第五節 忍び寄る暗雲の影 ①
また、あの『夢』を見た。
雪のような色で、毛先に癖のある長い髪を持った人の後ろ姿が見える。文様などの装飾が一切ない白いローブのような衣服を来て、湖の上を立ちすくんでいた。
青空を見ているその顔は、いったいどんな表情をしているのだろう。何を思って、そんなにも空を見つめているのだろう。それを知りたい。一歩踏み出したい。しかし、その勇気が出ずにもどかしく想う感情がある。それは、ユリアが抱いた感情ではない。おそらく、ヴィヴィアンのもの。
前回の夢で、ヴィヴィアンと呼ばれた女性が見ている風景と抱く感情らしきものを、ユリアは追体験するように感じていた。眠ったときにしか体験できないため、ユリアはこれを夢としている。夢にしては、かなり不思議な体験だが。
何もできずに、ユリアはただヴィヴィアンの目から、毛先に癖のある長い白銀色の髪を持つ人物の後ろ姿を見続ける。それでも、あの人物が振り向くことはない。
やはり、似ている。
ユリアにとって、その後ろ姿はとても見覚えのあるものだった。
──アイオーン。
◆◆◆
ブーッ、ブーッ、と低い振動音が何度も聞こえる。携帯端末の目覚まし時計の機能で設定したバイブ音だ。寝台としていたソファーの隣にある机上には、掃除道具と携帯端末が置かれている。ユリアは、ソファーに寝転がったまま机の上の携帯端末を手に取り、画面を操作して振動を停止させた。
目を擦りながら、ぼんやりとした脳内に、数日前の出来事が無意識に蘇る。アイオーンが、命を削りながら戦っていたことが判った途端に、己は冷静さを失って我儘なことを言ってしまった。
聖杯の欠片は、自分ひとりでは敵わない敵だ。それをわかっていながらも、アイオーンが傷つくことを恐れ、残りの聖杯の欠片はひとりで挑みたいと言ってしまった。
仲間に情けないところを晒してしまった。戦士として戦ってきたくせに。あの日のことが、心の傷になってしまっているとはいえ──目覚めてすぐに、そのことを思い出してしまい、ユリアは気持ちを沈ませる。そのまま起き上がることはせず、目を伏せた。
湖の一件から数日が経った今日も、残りの聖杯の欠片の情報はまだ来ていない。ガラードとパーシーについても同じだ。
アイオーンと聖杯の欠片との激しい戦闘を見た翌日から、特務チームはさらに鍛錬に打ち込むようになった。あの戦いは、現代で生まれた仲間たちにとっては初めて見た『約千年前の戦争』そのものだった。今までの稽古では、環境的にあそこまでのことはできないため、ユリアたちは見せたことはない。そもそも、そのレベルの戦闘技能は、基本的には現代人には必要のないものだ。
一ヶ月と少し前に起きたヴァルブルクの事件でも、あのような戦闘が起きてもおかしくなかったが、幸運にも見ることはなかった。テオドルスと両親が、不信派の暴走を抑えてくれていたからだろう。
だが、今は違う。この任務では、想像以上の危険が多く発生してしまうだろう。なので、現代で生まれた仲間たちは、自分ができるせいいっぱいの力を得ようとしている。死なないように、守れるように。恐怖と戦いながら、聖杯の欠片との戦闘に備えて学んでいる。そのため、今日もアシュリーとユリアを除いた仲間たちは、国から母なる息吹がある地を借り、そこで鍛錬をしている。
なぜ、アシュリーは稽古に参加していないのかというと、アヴァル国の魔力研究所に赴いており、さらにヒルデブラント王国の王室魔力研究所に連絡をとり、とある物の製作依頼を行おうとしているのだ。
とある物とは、アイオーンとテオドルス、そしてユリアが考案した聖杯の欠片対策用の道具と、ダグラスの武器だ。
ダグラスは、どうやら接近戦よりも遠距離攻撃が性に合っていることが判明し、遠距離攻撃を主としながら接近戦も可能にできる武器がいいということで作ることになった。銃には慣れているため、斬撃や打撃ができる武器に変形するライフルのような長銃を作るらしい。
稽古には、もちろんユリアも行くつもりでいた。しかし、仲間全員から「今は休め」と言われたため、留守番をすることになったのだ。先日、取り乱したことから、とりあえず精神を休ませろということだろう。
それでも、休めと言われても休みにくい。屋敷でやれることといえば、自主トレーニングや家事をくらいだ。娯楽もあるが、夢中になれそうにない。なので掃除をしていて、それから少し眠たくなってきたので居間のソファーで寝ていたのだ。先日から寝付きがよくなかったため、眠気が襲ってきたのだろう。
そして、今に至る。
「……あれは、本当にアイオーンなのかしら……」
ユリアは、夢のことを思い出す。聖杯の欠片を取り込んでから見るようになった不思議な夢。今のところ、聖杯の欠片による身体の変異はない。うまく抑え込めている。
しかし、夢は二度目だ。一度だけの夢ならそこまで気にしなかったのだが、少し気になってしまった。タイミングを見て、アイオーンに伝えてみたほうがいいかもしれない。
「──そうだわ……。出掛けないと……」
目覚ましをかけていた理由をうっかり忘れるところだった。これから大事な用事があるというのに。
今日は、サンジェルマンから招待されているパーティーが催される日だ。だから、夕方までにはレンタル予約をした自分のドレスと、ラウレンティウスのスーツを受け取りにいかないといけない。
ユリアは起き上がり、掃除道具を片付けると、自室に戻って出掛ける準備をした。そして、玄関に向かおうと廊下を歩いていると、「ただいま〜」と気の抜けた声が響いてきた。アシュリーだ。
「おかえりなさい。アレと総長の武器は作れそうだった?」
「総長の武器は、ヴァルブルク製の武器みたいにアイオーンの血ぃ使うことになった。アイオーンも許可してくれたし。アンタら三人が考案したヤツは、アヴァルの研究所が試作品作ってみるってさ。──今からどっか行くん?」
「ドレスとスーツを受け取りにいかないと」
「あ、そっか。いってら〜」
軽く挨拶をすると、アシュリーはユリアの脇を通って屋敷の奥に足を進めようとした。すると、ユリアは不安そうな顔になって彼女を引き留める。
「あ……ねえ、ちょっと──あのドレス、本当に私に似合ってた……?」
「なんや……。ユリアかって、それにするって選んだやん」
「アシュリーとイヴェットがすごく推すし、それ以外認めてくれなかったじゃない……! イヴェットなんて、最初は別のがいいんじゃないかって言っていたはずなのに……」
しかし、ラウレンティウスの反応を見た瞬間、激しく推しはじめたのだ。似合っているというよりも、彼の反応で選んだものだといえる。
さらにユリアは話を続ける。
「それに……ボディライン……ものすごくはっきりと出るものだし……ショールで隠せそうだけど……やっぱり、ちょっと……」
と言って、ユリアが恥ずかしそうに俯くと、アシュリーは口角を上げてニヤニヤと笑った。
「試着の時、ラウレンティウスがそのドレス姿見て恥ずかしそうに目ぇそらしてたから、似合っとるのは確実や。だから推したんやで」
「あの人が恥ずかしそうにしていたのは、たぶんあなたたちの言動のせいだと思うけど」
その時のアシュリーとイヴェットは、ボディラインがどうこう、くびれやお尻がどうなど破廉恥と受け取られそうな言葉を堂々と連呼していた。ふたりの従姉妹が、他の客もいる店内でそんなことをしていれば恥ずかしくも感じるだろう。
「無自覚みたいやから教えとくけど、アンタのボディラインはな、ボンキュッボンやないけどバランスのとれた健康的な魅惑のボディラインや」
「ボンキュッボンやないけどバランスのとれた健康的な魅惑のボディライン」
思わず一字一句違えずに復唱したが、褒められているのか別にそうでもないのか、ユリアにはよくわからなかった。
「不安やったら、ご飯のこと考えとき。今日の晩ごはんはパーティーで食べるんやろ。サンジェルマン主催のパーティーやから絶対豪華やで」
アシュリーは自室へと向かうためにユリアに背を向ける。その瞬間、ユリアの目に光が宿る。
「!! そうだったわ……! 今日の食事は、食べたことのない料理が出るかもしれない──ドレスとスーツを早く受け取りにいかないと!」
脳内を占める物事が、ドレスが似合うか否かから食事の楽しみへと瞬時に置き換わった。楽しみを隠しきれない声色で、ユリアは玄関扉を勢いよく開けて出掛けていった。
「……いや、不安どっかいくの早すぎやろ」
アシュリーは振り返ることをせず、廊下を歩きながら小さくツッコんだ。




