第二話
「どうして、こうなった?」
私の横というか、肩には坂上さんの頭が載っている。
彼女はすやすやと眠りについているけど、私は眠れない。
しかし、よく眠れるな。
「先輩、まだ終わりませんか?」
相変わらず、カノジョは不機嫌そうだ。
「終わらないなあ。残業になりそうだ」
「え?話が違いますけど?」
「まあ、急な資料整理をやらないといけなくなったからね、悪いけど今夜の約束はまた今度にして」
「悪いなんて、思ってないくせに」
「うん?何?」
「いいえ、何でもありません」
「そう?じゃ、そういう訳でお疲れさん。また、明日ね」
でも坂上さんは、帰らずに私の隣の机の椅子に腰を下ろし、カバンからノートパソコンを開いた。
「うん?どうしたの?帰らないの?」
「手伝います」
「いいよ、いいよ。悪いし」
「悪いと思ってるなら、早く終わらせてください。あ、データ転送してください」
「ええっと、どうやるの?」
「もういいです、先輩、どいてください」
坂上さんは私の椅子に座り、私は彼女のノートパソコンで仕事の続きをすることになってしまった。何で?
私はふと、彼女の横顔を見つめてしまった。
「ふ~ん」
「何ですか?そんなに見ないでください」
「ああ、ゴメン」
「私の顔に、何かついていますか?」
「ああ、違うんだよ。ついね」
「つい、何ですか?」
「いや、坂上さんはカッコいいなあと、そう思っただけだよ」
坂上さんの手が止まった。何だか、少し震えているような。
「坂上さん?」
いきなり、机を叩いてこっちを睨んできた。
「今度、そんなことを言ったら・・・」
「言ったら?」
「コロシマス」
「はい、すみませんでした」
良かった、セクハラだと言われなくて。
殺されるのとどっちがマシかって?
どっちも嫌だよ。
何とか残業を終えたものの、終電間際らしい。
「じゃ、悪いけど急ぐから」
「待ってください、先輩」
「え?終電行っちゃうんだ。今は勘弁して」
「その終電ですけど、とっくに行ってしまいましたよ」
「え?」
「先輩の最寄り駅までの電車は、さっき出て終わりです。ご存知なかったのですか?」
「はい、ご存じありませんでした」
嘘だろう?一応、ネット検索を掛けてきても、最終はまだ一本あった。
「坂上さん、まだあるじゃないか?」
私はその画像を見せたが、坂上さんは残念な生き物でも見るような目で、私をたしなめた。
「先輩、伝染病の影響で、終電が繰り上がっていたのは、ご存じなかったのですか?」
「あれって、もう終わっていたはずじゃ」
「そうですけど、先輩のように終電まで働いている人が少ないから、そのままなんですよ」
「えええええ!」
「念のため、駅まで一緒に行きましょう」
私と坂上さんは、会社近くの駅まで向かい、駅員に訊ねると坂上さんの言う通りだった。
「なるべく近くまでの駅で、あとはタクシーで帰るか」
「なら、私のうちにお泊めしましょうか?」
「ああ、ありがとうね。またの機会にお願い」
いきなり、肩を掴まれた、坂上さんの顔が、普段以上に怖かった。いったい、私は何をした?
「いつもいつも、私をそうやって煙に巻こうとするその態度、気分悪いんですけど」
「ああ、そうなんだ。それは悪かったよ」
「悪いと思っていないのに、悪いなんて言わないでください」
「でも、どうすればいい?」
「私の言ったとおりにすればいいんです」
「坂上さんの言った通りって?」
「だから、私のうちに泊まればいいでしょう」
何を言ってるんだ、この娘は?
「いやいや、嫁入り前のお嬢さんのおうちに泊めてもらうなんて、ちょっとまずいよ」
「何が、まずいんですか?」
「ほら、色々とさ」
「何ですか、もっとはっきり言ってください」
「だから、誤解されるでしょう?」
「誤解したい人は、勝手にすればいいだけでしょう?」
「そういう訳には」
「先輩は帰りの電車が無い、私は通り道。なら、答えは一つですよ」
「すまん、何を言っているか分からない」
「だいたい、今日は私に三ツ星レストランで食事をご馳走してくれるって約束だったじゃないですか?」
「そんな約束だった?」
「冗談です」
そんな真顔で言われてもなあ。
「とにかく、独身の若い女性の部屋なんかに、私のようなおじさんが泊まるどころか、入るのも憚られるよ」
「私が良いって、言ってるんですけど?それとも、私のこの意見に、何か問題でもあるんですか?」
だから、眉間に皺が寄ってるんだって。
「そういう訳じゃ」
「なら、さっさと行きましょう。私も早く帰りたいので」
「はい」
こうして、私と坂上さんは彼女の住む住居、多分マンションに向かうことになった。
「ちょっと、待っててください」
彼女のマンションの彼女の部屋の前で、お預けを喰らったようだ。
まあ、もうなるようになるしかないだろう。
「お待たせしました」
何だろう、息づかいが荒いなあ。
「お邪魔します」
「適当にくつろいでください。すぐに、ごはんの用意をします。ああ、その前にお風呂入ってください」
「え?いいよ、私は」
「汚いので、お風呂に入ってください」
「ああ、はい、分かりました」
何で、こんなことになった?
「着替え置いてきます。使ってください」
もう、好きにしろ。というか、他人の家の風呂って、なんだか新鮮だ。
「あがりましたよ」
「プッ!」
坂上さんが吹きだしていた。そんなに、おかしいですかね。あなたの服ですけど?
「だ、だって、おかしいんですもの!」
だいたいさ、XLサイズの私に、Mサイズのジャージを着せる方がおかしいのであって、私はおかしくないと思うけど。
「ご、ごめんなさい。それしか着れそうなのがなかったので」
笑っている彼女は、年相応で可愛いと思う。やっぱ、女の子は笑顔だよ。
「ああ、君の笑顔が一番だよ」
・・・・・・・・・
うん?どうして無言?
いきなりだ、フォークを顔の前に突き出してきた。
「前にも言いましたけど、今度そんなことを言ったら、刺しますよ」
いや、言ってない、本当に言ってないよ。でも、気を付けます。
「私もお風呂に入ってきます」
食事を終え、彼女はそう宣言した。
「どうぞ」
何だろう、私の顔を見ているけど。ああ、覗くなよかな。もちろん、私はそんな命知らずではありませんよ。
「大丈夫、覗いたりしないよ」
「ふん!」
勢いよく、浴室のドアが閉まったようだけど、何で機嫌が悪いんだ。というか、もう眠いなあ。
「あ、先輩。洗面所に新しい歯ブラシ用意していますから、さっさと磨いてください」
バスタオルを巻いただけの彼女だった。何か言おうと思ったけど、疲れたから手をフリフリ返事をした。これ以上、怖い思いはしたくないし。
彼女が浴室に入ってから、私は洗面所に入り、歯を磨くことにした。
「先輩、コップ使ってください」
浴室のドアがほんの少し開いたけど、もちろんそんな方向に目を向けるような勇気は、私にはありません。
「ああ、了解」
疲れた。
「じゃあ、先輩、こっちに寝てください」
「ええ?いいよ。ベッドは君が使いなさい。私は床で十分だから」
「何を言っていますか?そんなことをしたら、私が先輩を床に寝かせるような冷血女と呼ばれるじゃないですか?」
え?違うんですか?
「先輩?」
まずい、この娘はエスパーだった。
「とにかく、ここは君の家、これは君のベッド。だから、君が使いなさい」
「先輩、何を当たり前のことを言っているんですか?」
「え?」
「だから、こっちは私、そっちは先輩だって、最初からそう言ってるじゃないですか?」
坂上さんはベッドの半分は自分、残り半分を私と、つまりシェアしようと提案しているようだ。
「それはまずいでしょう。間違いがあったら、どうする気だい?」
「先輩は、間違いを起こす気ですか?」
だから、眉間に皺を寄せないでよ。本当に怖いんだから。
「いえ、起きません」
「だいたい、同じ屋根の下にいる段階で、間違いも何も無いでしょう。さあ、さっさと寝ますよ」
「ああ、はい」
こうして、私と坂上さんは同じベッドで休むことにした。
「坂上さん?」
え?もう寝てる?寝つきいいなあ。羨ましい。
すると、坂上さんが寝返りを打ってきた。私の方に。
「う、う~ん」
ちょ、ちょっと、坂上さん。起きないし。
「センパイのバカあ」
はい、すみません。
夢の中でも、私を罵っているのだろうか?
私の肩のあたりに、坂上さんの顔があたり、しかも時折ぐりぐりしてくる。
笑っているし、幸せそうだなあ。人の気も知らないで。
「なんというか、寝顔は可愛いんだよなあ」
髪の毛からとてもいい匂いがするし、坂上さんの体温が伝わってきてどうにも落ち着かない。
「こんな状況で、なんで眠れる?」
とにかく、私も頑張って寝よう。
「えへへへへ、せんぱいって、ほんとばかなんだから」
どう、返事をしたらいいだろうか?
気が付いたら、朝だった。
「先輩、起きてください」
「へ?ああ、おはよう。ここはどこ?」
「大丈夫ですか、先輩。ここは私のうちです」
「え?」
私は飛び起き、身体をまさぐった。もちろん、自分の身体を。
良かった、何もない。というか、このジャージ、きついなあ。
「ほら、さっさと着替えてください」
「ああ、はいはい」
坂上さんはとっくに着替えており、髪もいつものアップにしているし。
「ごはんもよそいますよ。早くしてください」
「ああ、ありがとう。君、可愛いお嫁さんになれるよ」
その瞬間だった、箸が目の前にあった。
「もう一度そんなことを言ったら、刺しますよ」
「は、はい」
私はいつまで、生きていられるだろうか?