第四話
何で、こんなことになっているんだ?
「もっと、丁寧に洗ってください。女性の髪の毛は、デリケートなんですから」
「はい、はい」
「はいは、一回」
「ああ、はい」
私は何故か、坂上さんの髪の毛を洗っている。
もちろん、彼女は裸で入浴中である。
坂上さんと私は、連れ立って私のマイホームに着いた。
「意外に大きいですね」
「そりゃあ、どうも」
結婚した時に買った中古物件だけど、雑木林を背にしているのが気に入っている。
なんとなく、雑木林も自分の土地のような気もするし。
「あの~、掃除してますか?」
玄関に入るなり、彼女は指でへりをなぞり始めた。
あんたは小姑かい?
もちろん、そんなことを言うような愚か者ではないけど。
「気が向いたら、たまに掃除をするよ」
「たまにって、具体的にどのぐらいですか?」
「ええっと、大掃除の時ぐらいなか?」
坂上さんはため息を吐いたけど、何でそんなに気にするのかな?
ここは、私の家だよ?君の家じゃないよと言ったら、私はどんな目に遭わされるのかな?
「毎日とは言いませんけど、せめて一週間に一度ぐらい、掃除をしてください」
「ああ、分かったよ」
いちいち反論するような、私は馬鹿ではない。
「先輩、また嘘ですね」
だから、人の心を読むな。
「仕方ないでしょう。男の一人暮らしなんだから」
「再婚はしないんですか?」
「相手がいないよ。そんなことはいいから、ほら、リビングはこっちだから」
私は坂上さんをリビングに招き入れ、ソファに座るように促したが、夕飯を作りますとキッチンに踏み込んできた。
「ええ?いいよ、私がやるから」
「あのですね、私はちゃんとしたモノを頂きたいので、私がやります。先輩こそ、休んでいてください」
「私だって、ちゃんとしたモノぐらいできるよ」
「先輩のおっしゃる、ちゃんとしたモノを期待する程、私は先輩に期待していません」
すまん、何を言っているのか分からないけど、何となく分かるよ。
「ああ、さいですか」
「そんなことより、お風呂の用意をしてください」
「用意?スイッチひとつで、風呂は沸かせるよ?風呂は、我が家の自慢なんだよ」
「そのお風呂は、キレイなんでしょうね?」
眉間に皺が寄ってます。危険、危険!
「じゃあ、お風呂の掃除をしてきます」
「はい、お願いします」
何でこんなことに。
「何か言いましたか?」
「何でもありません」
忘れてた。彼女はエスパーだった。
夕飯はスパゲティだった。
「これは何?」
だからさ、そんなことも知らないで、今までよく生きてこれましたねという顔は、やめてくれないかな。本当に分からないんだから。
「一応、カルボナーラです」
「うちにそんな、お洒落なのがあったのか。知らなかった」
「色々工夫をしたので、あくまでも一応です」
「ふ~ん、あ、美味しい」
「ホント、何も無いお家なんですね」
「仕方ないよ。長いこと、一人暮らしをしているとね」
「奥さまとは、もう会っていないのですか?」
「最後に会ったのが、離婚の書類にハンコをついた時だから、20年、いや30年前か?」
「24年前では?」
「ああ、そうそう。確かそのあたり。よく知ってるね」
「給湯室でする話題は、だいたいがそんな話ですから」
私は、なんと言われているやら。
「何で、別れたんですか?」
「興味あるの?」
「後学の為にです。私だって、いつかは結婚したいと思っていますから」
「うん、君はいいお嫁さんになるよ」
「先輩?」
あ、まずい。死亡フラグが立った。
「ああ、ゴメン、ゴメン。セクハラだったね。ねえ、お願いだから、その握りしめたフォークを置こう?」
「先輩は、私を何だと思っていますか?」
狂暴な野獣?
あ、まずいかも。
「先輩?私を獣か何かと、いま思ったでしょう?」
「思わない、思わないよ。本当に」
「先輩?」
彼女はにっこり微笑んでいたけど、握ったフォークはぷるぷる震えていた。
ああ、私はもうダメかもしれない。
「本当にゴメン」
「悪いと思っていますか?」
「もちろん」
「なら、お詫びに私の髪の毛を洗ってください」
「お安い御用だよ、え?」
「じゃ、片付けたらお風呂に入りますので、先輩もすぐに来てください」
「何で?」
「だ・か・ら、髪の毛を洗うのは大変だから、先輩にお願いしているんですけど?」
だ・か・ら、それが人にお願いする態度かね?
ああ、そうか。これはお願いではなく、やれという指示だったか。
「分かったよ」
「最初から、そう素直にすればいいんです」
「ああ、はいはい」
「はいは、一回!」
「はい」
ダメだ、諦めよう。もう、あなたさまのお気に召すままでいこう。
坂上さんは食器を軽く洗い、それから食器洗浄機に入れてからスイッチをいれた。
へえ~、まず洗うのか?
知らなかった。
坂上さんは私にお茶を淹れてくれて、それを飲んでからお風呂に来てくださいと伝言を残した。
なんとなく、お構いなくと言いそうになった。ここは、私の家だ。
彼女はそのまま、浴室に向かった。
「あ?風呂のスイッチを入れ忘れた」
ドドドドドと、バスタオルを巻いただけのセクシー坂上がやってきた。
「お風呂沸いてませんよ?」
お願いだから、ネクタイを引っ張るのはやめて。本当に苦しいから。
本気で怒っている時の君の顔って、こんななんだね。勉強になるよ。
生きていたらね。
何だろう、走馬灯が流れているような。
でも、彼女はすぐに手を離してくれた。
とりあえず、言い訳ぐらいしよう。
「ゴメン、忘れてたよ。そのままだと、風邪引くよ」
「ふん!」
彼女はキッチンの横にある、お風呂のスイッチを押した。
すると、お湯張りを始めますという、アナウンスが流れた。
まあ、20分ぐらいで風呂も沸くだろう。
でも彼女は、私の前の椅子に腰掛け、足と腕を組んで私を睨んでいた。
もちろん、バスタオル一枚だけを巻いた、一般的に言うセクシーな姿で。
セクシーに見えないところが、人徳と言うモノだろう。
「あの~、何か着たら?」
彼女は不機嫌そうにしているけど、私のこの一言が火に油を注ぐ結果になったことは、言うまでもない。
嵐って、いつか終わるって言うけどさ、本当に終わるのかね?
まだ、今日という日は、終わっていなかった。