3.幸せ
「ん……ハッ!」
暑さで目が覚める。
部屋についていたエアコンをつけずに寝てしまったようだ。
着ていた服はぐっしょりと汗でにじんでいる。
そして山積みの段ボール……。
もし今が多くの人々が起きている昼間だったら、碧は叫んでいたかもしれない。
「うっうっ……片付けが終わってないまま寝てしまったのか……片付けるのめんどくさい……」
漫画なら、『うっうっ…』の部分で、碧はダバーッと涙を流したシーンだろう。
「はあ……」
碧は溜息をつくと、段ボールの上に置かれたスマホの電源ボタンを押した。
時計の数字は「03:29」。
そして時計の下には結からメールが来たことを知らせる通知が来ている。
パスワードを解除して結からのメールを見る。
[そうなんだ! 良かったじゃん。心を許せる人第二号じゃん! ま、第一号は私だけど( ・´ー・`)ドヤッ]
結からの連絡を見て、『心を許せる人』という言葉が胸に刺さった。
(確かに……そうかもしれない)
なんだか姉を殺されてぽっかり空いた心の穴が、少し埋まった気がした。
体がほわほわと温かくなる。
だが、何故かそれを隠すように冷房を付ける。
全く心の傷がいえてないからかもしれない。
碧は和室に設置されているちゃぶ台にコテンと頭を乗っけると、再度眠りについてしまった。
ミーンミンミーン……
「ん……」
セミの鳴き声のうるささで目が覚める。
現在午前7時過ぎ。
エアコンを停止させ、碧は腕を伸ばすと、
「ふぁーあ……」
とあくびをした。
「朝ごはん食べなきゃ……」
碧はキッチンへ向かう。
するとすぐに絶叫した。
「あー! 食べ物がない‼」
冷蔵庫には昨日空港で購入した飲みかけの紅茶以外、何も入っていなかった。
それもそうだろう。
昨日はコンビニに行きかけたところで優達の部屋でご馳走になってしまったし。
(仕方ない……コンビニに行こう)
白無地のTシャツに淡いレモン色のズボンをはき、財布とスマホを小さなショルダーバックに入れる。
ドアを開けて鍵を閉めて……そのところで、
「フウ……」
と溜息をつきながらがらタバコを吸う美琴の後ろ姿が碧の目の前にあった。
ドアを開閉するときにガチャガチャいっていたから、美琴も碧のことに気づいていたのだろう。
「おはよ、碧ちゃん」
振り向きながら挨拶する美琴がニカッと笑った。
朝日の逆光のせいか、美琴がまぶしく見え、碧は目を細めながら挨拶した。
「おはようございます。美琴さん、タバコ吸うんですね」
喋った後に、少し失礼なことを言ったことに気付いて、碧はしまったと思う。
それが顔に出ていたのか、碧の顔を見て、美琴はフフッと笑う。
そして
「まあねえ。吸うよ。前はもっと吸ってたんだけどね。優がいるからたまにしか吸ってないよ」
と言った。
昨日は優とあんなに喧嘩をしてたのがウソのように喋っている姿は穏やかで、本当の母親のように見えた。
そんなことに気付いていない美琴は
「碧ちゃんどっか行くの?」
フゥー……とタバコの煙を吐きながら尋ねた。
「えと、朝ごはんを買いにコンビニに行くんです。昨日、食材を買っていなかったので……」
「ええ!? そーなのっ!? 昨日引き留めて悪いことしちゃったかな……。じゃ、ウチで食べよーよ」
美琴は煙草の灰をトントンと、片手に持っていた小さな灰皿に落とすと、ジュッ……っとタバコをぐりぐり押し付けた。
「いやいや……昨日も食べさせてもらって……申し訳ないので……」
「なあーに言ってんの! 入って入って!」
断ろうとする碧を昨日と同じようにほぼ無理やり部屋にグイグイ押した。
「みこ姉~、洗濯洗うよお……って……え!?」
のんびりした声で喋る優がTシャツに短パン姿で玄関に立っていた。
碧を見た瞬間に驚いた顔でフリーズする。
だがすぐにニコニコする。
「碧じゃん! おっはよぉ! え、何で来たの!?」
「朝っぱらからうるさいわ、馬鹿優!」
元気な声で優が喋った直後に美琴がゴンと優の頭を殴る。
「痛い~! ……あ、洗面所にヘアゴム落ちてたよ」
「あんがと」
喧嘩が嘘のようにあっさり収まった光景に、碧は呆然とするしかなかった。
(ま、昨日も同じ感じだったけど。……それにしても……)
碧はヘアゴムで髪を束ねる美琴をまじまじと見つめた。
昨日とは違う印象だ。昨日は派手な格好だったが、今はラベンダー色のTシャツにジーパン姿という、シンプルな格好だった。
(きれいだなあ……美琴さん)
碧の視線に気づいたのか、美琴がニヤッと笑いかける。
「何なにい~? もしかして見とれちゃった?」
「え、いや……」
図星な碧は顔を赤くし、言葉を濁らせる。
「アハハ、なわけないよね! さ、朝食、朝食!」
美琴は優と碧の肩に手を置くと、グイグイと和室に押し入れる。
今日は昨日の沖縄料理と違い、定番料理だった。ハムエッグトーストとコンソメスープ。
「えー、碧がいるのにこれえ?」
優が口をとがらせて文句を言うが、碧にとっては十分だった。
「そんなことないよ、優。立派な料理じゃん?」
碧が優に笑いかけた。
優は
「でも、これ週に1回は出てるんだよ!? もう私は飽きたなあ」
と、美琴に聞こえないよう、小さな声で言った。
――――「朝食までご馳走になっちゃて……ごめんね。でもすごく美味しかった! ありがとう!」
朝食を食べ終え、碧は優たちの部屋の玄関前お礼を言っていた。
「全然! また来てね!」
優が言うと、
「碧ちゃんなら大歓迎~」
美琴が部屋の奥から喋ってきた。
「じゃ、またお邪魔しよっかな?」
冗談混じりに碧は言うと、自分の部屋に戻った。
午後8時――――
(つ、疲れた……)
あれから碧は荷物を片付け、制服を買いに行き、役所でいろいろな手続きを行っていた。
スーパーで食事を買って帰って……今に至る。
ドアを開けた瞬間、「あ、もう疲れた。充電切れだあ」と感じ、玄関で倒れこんだ。
なんとか体を起こして買った食材を冷蔵庫にいれると、今日の事を思い出しながら、窓際に座った。
空には星が輝いている。
……たったそれだけのことが、とてつもなく幸せに感じた。