第三節 姿なき謎の伯爵 ②
この音は、間違いなく屋敷の呼び鈴だった。新聞か何かの勧誘か。しかし、この屋敷に人が入居したという情報は世間には流れていないはずだ。
ユリアは、顔を上げてクレイグを見る。彼も不審そうにユリアを見つめていた。そして、ふたりは同時に居間を飛び出し、玄関の庭の先にある大きな鉄格子門が見える窓から訪問者を確認した。
窓から見えたのは黒塗りの高級車らしきものだった。ふたりは、不審そうな顔で目線を合わせると、同時に廊下の床を蹴り上げ、玄関へと向かう。
玄関の扉を開け、庭の先にある鉄格子門に近づくと、髭を蓄えたスーツ姿の老紳士が姿勢良く立っていた。ユリアとクレイグが近づいて鉄格子門を開くと、老紳士は会釈をする。
「突然の訪問をお許しください。あなた様方にお渡ししたい手紙がございましたので、お尋ねしました」
「手紙……? 私たちは、つい先日に引っ越してきましたが、まだ誰にもここの住所を教えていません。どこかのお宅とお間違えではありませんか?」
丁寧な物腰の老紳士に、ユリアは警戒と不審に感じている雰囲気を隠さずに言い放った。しかし、老紳士は特に気にする様子もなく会話を続ける。
「いいえ。旦那様がお間違えになることはありません。こちらの封筒に書かれている住所を見て参りました。ここのお屋敷でお間違いないかと」
と、老紳士は、手に持っていた一枚の封筒をユリアとクレイグに見せた。クレイグが確認し、怪訝そうに老紳士を見つめる。
「……確かにあってますね。……ちなみに、送り主の名前がありませんけど、その旦那様っていうのはどちら様ですかね」
「サンジェルマン様です」
「は……? サ、サンジェルマン……? あの、サンジェルマン伯爵……!?」
疑いの目から一変し、突如、クレイグは驚嘆の声とともに目を見開く。ユリアには何のことかはわからず、クレイグと老紳士を交互に見る。
「やはり、旦那様のことをご存知でしたか。では、こちらの手紙をお受け取りくださいますか?」
老紳士は変わらず平静だった。その問いに、クレイグは渋々ながらも手紙を受け取る。
なぜ、受け取るのか──ユリアは戸惑う。
「ありがとうございます。これにて、わたくしめは失礼いたします。お騒がせしました」
老紳士は一礼すると、黒い高級車に乗り、去っていった。クレイグは、呆然として封筒を見つめている。
「……サンジェルマンって、誰なの……?」
ユリアが問いかけると、手紙を見つめていたクレイグはピクッと動き、我に返った。
「あ、ああ……。サンジェルマン伯爵は、上流階級社会や魔術師社会では有名な人なんだ。性別は男で、階級制度がなくなるまでは伯爵の位を持っていたから、みんなから『サンジェルマン伯爵』と呼ばれてる」
「どうして、そんなにも有名なの?」
「サンジェルマン伯爵の年齢は、三百歳以上って話だぜ」
「えぇ!?」
そんなのは人間ではない。とんでもない魔力研究者か、もしくは星霊か──。ユリアの脳裏に、そのことが瞬時に思い浮かんだ。
「けど、ある時を境に、サンジェルマン伯爵の姿を直接見た人はいなくなった。最後に見かけたのは、今から二百五十年くらい前──六十歳くらいのときらしい。それ以降は、どこそこで生きてるって話は聞くけど、姿は見えなくなったんだとさ。だから、昔から複数人の人がサンジェルマンという名前を継いで活動してるんじゃないかって噂がある。さっきの爺さんも、伯爵の姿は見たことはないだろうな。やり取りは全部、手紙でやってるらしいし」
「それなのに、あのお爺さんはサンジェルマンに仕えているの……?」
「仕えてるのは、全員が身寄りのない戸籍もない人で、サンジェルマンに救われて恩義がある人だっていう噂はあるが……本当かどうかはわからねぇ。サンジェルマンは秘密主義で、誰にも真実を明かさないんだよ。真相に近づこうとする人は消されるっつー不穏な噂もあるから、みんな触れようともしないしな。まあ、真実に近寄らなければ何もしてこないし、気前のいい人でもあるんだよ」
「触れなければ、ね……。けれど、気前のいい人というのはどういうことなの? 人前では、姿を見せないのよね?」
「姿は見せないんだが、昔からたまに人を楽しませるためのパーティーを主催することがあるんだ。パーティーはめちゃくちゃ豪勢らしいぜ。しかも、参加費は必要ないし、どれだけ飲んでも食っても良いんだ。けど、パーティーが催される場所は、母なる息吹を持ってる国々のどこかで、いつもランダムだ。そんで、パーティーに呼ばれる人は、上流階級社会か魔術師社会に属する人のなかでランダムに選ばれる──すべては、サンジェルマン伯爵の気まぐれってわけだ」
「……完全、ランダム……? 特に知り合いでもないのに招待状が来るということ……? 他国の人でも? ヒルデブラントやアヴァルでも、サンジェルマン主催のパーティーが催されたことはあるの?」
謎ばかりが浮かび、ユリアは訳の分からなさに呆けながら疑問を垂れ流していく。
「そうそう」
「……どうして?」
ユリアが首を傾げると、クレイグは困ったように肩をすくめた。
「それが、サンジェルマン伯爵のわかんねぇとこなんだよな……。どこから情報を得たのかも知らねぇし、見知らぬ人でもお構いなしに招待状を出すんだ。しかも、招待状を送った人のことを熟知している手紙付きで──ここまで来ると怖ぇよな。けど、サンジェルマン伯爵は、何百年も昔からの有名人だ。そう思うと、意外とそこまで怖くない。それに、パーティーにお呼ばれしたおかげで思いがけない人脈を得ることもある。なにより、サンジェルマン伯爵というビッグネームから招待状が来たってことは、それだけで自慢できるレベルだ。だから、大抵の人は呼ばれたら会場が他国でも行くみたいだぜ」
人間ではなさそうな人物ではあるが、存外、現代の人々には受け入れられている。怪しいことは確かだが、害はないのだろう。
「そもそも、私たちは国から秘匿されている人間なのよ。どこから情報を得たのかしら……」
国同士の信頼がかかっているのだ。誰かがユリアたちの情報をサンジェルマンに売ったということはないだろう。それならば、どこからか盗んだか。しかし、そんな情報が置いてある場所は国の要所だ。そんなところに忍び込めばニュースになる。
「さあな……。けど、この手紙……オレ的には、ただのパーティーの招待状の送付ってわけじゃなさそうだなって思ったんだよ。サンジェルマン伯爵のことだから、もしかしたらオレたちが極秘部隊だってことはすでに知ってるかもって思ってさ」
「……では、もしも私たちのことを知っているのなら、その手紙は──」
そうユリアが呟くと、クレイグはニヤリと笑う。
「まあ。あくまで、そんな予感がするってだけどな。サンジェルマン伯爵でも、さすがにできないことはあるだろうし──」
そして、クレイグは封筒を開けた。折り畳まれた手紙を開くと、そこにはアヴァル語で文章が書かれている。筆跡は、自信と教養があることを感じさせる大きくて整ったものであり、ひとつひとつの文字が連なって書かれているため優雅さもある。内容を見ずとも文字の形状を見るだけで、格式の高い人が書いたものだと想像してしまうものだった。
「えーっと……『ヒルデブラント王国軍極秘部隊の皆様へ』──!?」
クレイグの直感が、まさかこんなにも早く現実となってしまうとは。彼も絶句している。
「……サンジェルマン……何者なの……」
おもわず背筋に悪寒が走る。今、この瞬間も、どこかからサンジェルマンに見られているのかと思ってしまう。大勢の人から知られているにも関わらず、誰にも姿を見せない謎多き伯爵。この手紙を送り付けてきた目的は何か。クレイグは、震える声で笑いを漏らし、文章を読み進める。
「……『わたくしの使いの者から、突然手紙が届けられたことに驚いておられるでしょう。おそらく、皆様は現在、先日に空を駆けた流れ星を調査すべく奔走しておられるかと存じます』──おいおい……どこまで見通してんだ、この人……」
クレイグは、心の隅から漏れたなんともいえない恐ろしさをひっそりと吐露する。少しの間だけ無言になったが、彼は再び文字を追う。
「──『あの不吉な流れ星のひとつは、アヴァル国立公園にあるニムエ湖の中に落ちたとの情報を掴みました。この情報は、サンジェルマン伯爵の名にかけて嘘ではないと誓います。流れ星を追うのであれば、国立公園のニムエ湖に向かってください』、ね……。この書き方からして、流れ星がひとつじゃねえってことも判ってんな……」
「……まだ、いろいろと書いてあるわね」
サンジェルマンについての疑問は山程あるが、手紙にはまだ続きがあった。それをを読み進めていくと、この手紙は、ただの情報提供で送られたのではなかったということを、ふたりは知ることになる。
「『そして、情報提供の見返りとして、私が主催するパーティーに出席していただきたく存じます』──は!?」
「緊急事態に関する情報提供の見返りに主催するパーティーに来いとか、どういう感性をしているのかしらサンジェルマンという方は!?」




