら過ごしていました。だから懐かしいんです」
「……実は、私はそれと似たようなことをしたかったので、みんなに天体観測室に集まってほしいと言ったのです。私も、年の近い誰かと旅をして、そこで友達や仲間という存在を持ってみたかったという気持ちがあったので……」
あの時代、ユリアの傍にいるのは友ではなく家臣や兵士たちであり、彼女自身は軍の士気を上げる存在だった。常に前線で戦って、敵を屠る──〈予言の子〉として、王家の子として、上に立つ者として『英雄』然としていないといけなかった。しかし、今はこうしてわがままが言える。だからこその真似事だ。今この状況には、ユリアの十代の青春期に叶えられなかったささやかな願いが込められていた。それを知ったダグラス、そしてほかの仲間たちは黙り込む。
「たくさんの人たちと他愛もない会話をしながら、星を眺めて眠りにつく──私たちが生まれた時代だと、よくある日常風景のひとつともいえるものでした。でも、その時の私は、それが出来る立場ではなかったので……。だから私、今とても嬉しくてテンションが上がっています。そのせいで逆に眠れないかもしれませんが──」
「まるで修学旅行にはしゃぐ学生だな」
すると、嬉しさで浮かれるユリアを見ていたラウレンティウスが微笑みながらそう表現した。彼にとっては微笑ましかったのかもしれないが、少し馬鹿にされていると感じたユリアはほんのりと恥ずかしそうに唇を尖らせる。
「いいじゃない。だって初めてなんだもの。みんなで話しながら眠りたいの。──というわけで、総長。何かお話してください」
「ちょっ、なんで俺に飛んでくんのよ……?」
「総長は、独りが苦手でよく職場の人たちと飲みに行くと言っていましたよね? だから、話のネタをお持ちかなと思って」
「えー……。このメンツで楽しめそうな話っつってもなぁ……」
困りはてた声を出しながら黙り込み、いつまで経ってもダグラスの反応が返ってこない。そこをフォローしたのはテオドルスだった。
「──私のきょうだいの話なら、たくさん話題がありますよ」
「きょうだい? ……あー。たしか、妹と弟がいたんだったか」
「正確に言うと、妹ひとりと弟がふたり。あと、兄がひとりに姉がふたりですね」
「そんなにもいたのか?」
「当時の時代では、私の家は普通くらいでした。家によっては十人以上子どもがいるところもありましたよ」
十人以上という現代では考えにくい単語が飛び出たことに、現代組はなんともいえない笑いが込み上げた。
〈予言の子〉のことがなければ、ヴァルブルク家にもユリア以外の子がいたことだろう。おそらく十人近くかそれ以上。国の在り方が特殊なので、一般的な政略結婚はしなくてもいいため、王位を継ぐ者以外の全員がヴァルブルクの戦士になっていたかもしれない。
「私は、七人きょうだいの中間っ子でした。きょうだい全員とは、なんだかんだ一緒によく遊んでいたので、その話題はいろいろとあるんです。両親は、我が子は全員落ち着きがないとちょくちょくぼやいていました」
テオドルスが最後の言葉を放った瞬間、仲間たちは納得と呆れの笑い声を小さく漏らした。
「なんつーか、毎日至る所で誰かの悲鳴が響いてそうだな」
そうクレイグが呟くと、テオドルスは満面の笑みを浮かべる。
「そうそう。良くわかったね。侍女たちの悲鳴はよく上がっていたな」
「その光景が目に浮かぶな……」
「いやいや、それほどでも」
「いや、褒めてねえって」
そして、テオドルスはきょうだいのことを語り始める。
長子である兄は、ラインフェルデン伯爵家の後継者としての自覚を持った立派な人だったが、妹たちと弟たちを愛し過ぎるあまり鬱陶しがられていたようだ。また、少し抜けている性格でもあり、たまにとんでもない勘違いをして──妹たちと弟たちに関することになると、なぜか斜め上の発想をしてしまう悪癖があったため──周囲を振り回すことがあったという。
一番目の姉は、楽器が上手くて作曲家でもあった。テオドルスが楽器を始めたのも一番目の姉の影響だという。作曲のアイディアを求めるために、戦時中でも気にすることなく勝手に旅を計画し、伯爵家に仕える星霊や人間たちを勝手に攫って旅のお供にするほどの行動力と自由さを持った人だったらしい。そのたびに兄が妹を案じるあまり泣きながら暴れていたという。
二番目の姉は、きょうだいの中でも一番目真面目だったようだ。しかし、筋肉好きで修行も好きすぎて、領地の山岳に修行しに行っては無茶をして両親に怒られていたという。兄も泣いていた。共存派の戦士として別の地で活躍していたようだ。
弟ふたりは、見た目がまったく一緒の双子だった。テオドルス以上のイタズラ好きであり、彼と双子の弟たちは、どこまで周囲の人々を驚かさせられるか競ったことがあるという。その結果、三人は両親や周囲からの雷が激しく落ちたとのことだ。しかし、兄だけは逆に弟たちの発想力を褒めていたという。
末っ子の妹は、歌と踊りが得意な明るい子だったようだ。やがて踊り子となり、争いが多発していた暗い世に華を飾った。彼女の性格は、今でいうところの『天然小悪魔系』であったらしく、そのせいで男女問わず魅了していたという。やがて、ラインフェルデン家の屋敷に何人かの求婚者がやってきてしまったこともあったらしい。それに対応した兄は、末妹の魅力に全力で同意しながらも求婚者たちを一蹴ていたという。
兄は家を継ぎ、一番目の姉は作曲家となり、二番目の姉とテオドルスはヴァルブルクの戦士に、そして弟たちと妹は、共に同じ大道芸団の一員となって活躍したという。
この時代の貴族は、長男以外の男なら戦士に、女は神々に仕え、清貧を重んじながら善き行いをしていく聖堂会という組織に属して行儀見習いに出されるのが通例だ。
ラインフェルデン伯爵家は、共存派として前線に立って戦う貴族ではあるが、この代の子どもたちはわりと自由に将来を選べたようだ。自由すぎて周囲に迷惑をかける可能性があるため、あえて個人の意志を尊重したという理由もあるかもしれないが。
「──たぶん、きょうだいの中では、私が一番の常識人だったと思うな」
「……え?」
ふとテオドルスがそんなことを言ったその時、彼のイタズラの洗礼を受けできた仲間たちが同時に疑問の声をあげた。
それからも、仲間たちは身内の話や当時の時代の話について盛り上がる。
「……仲の良いきょうだいがいると、ここまで話題が尽きないものなのか……」
寝転びながら話を聞いていたアイオーンが、同じく隣で寝転びながら話を聞くユリアにそう呟いた。
「そうね。……少し、羨ましい」
「……そうだな」
ユリアとアイオーンと同じくきょうだいのいないダグラスも、彼らの話を興味深そうに聞いている。
夜がさらに更けた頃、特務チームは眠りについた。その時のユリアの心に不安はなく、穏やかに深い眠りについていた。聖杯の力を封じる術式は組みなおしてもらった。だから大丈夫。
そのはずだったのだが──。
◆◆◆
「──」
次にユリアが目を開けた時は、夜明け前だった。空にはうっすらと淡い橙色が差し込み、少し冷たい風が身体全身を包む。
布団を被って寝ていたはずなのに、なぜ冷たい風を全身に感じる? そもそも、どうして私は立っている?
なぜ、仲間たちは誰もが寝間着姿かつ裸足のままで、血相を変えた顔つきで武器を持ち、ところどころに切り傷を負って血を流しているのだろう──?
「……良かった。気がついたんだな。……これは違うよ。ユリアのせいではない」
剣を持ち、頬と腕に切り傷を負ったテオドルスが静かに諭すように声をかけてきた。
少しずつ、ユリアは状況を理解していく。ここは屋敷の裏庭であり、裏庭に続く扉とその周辺の壁は崩壊している。
また、聖杯が身体を操ったのだ。屋敷を破壊し、仲間を傷つくけるほどの力を開放して暴れていた。そのことを理解したユリアはじょじょに顔面蒼白させ、身を震わせた。
「わ……私が……これを──」
「違う……! ユリアじゃない。聖杯のせいだ!」
ラウレンティウスが叫ぶ。しかし、ユリアの耳には届いていない。
「私が、また──」
脳裏に浮かぶのは、両親とテオドルスを殺めることになった『あの日』。トラウマ。また、愛する人たちを害してしまった。
ユリアは、なんとか泣きそうになるのを我慢した。しかし、堪えきれずに過呼吸のような荒い息遣いとなり、両手で口元を覆って激しく咳き込む。仲間たちが何かを言っているが、聞き取れない。
その時に、自分の手と腕の有り様にようやく気がついた。
「……な、に……これ……」
右側の手先から肩にかけて、真っ黒で刺々しい姿になっていた。端的に状態を言い表すと、化け物。
五本の指はあるが、それぞれの指の関節部には尖った歯のようなものが突出しており、指先もそれと似たような鋭く尖ったものとなっている。人間とは思えないほどに手と腕は肥大化し、全体的な形状は刺々しく角ばっている。
「また……私は──」
死神になるのか。
その時、ユリアの目に真っ黒な涙が流れた。




