第二節 不吉な流れ星 ③
クレイグとイヴェットが黒い霧を見たらしき場所に到着すると、少しだけ開けた場所に出た。その周辺の植物はすべて枯れ果てており、木も腐って朽ちている。
そのなかに、ひときわ大きな木が朽ちており、その根本の部分には、黄金に輝く高杯の形をした物体が異様な気配を放ちながら存在していた。
「あれは──聖杯!?」
ユリアが声を上げる。メンバーは、「なぜ」、「いったい誰が」と疑問を口にしていくが、アイオーンだけは無言のまま目を見開いた。
本当に、どうしてこんなところにあるのだろう。あたりに人はいない。動物たちもだ。黄金の杯からは異様な魔力の濃さを感じる。この魔力の濃さは、母なる息吹の異変ではなく、あの杯が作り出しているように感じる。無防備に近づくよりも、何か対策をしてから近づいたほうがいいか。そんなことを考えていると、黄金の杯の器の中から黒い煙のようなものが薄くたった──と思いきや、すぐに消えた。
「あの黒い霧は、これか……。にしても、身体が重いな……」
クレイグが呟く。それはほかの仲間たちも同じだった。
すると、ユリアが何かに気がついた。
「どうしてかしら……。聖杯にヒビが入っているわ……」
目を凝らすと、黄金の杯にはいくつかの線が薄く走っていた。
「何度も強い力をぶつけられたとかか……?」
「けど、誰がやったんや……? 凶暴化した動物か……?」
そんなクレイグとアシュリーの会話に、テオドルスが加わる。
「いいや……。あの動物に、そこまでの力はないと思うな。できるとすれば、魔術師とか……」
「──誰ですか? お兄さんやお姉さんたちは。こんな魔力の濃さで防護服もなしに。研究員にしては、雰囲気が違うような感じですけど」
特務チームの背後から、突如として少年の声がした。驚いた一行は、一斉に振り向く。
「は? 子ども!?」
アシュリーが驚きの声を上げる。なにせ、気配がなかったのだ。気配遮断の術をしていたのだろうか。子どもは、十四、五歳ほどの少年であった。疲労感を漂わせる力の無い目をしている。短い髪はぼさぼさ。服は簡素なもので、古着なのか手入れはほとんどされていない印象だ。
そもそも、ここの魔力の濃さは普通ではないため、普通の魔術師ならば防護服を着用する。防護服を必要としない人間がいるとすれば、この世にはユリアたちくらいのはずだ。だが、少年は防護服を着ていない。
「……まあ、子どもですけど。それで、誰ですか?」
少年は、特に何も感じていない様子で再度問いかけた。
「それは、こちらの台詞でもある。お前は何者だ」
ラウレンティウスは不審な目で睨みつけたが、少年は平気な顔で言い返す。
「先に質問をしたのはボクです。まずは、ボクの質問に答えていただいても? 皆さんは、誰ですか?」
ユリアは、少年が持っているものをちらりと見た。いろいろな素材を雑に掛け合わせて作ったと思われる槌だ。魔力を帯びている。
さらに少年が体内で生み出す魔力が、少し『現代人らしくない』ことに気が付いた。それに、頬や額、腕、足、手先などには血が滲んで怪我をしてる。あの黄金の杯にひびを入れたのは、この少年かもしれない。
「答える義理はない」
「……ふーん。まあ、誰でもいいですけど。とりあえず、そこを動かないでください。ボクは、そこある聖杯を壊したいので」
「……は?」
少年の言葉に、誰もが呆気にとられた。少年はユリアたちを無視し、聖杯のほうへと歩いていく。
その時、ユリアは少年に近づいて腕を掴んだ。
「止めなさい」
「なんでですか」
「私たちは、聖杯を回収しに来たの。この森の異変をどうにかするためにね」
ユリアは、なんとか冷静に対話だけで終わらせたいと思うが、少年は引き下がらない。
「誰かに頼まれたんですか? こんな呪われたもの、破壊したほうがいいと思いますけどね」
「よく判らない物なのに破壊なんてできないわ。それに、聖杯に近づくことは危険よ」
「今の聖杯は、前よりも大人しいですよ。いろいろ被害はあったらしいですけど、ボクらが触れてもそんなことは起きなかった。まあ、欠片にでもなれば、聖杯の力は分散されるんじゃないですかね」
「『ボクら』──? いえ……そんな確証はないわ。これは私たちが処理しておくから、あなたは帰りなさい」
「……帰る場所なんざ、この世の中にないんですよ。そう言えるお姉さんは恵まれて育ったんですね」
と、少年は急に不機嫌な雰囲気をまとい、ユリアに羨望と妬みを含んだ目線を向けた。
「お姉さん……剣なんて持ってるのはなんでですか? 時代遅れも甚だしいんじゃないですかね。主人に真っ直ぐ仕える騎士様に憧れてたりします? もしかして、幻想と現実の区別があまりつかずに生きているんじゃないですか?」
まるで馬鹿にした口振りに、ユリアは思わず荒らげた声を出しそうになった。しかし、少年のこの言葉は、羨望から来る嫉妬心だという直感が働き、冷静なまま言葉を紡ぐ。
「……別に、騎士には興味ないわ」
「なら、それはお飾りですか。使えないのに持っているなんて、さぞかし自信と余裕があるんですね──」
その瞬間、少年はズボンの後ろ側にあるポケットからナイフを取り出す。それに気付いたユリアは、瞬時に少年の背後に周りこみ、少年の体内の魔力を利用して身動きができないようにした。そして、剣を抜きとり、少年の首筋に添える。刃の恐ろしさを頭に叩き込ませるように。
「……決めつけは良くないわ。自分の物差しで物事を決めつけていると、いつか取り返しのつかない間違いを犯す。……たとえば、うっかり死んでしまうとかね」
怒りも呆れも感じさせないユリアの無慈悲な無の表情と声色に、アイオーンとテオドルス以外の仲間はわずかに怯んだ。子どもであっても、敵となりうるならば容赦はしない。普段では見ることは決してないユリアの一面を見て、ラウレンティウスたちは固唾を呑む。
少年は忌々しそうに小さく舌打ちした。剣で脅しているというのに、あまり動じてない。
「死ぬのは、別に怖くないんですけどね……。でも、今は聖杯を破壊して、力を得るまでは死ねないんですよ」
「聖杯を破壊して、力を得る──?」
すると、ここで再び、大きな躯体が放つ足音が聞こえてきた。あれは、おそらく熊だ。さらに、木を揺らしながら何かが枝を伝って飛んでくる──猿のような姿をしている。そして、鷹か鷲をさらに厳つい姿になった鳥まで飛んできた。今度はたくさんいる。それも、どれもが異常なほどに爪や牙が発達しているだけでなく、禍々しい姿に変貌している。
「あれも凶暴化した動物!?」
「あれは──まるで本物の魔物じゃないか……!」
仲間たちが武器を構え、動物たちと交戦していく。先ほどの凶暴化した熊よりもはるかに強く、簡単には倒せそうにない。その時のユリアは、聖杯から違和感を感じていた。聖杯が何らかの魔術を起こしているような気配だ。もしかしたら、聖杯が凶暴化した動物たちを操っているのかもしれない。
「意外なことに、運はボクの味方してくれるみたいですね──ほら。さっさと戦わないとお友達が死にますよ?」
少年に煽られるが、彼を野放しにするわけにはいかなかった。この子どもが聖杯をここに持ってきた可能性があり、現代の魔術師としては異例の力を持っているかもしれない。なので、傍を離れるために拘束魔術を施しても、少年には解かれてしまうかもしれないのだ。常に魔術かけて抑えておいたほうが無難だろう。少年の魔力技能も未知数なため、油断はできない。ユリアは、テオドルスたちに目配せし、彼らに動物たちの討伐を頼んだ。
だが。
「──何……?」
また、聖杯に異変が起こった。器から何かが溢れ出てきている。煙や霧ではない。
(泥……? いや、違う……!)
粘度の高い泥のような黒い液体だった。それはどんどんかさを増し、聖杯の器から滴るまでに増えた。その液体には『嫌な魔力』だけが詰まっており、液体の量はどんどん増えていく。やがて、滝のように流れ落ちるほどの量になると、落ちた液体が集まって蛇のような形状になり、アイオーンに向かって勢いよく飛んだ。
「アイオーン! 避けて!」
だが、避けなかった。
なぜ? アイオーンならば難なく避けれたはず。避ければ、今度は仲間が狙われると思ったのか──。
聖杯は、さらに液体を増やしていく。そして、蛇のほかに狼のようなものを生み出し、特務チームを襲った。ようやく凶暴化した動物を退治し終えた仲間たちは、次に聖杯の黒い液体が変化した生き物と戦う。非常事態であるため、アシュリーも木を燃やしたり倒れたりしないように気をつけて魔術を使って攻撃をしている。まだ戦いに慣れないダグラスも、なんとか周囲のサポートを受けて敵からの攻撃を受け流している。
「──っ……!」
黒い液体から蛇に変化したものは、次々にアイオーンに向かって絡みつき、拘束して身動きをとれなくしていく。アイオーンが魔術を使わないのは、魔力を無効化する能力が蛇のようなものにあるのかもしれない。
やがて、一部の蛇の頭が鎌となり、アイオーンの首を狙う。
「止めてぇ!!」
アイオーンの身体は、生身の人間ではなく『器』だ。しかし、『器』は人間に近いものであり、首をはねられたらアイオーンは死んでしまう。
ユリアは、焦るあまり少年に対して大雑把な拘束魔術を施し、アイオーンを狙う鎌を剣で薙ぎ払った。
「アイオーンから離れろッ!」
ユリアは怒声を発しながら、アイオーンに絡みつく黒い蛇を、怒りに狂ったように力づくで剥ぎ取っていく。怒りの感情に囚われていたため、後ろから忍び寄る少年に気が付かない。
「──ユリア!」
アイオーンの声に我に返ったユリアは、背後を振り向いた。目の前に小さなナイフの切っ先がある。だが、見えない障壁に阻まれて、届くことはなかった。ユリアが黒い蛇をほとんど剥ぎ取り、アイオーンが魔術を使えるようになったことで怪我はなかった。
「……小童めが、卑怯な真似を……!」
アイオーンは、殺意のこもった鋭い目を少年に向ける。だが、少年は微笑む。彼ばかりに気を配っていられない。今は聖杯も危険だ。
「あー、残念です……。敵に背を向けるなんて、殺してくださいって言っているようなものなのに……」
と、少年はちらりと聖杯を見た。いや、聖杯を見ているわけではない。誰に目配せしている。まさか──。




