5.優の過去
瑠璃色の海に行ってから数週間後。
碧の気持ちは少し前向きになっていた。
海で涙を流し、心が洗われ……優に支えられたからかもしれない。
勿論、奈々を殺した連続殺人犯には怒りをたぎらせていた。
現在、奈々と同様の手口で殺されたという事件は、奈々の後からは無い。
奈々が殺される前まではそのニュースをちゃんと見ていなかった碧だが、奈々の事件後、碧は殺人犯の事を調べた。 分かったことは、奈々の事件を含め、今までで5件発生していること、事件の発生現場が岩手県・東京都・岐阜県・京都府・大分県と、バラバラなこと、そして、女子高校生から大学生あたりが標的なことだ。
碧は発生現場がバラバラで神出鬼没と知ったとき、犯人は捕まえられないかもと感じた。……だが、この事件はもう少し後に結末を迎える。
話を戻そう。
今、碧はBLUE SEAに来ていた。
現在平日の午後3時半過ぎ。
店内はスイーツを食べる客でにぎわっている。
碧は美琴の目の前のカウンター席に座る。
席の隣には優が座っている。
「へえ~。美琴さんって合気道やってたんですか!」
碧が驚きながら注文したバナナケーキを口に運ぶ。
ホットケーキミックスを使ったフワフワで弾力のあるケーキ生地にナッツとバナナの輪切りが入っており、ケーキの上には緩めの生クリームがかかっている。
「そうなの~。すごいでしょ!」
美琴が紅茶を注ぎながらニカッと笑う。
「いつまで続くの、この自慢トーク……うんざりしてきちゃったよ……ハア……。碧ー、断っていいんだからね?耳が腐るよ」
「ん? なんか言った、優? よく聞こえなかったなあ?」
溜息をつきながら喋った優に、高圧的な笑みと口調で美琴が尋ねる。
「イイエ……ナンデモゴザイマセン……」
冷汗をかきながら片言に優が喋る。
美琴はしらーっとした顔で優を見ると、いれたばかりの紅茶を飲む。
その様子を見た碧は、クスクス笑う。
冷汗をかき続ける優は、自分の目の前にあるグラデーションジュースに手を伸ばす。
オレンジジュースと薄い水色のソーダの二層になっていて、混ぜるとグラデーションができる、この店で人気のドリンクだ。
ガシャン
優は誤ってグラスに強く手を当ててしまい、ジュースがこぼれてしまった。
そして碧の服に少し飛び散る。
「だ、大丈夫?」
碧が少し驚きながら、すぐにグラスの破片を拾い始めた。
「……優、裏に行って」
美琴が真顔で言った。
碧は優がグラスを割ったことに美琴が怒っているのかと感じたが、優の顔を見て、それは違うと確信した。
優の顔は今まで見たことないくらい青ざめていて、焦っていた。
「……ご、ごめんなさい、ゆ、許して……」
優がかすれた声で言う。
美琴がそれを見て、
「碧ちゃんごめん。優を裏に連れてくから」
と言い残し、優の背中を押しながら厨房裏へ行ってしまった。
碧は呆然としていたが、すぐにグラスの破片拾いを再開した。
幸い、客たちは見ていなかったらしい。
碧が破片を拾い終わったころ、美琴が戻ってきた。
「あの、優は……?」
「大丈夫。休憩してるよ」
美琴が優しく笑いかけたからか、碧は少しホッとした。
「……碧ちゃんには、話すべきかもね。……優の過去、聞いてくれる?」
美琴は顔になると、碧にずいっと顔を近づける。
碧が破片を袋にまとめながらコクリとうなずくと、美琴は話し始めた。
10年前――――
優は共働きの両親の家に生まれた。
両親は常に多忙だったため、一緒にいられた時間は少なかったものの、優にとっては毎日が幸せだった。
そんな時に、不運は起こるものである。
母親が過労死してしまったのだった。
父親はその数か月後に周りのプレッシャーに押し潰されて自殺。
優は親戚に引き取られることになった。
だが、優はそこで肩身の狭い経験をする。
親戚は優を誰一人として引き取ろうとしなかった。
そのころ、美琴が海外へ留学していたこともある。
渋々、優は父親の姉のところへ引き取られた。
姉は独身で、すべての金を自分に使っていたため、優への出費があるとすぐに嫌味を言った。
また、優が何かをやらかすと、怒鳴り蹴散らした。
「グズグズすんな!!」
「……ごめんなさい……」
毎日この繰り返しだった。
そんな優の苦しい生活から1年後、留学していた美琴が日本へ帰ってくる。
美琴は優の事を1年遅れで耳にした。
その後すぐさま親戚に怒鳴った。
「アンタたち、大人として恥ずかしくないの!? 1人の子供が両親無くして悲しんでるってのに……!」
美琴はそれから優の父親の姉に連絡を取り、優を引き取らせてくれないかと頼んだ。
もちろんすぐに引き取らせてもらえた。
その当時、優の体は細々としており、顔は真っ青だった。 美琴はその姿に息をのむと、優に話しかけた。
「……これからあなたの保護者となるの。よろしく」
優はその言葉に涙を流すと、
「よろしくお願いします……!」
と言った。
そこから2人の生活と関係が始まり、現在に至る。
優は今でこそとても明るいものの、時々何かやらかしてしまうと、過去のトラウマから怯えてしまうのだった。
「……と、ざっとこんな感じかな」
美琴が話し終わった後も、碧は思考を巡らせていた。
(まさか、優にそんな過去があったなんて……結みたいな悲しい過去を持つ人はこんなにいたんだ……じゃあ、姉さんと少し前まで幸せに暮らしてた私なんて……私の過去なんて、どうってことないよね…)
碧は奈々の事件現場を思い出す。
今まで幸せに暮らしてきたんだから、私は優や結よりも良い人生なんじゃないかと。
だからさっさと前を向かなきゃいけないんじゃないかと。
そう思った。
碧の心を読んだかのように、美琴が喋った。
「……まあ、感じ方は人それぞれ。碧ちゃんもお姉ちゃんが亡くなられて悲しかったんでしょ? 優よりも幸せだった……とか考えないでね?」
ドンピシャな発言に、碧はドキッとする。
だがその言葉に安心し、碧から笑みがこぼれた。丁度その時、優が戻ってきた。
いつもの優に戻っている。
「ごめんね、碧。ヤなとこ見せちゃって……」
「全然!大丈夫!」
碧がニカッと笑うと、優もつられて笑い出した。
その様子を見た美琴は、母親のような優しい眼差しを向けた。
碧は優と笑いながら思った。
こんな幸せな時がずっと続きますようにと。
この話に出てくる殺人事件は一切何かの事件とは関係ありません。