第三節 持たざる者たち ③
『……何用だ』
『こちらをどうぞ。収穫したばかりの果物です。我が町の者が育てた果物は美味しいと評判なのですよ』
アイオーンに差し出された果物は、太い茎の上から下まで細く小さい枝が無数に生えており、その一本一本の先に果実がたくさんついているものだった。果実はみずみずしい橙色、そして一粒一粒に小さな種らしき粒がついている。
現代の果実で例えると、全体的に見ると葡萄に近い形だが、色は柑橘類、表面は苺のような特徴が合わさった不思議なものだ。
今のアイオーンは、果物よりお肉のほうが好きよ──と思いつつも、この『夢』は昔のことだ。その当時の好みについてはさすがに知らない。
その刹那、その『光景』が炎に焼かれた。
(なっ……!?)
目の前が炎だけになる。熱くはないが、あまりに突然だったため、ユリアは思わず目を瞑り、腕で顔を覆った。
再び、ゆっくりと目を開ける。そこにあったのは、たくさんの民家が破壊され尽くされ、炎に呑まれた町だった。
人の営みがあったところが灰燼と化していく。よく見ると、大地が黒い魔力を放っている。目視できるほど相当濃い魔力だ。さらに、ところどころに黒い泥のようなものがあり、それが炎を発しているようだった。
いったい、何があったらこうなってしまうのだ。
──わたしの力を狙う者たちが、町を襲った。
今朝のアイオーンの言葉を思い出す。まさか、これがその光景なのか。ユリアはたまらず走りだし、人がいないかを探した。しかし、誰もいない。すでに避難しているのだろうか。
しばらく走っていると、広場のようなところにやってきた。すると、そこで何かが泳ぐように駆けていった。人魚だ。水の中を泳ぐかのように素早く宙を駈けている。何かを追っているのか。ユリアは追いかけた。
『なんて酷い……! よくも、わたくしたちの町をッ……!!』
悲嘆と憤怒──ヴィヴィアンの声が聞こえてきた。『彼女』の本当の姿は、人魚のような姿だった。下半身は魚の尾の形であり、鱗は青色、尾と腰あたりにはいくつか鰭がある。鱗は光の反射によっては七色に輝くようだ。上半身は人の形だが、肌は鱗と比べて色味の薄い水色。腰から胸部あたりは下半身と同じ鱗で覆われている部分があり、頭部には髪はなく、一本の長い尾が生えているかのような触覚らしきものがある。さらに、両側のこめかみあたりからも細い触覚らしきものが数本あり、それを三つ編みにしていた。指と指の間には水掻きがはっきりとあり、爪は鋭い。顔つきは人間の女性のように柔らかい雰囲気だが、肌の色が水色であるため人外の印象が強い。耳は尖っているが、それも人間のものに近い。
ヴィヴィアンのあとをついていくと、塔の付近で止まった。上を見上げると、塔の上に何かがいる。どことなく蛇のような見た目だが、あれも星霊か。
『──聖杯よ! 時を操る星霊の居場所を示せ!』
そんな言葉が塔から聞こえてきた。宙に、黒い光が輝いている。あれは聖杯だ。聖杯は、とある方向に一線の黒い光線を放ちはじめた。
時を操る星霊などアイオーンくらいしかいない。この光景は、アイオーンが今朝話してくれた出来事なのか。
『やめなさい!! 聖杯を返しなさい!!』
ヴィヴィアンが叫ぶ。
蛇の形をした星霊らしき存在がヴィヴィアンを睨む。
『──自らの命を無駄にしに来たのか、町の長よ』
すると、塔の上から何かが降りてきた。コウモリに似た羽根が背に生えた獅子に、六本の鋭い穂先の腕を持った巨大な蜂。さらに四足歩行の竜のような存在。
『無意味な戦いを望むとは物好きな』
『ほんとよね。邪魔せずに他所へ行けば、生き残ったやつの命は助けてやるって言ったのにさ。こっちは聖杯が欲しいだけなのに』
『まあ。たったひとりだけで、多数の星霊に挑もうと思えるその根性は認めるよ』
悪なる星霊たちが口々に述べていく。
聖杯を奪い、穢し、それを自分の力にしたあとでアイオーンに戦いを挑むつもりだったのか。
ユリアは三体の星霊たちを睨み、拳を強く握りしめる。
三体の星霊と、ヴィヴィアンの戦闘が始まった。
激しい戦闘でも『彼女』は怯まずに攻撃をしかけていく。それでも、少しずつ劣勢となっていく。ヴィヴィアンが傷ついていく。それでも闘志の宿る目は消えなかった。
しかし──。
『終わりだ』
ヴィヴィアンの胸部が、魔力の光線によって貫かれた。『彼女』は仰向けに倒れこみ、力のない虚ろな目で聖杯を見つめている。
『要らぬ時間を消耗してしまったな……。そろそろ彼奴を探しにゆこう』
悪なる星霊たちが去っていく。聖杯を持った蛇の星霊も居なくなった。
すると、ヴィヴィアンは虚空を見つめ、唇を震わせながら口を開いた。背から血が広がりつつあるが、まだ生きている。誰か。誰かいないのか。まだ助かるはずだ。
ユリアが必死に周囲を確認する。
その時だった。
『お願い、します……聖杯、よ……わたくしが……贄となりますから──』
ヴィヴィアンが泣きながら呟いている。口からは血が溢れている。さらに口を大きく開き、そして──。
『あの御方を傷つけないでえええええッ!!』
どこからそんな力があったのかと思うほどの咆哮が、燃え盛る町に響いていく。
あの御方とは、きっとアイオーンのこと。ヴィヴィアンはアイオーンを愛していた。これまでに、ふたりにどのような交流があったのかは判らないが、ヴィヴィアンは、町が襲われた原因がアイオーンだとは思っていない。本当に恨んでいれば、このような言葉は出てこない。
その時、町の中から──悪なる星霊たちが向かっていった方角──まばゆい白い光が発生し、やがてそれは強い光となって周囲を、そして町を呑み込んだ。
この光は、聖杯から発せられたものだ。なぜだか判らないがそう確信できた。
そして、ユリアもその光に包まれた。見える景色が覆い被され、すべてが真っ白となった。
◆◆◆
ユリアは、ゆっくりとまぶたを開いた。海の上を立ったまま微睡んでいた。
後ろから仲間たちの呼び声が聞こえる。海に立つくらいの魔力はまだあるが、いずれすぐに消えていくだろう。早く陸地に戻らなければ。振り返り、足元を漂う魔力で見えない足場を作る。すでに十分な魔力はなくなりつつあり、靴の底が海水に浸かってしまった。海に最後の足場を作り、そこを力強く蹴り上げた。最後は魔力で強化した脚の跳躍力で岸辺を目指す。
なんとか浅瀬に辿り着けた。しかし、間が悪く波が来たため、靴全体とスラックスの裾が濡れてしまった。
ガラードはどうなっているのだろう。魔術で海を操って引き離したが無事なのか。
「ユリアちゃん! 大丈夫!?」
「……異変は起きておらぬようだな」
浜辺に上がると、イヴェットとアイオーンが駆け寄ってきた。他の仲間たちは安堵した顔を見せている。ユリアが閉じ込められている間に、誰も怪我はしていないようだ。
「ええ。今のところは大丈夫よ。閉じ込められたけれど、聖杯は何もしてこなかったわ。だから内側に吸収した──けれども……なんだか、吸収されることを望んでいたようだった……」
「ガラードを怪物化させたのは、きみをここにおびき寄せるためだったか……」
「そうかもしれない……。ところで、あの子の容態は……?」
「アシュ姉が診てくれたけど、今はとりあえず大丈夫そうだって」
イヴェットの報告を聞きながら、ユリアはガラードが寝かされているほうを見る。パーシーが物憂げな顔でそばにおり、アシュリーもいた。彼女と目が合うと、詳細を話してくれた。
「外傷はないし、脈もある。けど、ちょっと衰弱してる感じやわ……。身体も細いし……。さっき、警察署に一通りの事情説明して、こっちに車で来てくれることになってる。事が事やから、内密に病院連れてってもらうつもり。もうすぐ来ると思うわ」
「……わかったわ」
体力の心配はあるが、病院で対処してもらえれば回復できるだろう。
そうだ、夢のこと。ついさっき見た夢をアイオーンに伝えなければ。
「ところで、アイオーン。夢の──痛っ!?」
しかし、急に思考を阻むほどの頭痛が起こった。そして喉に何かが詰まった感覚が起こり、声が出ない。息苦しい。
「どうした!?」
この人に伝えたいのに。ヴィヴィアンは、あなたを想っていた。きっと何かのきっかけで、緩やかな交流が始まったのでしょう。ヴィヴィアンの町は破壊されてしまったけれど、『彼女』はそれをあなたのせいだとは思っていない。あなたを守ろうとする意思があった。
あの夢は、ヴィヴィアンの記憶だ。なぜ聖杯を取り込むと『彼女』の記憶を見るのか判らないが、間違いない。
「ヴィ──ッ、く……!」
駄目だ。目の奥が重くなってきた。伝えようとするだけで身体が疲弊してしまう。この症状は、すべて聖杯が原因だ。ユリアの身体に影響を与えている。
苦しみのあまり、ユリアが伝えることを諦めると、それらの症状がぴたりと止んだ。だが、もう一度夢のことを伝えようとすると、それらはまた起こった。
「──言え、ない……。聖杯が、邪魔をしている……」
「……無理はするな。ひとつの欠片だけでも、人間には強すぎるものだ。やむを得ないとはいえ、欠片をふたつも身体の内側に封じていれば何かが起こってもおかしくはない」
これ以上、体力を使えば仲間に迷惑をかけてしまう。諦めよう。
そう思った瞬間、身体の苦しみが消えていった。
「そうね……」
ちょうどその時、一台の車が近くに到着した。
アシュリーたちが対応し、クレイグがガラードを抱き上げて車の後部座席に運んでいく。
パーシーは、浜辺からガラードが運ばれた車を見つめている。
「……心配なら行ってもいいのよ」
ユリアは、パーシーに近寄りながら声をかけると、彼は首を振った。
「大丈夫です。何もできませんし、目が覚めるまで落ち着いていられなさそうなので……」
ガラードを乗せた車は病院へ向かっていった。ユリアたちは車を見送る。車が見えなくなると、クレイグたちが浜辺へと戻ってきた。
「……皆さん……あの話の続きを、話します」
特務チームが全員揃うと、パーシーが言葉を紡ぎはじめた。




