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ユリア・ジークリンデ (2) ―星の聲 薄明の瞳―  作者: 水城ともえ
第一章 凶星
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第二節 不吉な流れ星 ④

「──え、えいやぁーッ!!」


 なんの前触れもなく、聖杯のそばに、別の少年が鈍器のような物を振りかぶる姿で現れた。


「気配遮断と目くらましの術……!?」


 黒い狼のような敵と戦いながら、テオドルスが反応したが、遅かった。鈍器は振り落とされ、ガシャンとガラスが割れたかのような音が響く。

 聖杯が、砕けてしまった。

 その直後、アイオーンを拘束する蛇が消滅し、特務チームを襲う動物たちも蒸発したように消えていく。

 砕けた聖杯は、細かいいくつかの欠片と大きな三つの欠片になるという無惨な姿になっていた。細かい欠片と大きな欠片は、それぞれに黒い力を帯びており、そのうち大きな欠片である三つが空高くに舞い上がる。


「……え?」


 次の瞬間、三つの欠片が、別々の方向に高速で空を駆けていった。まるで、昼間に流れる星のように。


「ガ、ガラード! やったけど、どうしよう……!?」


 聖杯を砕いた気弱そうな声を発する少年は、オロオロしながらユリアにナイフを向ける少年に目を向けた。気弱そうな少年も、使い古されたかのようなヨレヨレの衣服を着ている。すると、ガラードと呼ばれた少年は、ナイフを下ろして目くらましの術と気配遮断の術を発動し、姿と気配をできるかぎり消した。


「追いかけよう、パーシー!」


 ガラードがそう言うと、パーシーという少年も目くらましと気配遮断の術を使い、追跡されにくいようにした。


「待ちなさい!」


 ユリアが叫ぶ。


「つ、ついて来ないでぇ〜!!」


 そんな情けない声が聞こえた直後、周辺にある枯れた木々に火がつき、まるでそれは木を伝う蛇のような生き物であるかのように素早く燃え広がっていく。やがて、ユリアたちは、瞬く間に激しく燃え盛る火に囲まれた。子どもたちの気配が消え、全身に熱を強く感じる。

 姿の見えないふたりの子どもは、さらに細かい火球をいくつも出現させ、四方八方に炎を撒き散らしながらどこかへと消えていった。


「やべぇ! 伏せろ! 煙を吸うな!」


 ダグラスが叫ぶと、ユリア、アイオーン、テオドルス以外は即座に伏せる。立ったまま炎と向き合う三人は、大気中の魔力を操っていた。


「三人とも! どうにかできるか!?」


 ダグラスが問うと、ユリアが頷いた。


「できます! 総長たちはそこに! ──やるわよ、ふたりとも!」


 ユリアが号令をかけると、三人は協力して暴風を起こした。細い枝がバキバキと音を立てながら勢いよく折れ、地に落ちていたたくさんの葉を舞い上がらせながら、炎は少しずつ消えていく。水ではなく風を喚び起こしたのは、そちらのほうが早く魔術を発動でき、広範囲に消すことができると判断したからだ。やがて、付近の火が完全に消えると、風は止んだ。

 続いて、テオドルスが地を強く蹴り上げて空を舞い、森を見渡す。魔力が少ないため宙に浮くことはできないが、落ちる時間を遅くするくらいはできる。それを利用し、地上では見えない火の気がいくつかあるのを確認できた。そして、彼は、とある魔術を使う。

 ──この場所を頼む。

 ユリアとアイオーンの脳内に、テオドルスの言葉と彼が見ている映像が浮かび上がった。街中よりも魔力がある場所であるため、一時的な視覚共有と意思伝達の魔術を使った。テオドルスから場所を伝えられたふたりは、地を蹴り上げ、それぞれの場所へ向かう。ふたりの姿が一瞬にして消えると、離れた場所から、強い風がラウレンティウスたちの元にまで届いた。

 その間に、テオドルスが地に降りてきた。彼は、聖杯が砕かれた場所へ行き、弱々しく黒い光を放つ細かい聖杯の欠片を見つめた。欠片は、それ同士が繋がろうとしているのか、少しずつ動いている。


「……終わったわ。飛び上がって確認したけれど、他に火の気は無かった」


「こちらもだ。最小限の被害で済んだ」


 数分もかからず、ふたりは帰ってきた。日常だと実感はないが、この三人は約千年前の戦争を経験しているからこその冷静さがあった。しかし、ユリアたち曰く、母なる息吹が無い場所であれば役に立てない場合も多いという。大気中に魔力がある程度あるからこそ、できることが多くなっているだけ。それに、今は戦時下ではないため、昔に比べて思考が甘くなり、いろいろと鈍っている部分もあるとのことだ。現に、ユリアはアイオーンの危機に慌ててしまい、ガラードに対して雑な拘束魔術を施してしまった。現代の子どもだからということもある。


「はぁ〜……焼かれるかと思ったぜ……。ありがとうな、三人とも」


 ダグラスは立ち上がり、安堵した笑みを浮かべて礼を言った。


「喉や肺に、火傷はしていませんか?」


「消火が早かったからな。問題ない。助かった」


 ラウレンティウスがそう言うと、他の仲間たちも礼を言って立ち上がる。


「問題ないなら良かったわ。……けれど──」


 仲間が無事だとわかると、ユリアは憂いた顔をしてテオドルスが見ている聖杯の欠片に近づいた。欠片は動き続け、くっついてひとつになろうとしている。


「この火事で、子どもたちの気配を見失ってしまった……」


「それはユリアのせいではないよ。ひとまず、これを見てくれ──砕いたら聖杯の力が分散されるかもしれないというのは、意外と間違っていないのかもしれない」


 聖杯は、高杯の形をしていた時よりもはるかに力が弱まっていた。欠片が小さすぎるということもあるのだろう。


「……そうね。そして、聖杯には意志があるかのように、欠片はそれぞれ別方向へと散っていったわね……」


 ユリアは、ふとアイオーンを見た。別の方向を向き、何かを憂うかのように空を見上げている。


「──この聖杯の欠片は、私の内側で管理しておくわ」


「え、えっ!?」


 ユリアの発言に、イヴェットが戸惑った。彼女のいとこたちやダグラスも同じ反応をしている。


「欠片とはいえ、ここに置いておくわけにはいかない。小さくとも、これには確かに聖杯の力がある。それに、私の内側ならば、聖杯の魔力が表に出てくることはないと思うわ。……相当な強さにならない限りは」


 テオドルスよりもユリアのほうが魔力生成量が高く、くわえて彼よりもアイオーンの血に適合し、人間というよりは星霊に近い変質を遂げているため身体が強いのだ。現在のアイオーンは、造り物の『器』であるため、聖杯を管理することは避けたほうがいい。なので、保管場所に一番適しているのはユリアの内側だった。『内側』といえど、いつかのアイオーンの核のように、肉体の中に入れるという意味ではない。身体の内部に固定された異空間を作り、そこの中に保管しておくのだ。

 ユリアは、魔術で欠片を浮かせた。細かい金色の粒が宙に浮き、そして、ユリアの胸部あたりで空間が歪んだ。そこに黒い光を淡く放つ欠片たちがゆっくりと吸収されていく。すべてが内側に入ると、空間の歪みは無くなった。


「……アイオーン。私が管理することに異論はない?」


 奇妙な魔力を放つ欠片を吸収したが、ユリアは平然としている。そんな彼女とは反対に、アイオーンは元気がなかった。何かを案じるような、悲しんでいるような、そんな顔をしている。


「……ああ」


 そして、ユリアはアイオーンに近づき、軽く頭を下げた。


「……先ほどは、助けてくれてありがとう。私が焦って、拘束魔術を雑にしてしまったから……。逃してしまってごめんなさい……」


「きみが無事ならば、それで良い。……皆もそう思っているはずだ」


「……どうして、聖杯からの攻撃を避けなかったの? あなたなら避けることはできたはずなのに」


「……そのことに関しては、迷惑をかけてしまった。わたしのせいで、きみを危険な目に遭わせてしまったようなものだ。すまない……」


 アイオーンは、目線をそらして謝罪するだけで理由は言わなかった。聞きたいことは、それではないのだが──。


「私は、あれくらいのナイフに刺されても死なないわ。……まだ、何も言えそうにない……?」


 ユリアは、真っ直ぐに見つめた。そんな彼女の目を見たアイオーンは、目を伏せて言葉を紡ぐ。


「……判らぬことが、まだあるのだ。感情も思考もまとまらぬ……。ゆえに、まだ……待ってほしい……」


「……わかった」


 ユリアの声は優しかった。彼女がそう言うと、アイオーンは小さく「すまない」と言って後ろを向いた。

 このやり取りで、ユリアは確信する。聖杯とアイオーンには繋がりがある。それも、アイオーンが憂うような出来事があったのだ。いったい何があったのだろう。出会う前までのアイオーンは、誰にも心を開かなかったはずだ。もしや、誰かに心を開きかけたことがあったのだろうか? それとも、誰かを意図せずに傷つけてしまったことがあるのか? ユリアの心に、アイオーンが知っているであろう『誰か』への、なんとも言えない複雑な感情が占めていく。


(……違う。今すべきことは、これではないわ)


 そもそも、そんな『誰か』が本当に実在していたのかもまだ判らない。すべては自分の妄想。考えるだけ無駄だ。アイオーンが教えてくれるまで待っていなければ。


「……子どもたちは、想像以上に魔術が上手かったわね」


「ああ……。気配遮断と目くらましを同時に使える魔術師……まさか、イヴェットたち以外にもいるとは思わなかったな……」


 テオドルスが悔しそうに言うと、ユリアは頷いた。そして、深呼吸をし、次に何をするべきかを考えた。


「……聖杯の欠片のゆくえについては、警察機関だけでなくスミスさんにも情報提供を頼みましょう。これは一大事だわ。──ですよね、総長」


 ダグラスに話を振ると、彼はハッとした。彼もこれからのことをいろいろと考えていたのだろう。


「ん……ああ。そうだな。ガラードとパーシー……だたたか。こうなった原因を作った子どものことも報告せんといかんな」


「あっ、総長。凶暴化して、殺しちゃった動物たちのことも伝えておいたほうがいいかと思います。聖杯のせいで、ここの生態系がめちゃくちゃですから……」


 イヴェットが、倒した動物たちに目をやる。この動物たちや植物たちは、この騒動の被害者だ。ダグラスは「そうだな」と同意した。


「聖杯の欠片……空に飛んでったから、ニュースになるかもしれへんな」


「ああ。欠片が流れていくとこは、一般の人も見てるかもしれねぇ。動画や写真撮ってたりな。だから、携帯端末でどこに飛んでったかっつー情報収集ができるかもだ」


 アシュリーとクレイグの読みは当たるかもしれない。今の時代は、一般の人々でも、さまざまな情報を瞬時に発信できる。流れ星や火球が流れるだけでも、その話題が国中に広がるだろう。


「だな。とりあえず、俺が今からひと通りのことをアヴァルの警察機関やスミスさんに連絡する。ちょっと待ってろ」


 ダグラスは、そう言って携帯端末を取り出した。こんなところでも電波は繋がるようで、連絡を取るために少し離れた場所へ歩いていく。


「聖杯を盗んだのは、あの子どもたちである可能性があるな……。どうやって盗んだのか。聖杯の傍にいながら、どうして害を受けていないのかはわからんが……」


 ラウレンティウスが、聖杯の話の延長として子どもたちを話題に上げる。すると、ユリアは、今考えていることを順に述べた。


「あの子たちは、魔力の扱いに長けているみたいだから、遺跡の仕掛けも解けると思うわ。少し特殊名魔術師のようだったから、防護服も要らなかったのかもしれない……。害がなかった理由は、聖杯そのものに何か理由があるのか──。そして、ここに聖杯を置いていた理由は、母なる息吹があるからではないかしら。人が近寄らないから、ちょうど良いと思ったのかもしれないわね」


 アシュリーは、少し離れたところでこちらに後ろ姿を向けているアイオーンをちらりと見た。上の空なのか、ほとんど動こうとしない。


「……アイオーンのことは、今は放っておいてあげてほしい。本人も、かなり戸惑っている様子だからね……」


 目線がアイオーンに向けていたため、テオドルスが一言添える。アシュリーは、軽くため息をつきながら頷いた。


「……まあ、まだまだわからんことは多いけど──とりあえず、パーシーとかいう子が持ってた武器は、人工魔力が用いられた武器やと思うわ。研究で人工魔力と長く接してたウチの勘が言ってる……人工魔力の気配と似てたし……。あのふたり、どっかの研究所と関係してるかもな」


「研究所、か……。帰る場所はない、って言ってたな……。まさか、オレたちみたいに耐性力があるのは──」


 クレイグは何かを推察したが、嫌そうに顔を顰めて首を振った。


「あの子たち、何が目的なんだろうね……。聖杯を分割して、弱まった聖杯の力が欲しいなんて……。聖杯の欠片を追っていったし、本当に欲しいんだろうな……」


 イヴェットも疑問点を言うと、ラウレンティウスが謎だらけの現状に対してため息をついた。


「──判らないことは、一旦置いておこう。逆に判ることといえば、ここの動物が凶暴化するか死ぬかの違いは、動物による魔力耐性力の差ということくらいか……?」


 テオドルスに問うと、彼は頷いた。


「きっとそうだと思うよ。ここには、小さいながらも母なる息吹があった。だから、ここにいる動物たちのなかには、魔力に対する耐性があった個体もいたんだろう。それらが、聖杯が放つ霧を吸い込んで凶暴化し、爪や体毛、姿が変異したのではないかな」


「……念のため、魔力の研究サンプルとして爪や体毛とか採取しとこか。何か判るかもやし」


 アシュリーは、レッグポーチから携帯ナイフとチャック付きの透明の袋を取り出すと、倒した動物たちから爪や毛などを採取し始めた。


「……やれやれ。調査することが、ここに来て一気に増えてしまったな……」


 テオドルスも、ため息混じりに本音を漏らした。今日だけでもいろいろなことがありすぎた。


「待たせたな、連絡完了だ。とりあえず、今日のところは屋敷に戻ろう」


 ダグラスがそう言うと、メンバーたちは森から出るために足を動かし始めた。しかし、アイオーンだけは、まだ背を向けたまま動こうとしない。


「……アイオーン」


 ユリアが声をかけると、ようやくアイオーンは振り向いた。そこには、憔悴した顔があった。次になんと声をかけるべきか、ユリアが悩んでいると、アイオーンは仲間を追って歩き始めた。


「……ああ……()こう」


 その力のない声に、ユリアは何も言葉をかけられなかった。

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