第一話
「ちゃんとしてください」
「ああ、すまない」
最近、この子によく怒られる。
どうしてだろうか、いつも機嫌が悪い。
生理不順か?
いかん、セクハラだ。
「ほら、ここもミスをしている」
「ええ?このぐらいなら、いいじゃないか?」
「ダメです。我が社の信用が落ちます。ああ、もう私がやっておきますから、どいてください」
「ああ、じゃあお願い」
私は給湯室に行くことにした。席を離れたら、習慣のようにトイレか給湯室に行っているから、無意識にやっていた。
「あれ?勝呂さん、もしかしてお茶ですか?」
「ええ、そうです」
「じゃ、私が淹れますよ」
「ああ、ありがとう」
後輩から追い出されたとは、流石に言えない。
あと数年で、定年退職の身だから、波風立たないようにしないと。
「はい、勝呂さん」
「ああ、どうもありがとう」
「坂上さんとうまくやっているようですね」
「ええっと、世話を掛けているようで」
「彼女、優秀ですから」
「本当にそう思いますよ」
その彼女から、散々お叱りを受けていますとは、立場上言えないのが悲しい。
私はもらったコーヒーを片手に、席に戻ることにしたら、私の机の前で坂上さんが仁王立ちをしていた。
「先輩、どこに行っていたんですか?」
「え?邪魔だと思って、給湯室に行っていたんよ。終わった?」
「終わりましたけど、席を外すなら外すで、ちゃんと言ってください」
「ああ、そうだったっけ?」
「私、先輩が後ろに居るモノだと思って、散々話しかけてしまいましたよ」
「ええ、そうなの?」
「私、恥をかきましたよ。独り言を言う、変な女だって思われるじゃないですか?責任とってください」
「大丈夫だよ、坂上さんなら」
「だいたい、人に仕事を押し付けておいて、自分はお茶ですか?いい御身分ですね?」
「もしかして、坂上さんもお茶飲みたかったの?なら、ほら」
私はコーヒーを手渡したら、坂上さんは首を捻った。
「お茶じゃなくて、コーヒーじゃないですか?」
「うん、そうとも言うね」
「私、お茶が飲みたいんですけど」
さようでとは言わず、ああ、そうだったんだと返したら、彼女の眉間に見事なまでの皺が寄った。
「わ・た・し・お茶が飲みたいんですけど!」
「ええっと、もしかして私に持って来いと?」
「先輩の仕事をしてあげたんですから、何かくれてもいいと思いませんか?」
「ああ、そうだったね。じゃ、今から持って来るよ」
「もう、いいです」
彼女はその場から離れたけど、給湯室には向かわなかった。
私は、どうすれば良かったのだろうか?
私はコーヒーをすすりながら、彼女が直してくれたデータを見直した。
見事だった。もう、私なんか、要らない人間なんだろう。
「あ、そうか。コーヒーを持って行ってあげれば、良かったのかな?」
私の仕事のカバーをしてくれたんだから、それぐらいしてあげれば良かったけど、大きなお世話かな?
後輩である彼女は、坂上咲良という。年はまだ24歳で、私より30歳以上も年下だ。
坂上さんが入社時、私が彼女の指導役をやることになったので、その縁でこうして私の仕事を手伝ってくれる。あくまでも、自主的に。
いや、いつも怒られていると表現する方が、正しいかもしれない。
「入ったばかりの頃は、可愛かったのになあ」
コーヒーをすすりながら感想をつぶやくと、怖い声で返事が来た。返事なんて、頼んでいないのに。
「誰が、憎たらしかったですか?」
あ?坂上さんだ。手に持っているのは、コーヒーチェーンのカップだった。お洒落だなあ。ていうか、それってコーヒーじゃないか?
「ダメですよ、盗み聞きは」
「盗み聞きではありません、戻ったら先輩が私をディスっていただけです」
「あの~、別にディスってないですよ」
「じゃあ、何と言っていたんですか?」
「いやあ、坂上さんは頼りになるなあって」
「そうは、聞こえませんでしたけど?」
「気のせいだよ。僕が君をディスるなんて、ありえないじゃないか」
坂上さんは私に近づき、私の顔をじ~と見てきた。
「嘘ですね」
あんた、エスパーか?
「嘘じゃないよ」
「じゃあ、何と言ったんですか?」
「ええっと、だから、仕事が出来る後輩を持って、私は幸せだなあって」
「さっきと、全然違いますけど?」
「あの、コーヒー冷めるよ」
「大丈夫です、アイスですから。それにこれは、抹茶ラテです」
ああ、そう。今は冬なのに、アイスですか。
しかも、抹茶ラテですか。
仕事が出来るオンナは、やはり違うなあ。
良かった、インスタントコーヒーなんか差し入れなくて。
とは言え、話題を変える取っ掛かりが出来た。
よし、ここで会話スキルを発揮しよう。
「冷たいのが、好きなんですか?」
「先輩こそ、冷たいオンナが好きなんですか?」
どういう意味だよ。どう答えりゃあいいんだよ。
「冷たいかはともかく、頑張っている女性は好きですよ」
何だか、坂上さんの顔が赤くなったようなあ。ああ、引かれたかな。
あのさ、オヤジにそんな話を振るなよ。一応、オヤジの端くれなんだからさ。
「とにかく、今日の埋め合わせは必ずしてくださいね」
「ええ?何で?」
「先輩は、頑張っている女性が好きなんでしょう?」
え?そんなことを言ったっけ?ああ、言ったか。
お願いだから、意味を取り違えないでね。
「自分の仕事を放り出して、先輩の為に頑張る後輩に何かしても、バチは当たりませんよ」
自分でそれを言うか?というか、それって職務怠慢ではないのか?
「もちろん、自分の仕事は完ぺきにこなしています」
やっぱり、あんたはエスパーか?
「ああ、分かったよ。今度、何かおごるよ」
「今度って、いつですか?」
「今度とは、今度」
「誤魔化す気ですか?私、結構怒っていますよ」
怒っていない時って、あるのかな?
「とにかく、今度」
「じゃあ、今夜ごはんをご馳走してください。
「何で、今日なの?」
「先輩が、逃げるからです」
逃げた覚えはないけど?
タイミングが悪いって、言ってくれないかな?
「はいはい、大したものはおごれませんよ」
「はい、三ツ星レストランで我慢します」
おい!
「冗談です。居酒屋でいいですよ」
冗談を言っているような表情では、無かったと思うけど。
「ああ、分かったよ。他の奴にも声を掛けておくよ。坂上さんが一緒なら、男どもはわんさと来るだろうから」
「そんな有象無象なんて、私は要りません」
有象無象って、酷くない?
「先輩は、そんなに私と一緒じゃいやですか?」
「ええ?そんなことはないけど。ほら、立場ってものがあるじゃないか」
「やっぱり、先輩は私を憎たらしいと思っていたんですね?」
また、そこに戻るか?いい加減にしてよ。
「そんな風には思っていないよ。君を、可愛い後輩と思っているから」
何だか、坂上さんは無言になった。どうしたんだろう?
「バカ!」
へ?
「あとで、いっぱい奢ってもらいますからね。覚悟してください。後悔しても、知りませんから!」
やれやれ、やっと立ち去ってくれた。
あとは、退社後の処置をどうするかだ。
覚悟とか後悔とかは、やっぱりしたくないから。
もう、年だし。
「どうにかして、逃げられないものかな?」
だって、今日は金曜日じゃないから、飲みに行くのは正直辛い。
「若い頃なら、ウェルカムなんだろうけど」
さて、仕事をとっとと片付けるか。
「残業、仰せつかりたいなあ」
そう思っていたら、本当に残業になった。
良かった、これで飲み会は流れた。
そんな甘いことを考えながら、私はウキウキ気分で仕事に取り掛かった。
残業がこんなにうれしいなんて、仕事をし始めてから初めてだよ。
甘い考えだったことを、後で思い知ることになる。




