第五話
「お風呂が沸きました」
というアナウンスが流れたので、私は彼女にお風呂は沸いたよと伝えた。
彼女はというと、ずっとそのままの姿勢でいたから、目を開けたまま眠っていたのかと思った。
ちなみに、私のジャケットを彼女に掛けてあげたけど、ずり落ちてしまった。
もちろん、落ちたジャケットを拾うなんてことを、彼女がするはずはない。
「じゃ、5分したら来てください」
彼女は浴室に向かったけど、行ったら私は何をされるのだろうか?
風呂に沈められる?
「溺死って、嫌だなあ」
おおっと、もう5分か。そろそろ行こう。行きたくないけど。
「入るよ」
「何で、服を着たままなんですか?」
「髪の毛を洗うだけだよね?」
「ええ、そうですけど?」
「なら、何も問題は無いと思うけど?」
「私が無防備な裸で、何で先輩が服を着ているんですか?」
誰が無防備だって?
思わず笑いだしそうになったけど、もちろん笑ったりはしません。
溺死は嫌なので。
「ほら、頭をこっちに向けなさい」
坂上さんはくるりと反転し、背中をこちらに向けてきた。
バスタブから出るつもりはないようだから、仕方が無くそのまま髪の毛を洗うことにした。
「じゃ、やるよ」
坂上さんは無言で、手を頭の後ろに回し、髪をいじった。
すると、纏まっていた髪の毛がパラっと広がり、床近くまで落ちてきた。
長くないか?
「坂上さん、君、ロングヘアだったんだね?」
「ええ、そうですけど。知らなかったのですか?」
「だって、いつも纏まっていたから、ショートヘアかと思っていたよ」
「表層しか見ないからです。だから先輩は、仕事でミスをするんですよ」
「反省します」
「本当ですよ」
私はシャンプーを出そうとすると、坂上さんからダメ出しをされた。
「いきなり何をしますか?」
「え?髪の毛を洗うんだよね?まさか、石鹸で洗うのかい?」
「馬鹿ですか?本当に馬鹿なんですか?」
「ええっと、何か間違えましたか?」
「女性の髪を、洗ったことは無いんですか?」
「はい、ありません」
ねえ、その目をやめて。そんな同情するような目をされると、ちょっと心が挫けるから。
「まず、シャワーで軽く汚れを落としまします」
「ええ、面倒くさい」
「何か、言いましたか?」
「いえ、何でも。勉強になります」
坂上さんの髪の毛をシャワーで洗い、次にシャンプーを頭に掛けようとすると、またお叱りを受けた。
「シャンプーは、手で泡立てるんです。やったこと、無いんですか?」
「ああ、はいはい」
「はいは、一回」
「ああ、はい」
シャンプーを手で泡立て、髪の毛に付けた。
「頭も、ちゃんとマッサージしてください」
「はいはい」
「だ・か・ら」
「ああ、はい」
坂上さんの髪の毛を洗いながら、服を着たままでいたことに後悔してきた。
意外に大変で、汗ばんできた。服も濡れてきたし。
「よく、洗い流してください」
「了解」
「トリートメントはありますか?」
「何それ?」
彼女はシャンプーの容器の隣にある、リンスの容器を手に取って見ていた。
身体柔らかいなあ。私なら、間違いなくつっていただろう。
「これがトリートメントです。無かったら、先輩を沈めてやろうかと思っていましたよ」
え?そんなに重大なことですか?というか、彼女はにやりと微笑んだ。
女王様は、ご機嫌なようだ。
今度は、しっかり商品を見よう。
「坂上さん」
「何ですか?」
「疲れたよ」
「そうです、女性の髪の毛を洗うのって、結構大変なんですよ」
そんなことは、聞いていませんけど?
疲れたから、休みたいってそういう意味ですけど?
「頑張ってください。後で、ご褒美をあげますから」
要りません。そんなおっかないものなんて、さすがに言えませんけど。
とにかく、坂上さんの髪の毛を洗い終えてから、私は外に出ることにしたら、坂上さんは服を脱いで入ってくださいと言ってきた。
「何で?」
「お背中を、お流ししますよ」
いやだあ、その笑顔。流すって、君は私の背中で何をする気?
「い、いいよ。悪いし」
「髪の毛を洗ってくれたお礼です」
「いいって」
「それって、私なんかに流してほしくないって、そういうことですか?」
だから、眉間に皺を寄せないでよ。
「分かったから、ちょっと待ってて」
私は脱衣所で服を脱ぎ、タオルで前を隠しながら再度浴室に入った。
「隠すことないのに」
「みっともないモノを、これ以上晒したくありません」
「先輩に、みっともなくないものって、なにかあるんですか?」
「はい、ありません」
「ほら、背中を向けて」
坂上さんはバスタブから上がり、私の背中をシャワーで流し始めた。
案外、気持ちがいいモノだけど、洗体用タオルは使わないのかな?
「坂上さん、あれ使って」
「いいです、肌が荒れるので」
いいですって、私の背中なんですけど。
坂上さんはボディソープを手に付けて泡立て、私の背中をなぞり始めた。
「くすぐったいんですけど?」
「我慢してください」
手の平でなぞられるのって、初めての経験だけど、ちょっと拷問みたいだ。
ああ、そうか、これは拷問だったのか。納得。
「痒い所、ありませんか?」
「痒いです。早く終わってください」
背中を引っかかれた。痛いけど、この方がかえって心地よいかも。
「ほら、洗い終わりましたよ。前は、自分でやってください」
そういうと、坂上さんはまたバスタブに入った。湯あたりしないか?
「じゃ、次は私の背中を流してください」
ええええええ!
「いや、ほら私がやるとね」
「丁寧にお願いしますね。私の背中を傷つけたら、どうなるか分かってますよね?」
「ああ、はい」
どうしてだろう、私に選択肢があるなんて思ったのは。
今日は、まだ終わらなかった。