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第三節 持たざる者たち ①

「助けて……?」


『聖杯を壊した挙げ句、森に火をつけておきながら助けを求めるなんて虫の良い話だというのは解ってます……! でも、あのままだとガラードや誰かが死んじゃうかもしれない! 聖杯の欠片が、ガラードを怪物にしたんです!』


 聖杯の欠片のせいで、怪物になった──。

 ユリアの背筋が凍り、手にじわりと汗が滲む。

 アヴァル国が海に面している部分は狭い範囲のみだ。そこにはアヴァル国で唯一の港がある。

 なぜ、その付近に聖杯の欠片があったのだろう。そちらの方面に流れていたなら、目撃者がいてニュースになるはずだ。もしや、一度は別方向の海に落ちて、海の中で移動して岸辺に上がってきたのか。怪物は誰かを害していないか。街に被害は出てないのだろうか。気になることが次々と出てくる。


『聖杯から出てきた黒い霧のようなものに包まれて……! 探して、やっと見つけて……何も起こっていなかったからガラードが拾い上げたら、急に黒い魔力が出てきて、ガラードを包んだんです……! そしたら怪物になって、苦しそうに唸って──』


「落ち着いて! あなたの近くに警察署の人はいるの!? まずはその人に代わってちょうだい!」


 聖杯の欠片の力に負ければ、自分も怪物に変貌するのか。そのことが頭をよぎり、焦る声色を出す。一抹の恐怖が生まれるが、今は怯えを感じている暇はない。忘れろ。今は、現地の警察署に伝えるべきことと聞くことがある。


「お電話代わりました!」


 少年の話を聞いていたであろう警察署の男性は、声を裏返させた。怪物やら黒い霧やら不穏な言葉ばかり飛び交っていたため混乱しているのだろう。


「先ほど少年が言ったことについては、我々ヒルデブラント王国軍極秘部隊の任務に関連する事件です。よって警察署の方々には箝口令を敷かせていただきます。誰にも口外なさらないでください」


『りょ、了解しました。すでに署の魔術師たちが対応に向かっていますが──』


「いけません!! すぐに引き返すよう連絡を入れてください!!」


 ユリアは大声を出して男性の言葉を遮った。そのまま捲し立てるような口調でユリアは続ける。


「たとえ警察署の魔術師であろうと、その怪物に近づいてはなりません! 今できることは、怪物が街に向かってこないかを遠くで監視をすることです! 直ちに監視のための人員配置をお願いします!」


「は、はい!」


 聖杯の欠片には魔力を作り出す力がある。もしも魔力を作っていたら、現代の魔術師では耐性がないため命の危険がある。症状が軽くても動けなくなる場合もある。だから一刻も早く戻る指示を要求した。

 ユリアの勢いある声に圧された男性は、力強く返事をすると、電話の向こう側でバタバタと物音を立たせた。やがて、その音が消えてゆく。言われたことを対応するためにその場を離れていったのだろう。


「──パーシー! 聞こえるかしら!?」


 少年に声をかけると、「は、はい!」との声が聞こえた。


「私たちは、すぐにあなたがいる所へ向かうわ。怪物のことは対応する。その代わり、私たちの質問にはすべて包み隠さず話しなさい」


「……わかりました」


 少年の言質をとり、ユリアは電話を切った。聖杯を盗んだこと、壊した理由、そして力を求める理由など、少年にも聞きたいことがある。

 今すぐに港のほうへ向かわなければ──ユリアは、アイオーンと目を合わせた。


「……聖杯を割った少年のひとりが、聖杯に取り込まれて怪物となったらしいわ」


 ユリアの端的な説明を聞いたアイオーンは「聖杯め」と恨めしそうに呟き、眉間にしわを寄せている。


「今から、あの子がいる港の警察機関へ向かいましょう。私が皆に連絡するから、アイオーンは準備をして」


「わかった」


 夢のことは、中途半端なことしか聞けなかった。

 アイオーンとヴィヴィアンはどのような間柄なのだろう。



◆◆◆



 車でアヴァル国唯一の港町の警察署に向かうと、入口には男性警官がひとり、そして聖杯を欠片にした少年がいた。ふたりの警官は極秘部隊に敬礼する。ふとユリアがパーシーに目をやると、少年は申し訳なさそうに目線をそらした。


「極秘部隊の皆様、お待ちしておりました。ただいま、この署の魔術師たちが怪物の動向を監視しております。現在、怪物は……なぜか沖におりまして……海の上に留まっているとのことです。街に被害は出ておりません」


「海の上を──わかりました。ありがとうございます。ちなみに、怪物はどのような姿をしているのですか?」


 ユリアが問う。


「監視役からの情報によると、少し前までは顔のない泥人形のような姿をしていたようですが、今はスライムのような球体に変形しているようです。そして、浜辺のあたりから魔力濃度が上がっているとのことです。ここには母なる息吹はないので、実に不可解な現象なのですが……怪物は、まるで死神のようです……」


 現代の魔術師からすると、死神のように見えるのも無理はない。魔力は、濃度が高くなると人を死に至らしめる劇物となる。

 私も、聖杯を回収していけばそのような怪物になってしまうのだろうか。

 死神。その言葉を頭のなかで反芻する。

 そして、無意識に両親とテオドルスを殺した日のことが脳裏に蘇った。あの日は、自分自身は死神だと思った。

 また、死神になるのか。


「あの……極秘部隊の皆さんは、これからどのように対処なさるのですか……?」


「……このことは極秘任務に関連することです。怪物のことは不安だとは思いますが、これ以上お教えすることはできません。これからすぐに、私たちは怪物がいるところへ向かいます。なので、監視役の魔術師たちを撤退させてください。この町に危害が及ばないよう最善を尽くします」


 今は、あの日とは違う。

 もしも死神になったとしても、みんながいる。

 ひとりじゃない。昔の私なんかじゃない。

 もう一度、死神になろうとも──覚悟の上だ。


「……わかりました。よろしくお願いします」 


 一礼すると、警官は踵を返して署内に向かっていった。


「あの……ボ、ボクは……」


 罪悪感と恐怖の声色。手を震せた少年は、ユリアたちと目線を合わせようとはしない。一歩後退りし、少しずつ顔を俯かせていく。


「あの子が怪物となって、どれくらいの時間が経ったの?」


 俯く少年と目線を合わせるために、ユリアは膝をついた。少年は、おそるおそるにちらりと見る。空色の目に怒りはなく、ただ話がしたいという真っ直ぐな気持ちを感じさせる。そのことを感じ取ったのか、手の震えが少しずつ止まっていく。


「ま、まだ一時間くらい、です……」


「あの子はあなたと同じく、聖杯が生み出した魔力に満ちたところにいても身体の異変は見られなかった。それは、ある程度の魔力耐性がある証拠よ。すぐに聖杯の欠片から離せば、命は助かるかもしれない」


「ほ、ほんとに……?」


 希望が見えたことにパーシーの声色が明るくなる。しかし、テオドルスは首を振る。


「あくまでも可能性だよ。それに、下手に攻撃したら、その子の身にも攻撃が届いてしまうかもしれない。……最悪のことは、覚悟しておいたほうがいいだろう」


 パーシーは声を喉につまらせた。親しい人の死を覚悟せよとの無慈悲な言葉に、みるみる青ざめていく。すると、ユリアは不安を払うように少年の肩を掴んだ。


「言ったでしょう? あくまで可能性よ。私たちにもまだ判らない。だから望みもある。──パーシー、案内をお願い。魔力で身体能力を強化させて走りなさい」


「……は、はい……! こっちです」


 一行は、パーシーの案内のもと海の方角を目指した。夜のため町には人がいない。街灯も少なく、道の先が見えにくい。

 町はいつも通りの日常を過ごしているようだった。民家には明かりがついている。逃げ惑う人などひとりもいない。警察署は、町の人々にこの事件を知らせていないのは明白だが、それはあえてだろう。怪物は、町に向かうどころか海の上にいる。そこから動いていないため、人に危害を与えるつもりはないようだ。何も被害がないのなら安心だ。しかし、怪物の目的は何なのだろうか。

 数十分後、ユリアたちは浜辺に到着した。穏やかな波の音だけが聞こえる。周囲を見渡すも何もない。

 しかし、異変は確かにある。そのことを指摘したのはクレイグとアイオーンだった。


「……『嫌な』魔力だな……」


「ああ。聖杯の欠片が生み出す魔力に違いない。おそらく、あちらも我々がいることに近付いているはずだが……寄って来る気配はないか」


「お兄さんたちって、ボク以上に魔力に敏感な体質なんですね……。何か特別な薬でも飲んでるんですか……?」


 現代の魔術師なら、その考えに行き着くだろう。

 極秘部隊に所属する魔術師のなかにも、魔力生成量を増やすために特別な薬を飲み、体質を調整する者は少なくない。クレイグも、ユリアの血を飲む前は薬を使用するときはあった。

 このような薬は、星霊の血を飲んで強化を促すことに似ている。しかし、薬の場合は、ひとつかふたつの能力を一時的に向上させるだけだ。星霊の血は、人間の身体に様々な変化を促し、何もしなければ永久的に変化した能力を持つことができる。

 研究が進めば、星霊の血を飲むような体質の変化が望める薬ができるかもしれない。だが、現代の魔術師は昔の魔術師ほど魔力に耐性がないため、現実的なことではないだろう。現在作られている薬も、多用は避けたほうがいいとされている。


「それは、極秘部隊に関することになるから答えられないわ。──ところで、あなたはなぜ私に助けを求めたの? 確かに、私たちは聖杯を探していたし、何か対応できるかもしれない。それでも、私はあの子に剣を向けて殺す意思を見せたわ。それなのに、電話ではわざわざ私の外見の特徴を言って指名したのはなぜ?」


 ユリアがずっと不思議に思っていたことを話すと、パーシーは困り顔で俯いた。

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