2.新生活と友達
碧は飛行機に揺られ、那覇空港に着いた。
約2時間40分ほどのフライトは、考え事をしている碧にとっては短かったのだろう。
空港内の自販機で紅茶を買った後も、ベンチに座ってブツブツと独り言を言っていた。
ハッとすると、紅茶の入ったペットボトル片手に歩き出した。
午前10時40分。美ら海水族館ヘ向かう急行バスが出発する。
碧はバスに揺られながら、ぼんやりと窓の景色を見ていた。
「ハア……」
と、碧は大きなため息をつく。
(遥さんに止められても沖縄に行くって言ったくせに……やっぱり不安だなあ……)
浮かない顔が窓に反射して映る。
その顔を見たくないがため、碧は目を閉じた。
ガチャッ
バスのドアが開く音で目が覚める。
いつの間にか寝ていたのだろうか。
目をこすると水族館についていることが分かった。
慌てながら荷物をまとめて車外に出た。
家族やカップルなどで賑わいをみせる水族館を素通りし、タクシーを呼び止める。
「今帰仁村まで」
運転手にそれだけ言うと、タクシーは走り出した。
車内で代金を払うと、タクシーを降りる。
そこからは徒歩で新居へ向かった。
佐代子に教えてもらった、悪く言えば指定された場所は、築20年ほどのアパートだった。
ほかのアパートに比べれば、悪くはないのだろう。
鍵を開け、106号室のドアを開けると、以外にも悪くない景観だった。
キッチンもトイレも浴室もそこそこきれいだったし、和室のリビングは広さ10畳ほどと狭くはない。
碧はボロアパートを考えていたため、このアパートには驚きを隠せなかった。
逆に不気味な気分になったくらいだ。
(もっとボロボロなのを想像してたのに……こわ……)
グウウウー
小さな腹の虫の声が聞こえてきた。
碧は頬を赤らめる。
(そーいや、もう1時過ぎか……)
碧の腕にはめられた腕時計の針は、午後1時4分を指している。
「何か作るか……つっても何もないもんなあ……」
来たばかりの部屋に食料があるはずない。
碧はスマホで『近くのコンビニ』と検索する。
鍵をかけ、コンビニへ行こうと105号室を横切ろうとすると、話し声が聞こえてきた。
「だーかーらあっ! 隣から物音が聞こえてきたんだってば!」
「でも今誰もいないんでしょ? ありえないってえ~」
「おばさんがそーいうなら見てくるよ‼」
「……誰がおばさんだって? この馬鹿優があ~‼」
碧は騒がしい隣人の話し声にクスクス笑う。
「……美琴……お姉さん……♡ 許してくださいませえ~……馬鹿らしっ! 見てくるよ」
ガチャッ
碧がその言葉を聞いて去ろうととする暇なく、ドアが開く。
そこには碧と同じ年齢くらいの子が立っていた。
髪は赤みがかった茶色でショートヘア、Tシャツと半ズボンといった、いかにもボーイッシュな感じだ。
「見たことない人……もしかして隣に来た新しい住人の人!?」
というと、目を輝かせる。
「は、はあ……」
碧はノリについていけないようだ。
「私、坂井優っていうの! よろしく! あ、君の名前は? 後、何歳?」
年齢が同じくらいと感じたのだろう。
フレンドリーな喋り方になっている。
「……相川碧です。17歳です。よろしくお願いします」
「え、うちとおんなじ年齢!? 嬉しー! よろしく! そんなかたい挨拶いらないからあ」
完全に優のペースになる。
すると優の部屋の奥から声がしてきた。
「ちょっと優ー? 誰だったの?」
「隣の住人さんー」
優が大声で叫ぶと、すぐに足音が聞こえてきた。
そして玄関で優の後ろからひょっこり顔をのぞかせる。
「へー、かわいい子だねえ。私、坂井美琴っていうの。よろしく」
顔をのぞかせた女性、美琴は耳にリングのイヤリングをつけ、ゆるふわな髪を束ねてターバンをつけている。服装もおしゃれで、優の姉に思える。
「……えと、優……さんのお姉さんですか?」
碧の質問に2人は一瞬キョトンとするが、すぐに豪快に笑いだした。
「アハハハ! この子良い子ねえ。姉に見える!? じゃ、まだまだ若いってことね!」
「いや、ありえないって。お世辞でしょ」
美琴の言葉に優がすかさず突っ込みを入れる。
「なあにい!? この馬鹿優‼」
美琴は優に怒る。
だが碧を見てハッとする。
「ごめんね。 あ、名前聞いてなかったね」
「碧だってー」
優がすぐに答える。
「へー。これからよろしくね! 碧ちゃん! そういえば家族は?」
美琴の質問に、今まで2人に呆気に取られていた碧は口をつぐむ。
「……家庭の事情で引っ越してきたんです……父、母が亡くなって……少し前に姉が殺されてしまったんです……」
碧は重い口を開いて言った。
何か言われたり、空気を悪くさせてしまうかと思った碧だが、聞いた美琴は
「そう……大変だと思うけど、いつでも頼ってもらっていーからね!」
と、それだけ言った。
今までハイテンションだった優は、沈黙し、うつむくだけだった。
碧はそれに気づいていない様子だったが、美琴はちらっと心配そうに優を見た。
「……そーだ! うちでご飯食べない?」
無理に明るい声を美琴が出す。
「え……でも……」
「いーから、いーから! お昼まだだよね? それなら食べよ!」
碧の返事も待たずに美琴は碧を部屋に連れ込む。
「ホラ、優も入りな‼」
「うん」
碧は2人の家にお邪魔することになった。
結局は美琴が無理やり家に入れたのだが。
「すぐ作るからね」
美琴はそれだけ言うと、台所の方に行ってしまった。
和室のリビングには、碧と優がいた。
「ねー、碧―」
「……えと、呼び捨てですか?」
「え、いーじゃん。同い年だし。友達だし。嫌なら変えるけど」
「……いや、大丈夫です。」
「ふーん……じゃあ、私も呼び捨てで呼んで! 後、敬語もナーシ!」
「……え……じゃ、じゃあ……優……」
碧は結以外に呼び捨てで呼ぶのは久しぶりに感じた。
優の方を見ると、優は呼び捨てで呼んでもらって満足そうな顔をしている。
「よっしゃ、これでちゃんと友達になったんじゃない?」
優はニコニコと上機嫌だ。
少し幼く、大人っぽく見えるような優は、碧にとって亡き奈々の姿を思い出させた。
いつもフワフワと危なっかしい奈々より碧の方がしっかりしてて姉のように思えると周囲からはきくが、いざとなったら頼りになって、碧の事を考えてくれた存在だった。
そのことを思い出してまた涙があふれそうになる。
だがその涙は悲しさによってあふれた涙のはずなのに、生温かい涙で、温もりを感じた。
この温もりを感じていたいと思ったが、すぐに涙を止めた。
泣いてる自分を2人が見たらきっと居心地が悪くなる。
碧はそう思ったのだろう。
幸運なことに、優は違う方向を見ていた…はずだ。
「なあなあ、碧は頭いーの?」
優が碧にいきなり質問する。
「そんなに良くないかな……小さいころにそろばんは通っていたけど……」
「ふーん……じゃ、勉強教えてよな! 同じ学校に来るんだし。そうでしょ?」
「な、なんで? 学校はこの近くって聞いたから同じ学校だと思うけど……私は頭が良くないって……」
「それは嘘だな! だって、私なんかずうーっと夏休みに補習受けてるし!」
「ハ……?」
「それはアンタが毎日毎日遅刻してるからでしょっ‼」
ゴツッ
「痛え!」
台所から作った料理を運んできた美琴が、優の頭を肘で殴る。
「ごめんね碧ちゃん。はい、料理!」
「うっわー、碧の前だけ声が高くなってるう~」
優がニヤニヤしながら言う。
「うっさい! アンタの分は無しだよ! 自分でつくれば!? まずい飯でも知らないけどね!」
すぐカッとなる美琴が大声で怒鳴る。
優は「ヒーヒー」言いながら適当に謝る。
その繰り返しだった。碧は毎度毎度の喧嘩に笑いを必死にこらえた。
それを見ながら、碧は遠慮がちに出された箸を持つ。
「あ、これはゴーヤチャンプルー。そういえば、碧ちゃんの出身ってどこだっけ?」
「東京都です」
「東京か~! いいなあ~! 流行りのものがたくさんあるんだろうなあ……」
優が目をきらきら光らせる。
「もーいいから! アンタも早く食べて。碧ちゃんもどーぞっ」
「い、いただきます」
碧の目の前にある料理は、卵とゴーヤのゴーヤチャンプルー、白米、味噌汁。
碧はゴーヤチャンプルーに手をつける。
苦いゴーヤを甘めの卵がカバーして、いくらでもいけそうな味だ。
次に味噌汁を飲む。
具材は茄子と油揚げで、東京のものより少し味が薄い気がした。
空腹だったこともあるせいか、碧は全てペロリとたいらげた。
「ごちそうさまでした」
碧は静かに手を合わせる。
数分後に美琴と優も完食した。
「洗い物してくるね」
美琴がすぐに立ち上がる。
「あ、手伝います」
「いーのいーの! その親切心、優に半分分けてほしいくらいだわ」
「聞こえませぇーん」
優は耳をふさいで大声で言った。
「あーあ。みこ姉うるさいなあ。」
優は美琴が台所へ食器を運んで行くのを見届けると、小声でつぶやいた。
「優はみこ姉って呼んでるの?」
「まーね。あ、私のおばさんにあたる人なの。もう知ってるかもだけど。……ホラ、おばさんって呼んだらどうなるか分かるじゃん? お姉さんなんてゆーのも私には柄に合わないし! だからみこ姉なんだー。テヘへ」
碧は優が叔母の美琴と暮らしていることにに疑問を持ったが、深く追求しないようにした。
「ねえ、せっかくだしカードゲームでもしない? うちにはゲーム機とかないからさー」
優が突然言い出し、引き出しからUNOとトランプを持ってきた。
碧はコクリとうなずく。
途中から洗い物を終えた美琴も参戦し、時間を忘れて楽しんだ。
碧が気づけば、壁にかかった時計の針は、午後5時12分を指している。
「あ、もう帰らなきゃ」
「えー! 帰るのー!?」
優が不満そうな顔をすると、美琴が頭を軽く殴った。
「バカ。碧ちゃんに迷惑でしょ。しかも隣だから会おうと思えば会えるし。駄々っ子みたいなこというな!」
「ちぇっ。碧、また遊びに来てね!」
「うん」
「あっ」
美琴が突然思い出したかのように声を発し、台所へ向かう。
数分後に戻ってくると、碧にビニール袋に入った何かを手渡してきた。
中身はおにぎり2つだった。
「テキトーで悪いけど、良かったら食べて」
「あ、ありがとうございます……!」
2人に手を振ってすぐ隣の自分の部屋へ帰る。
待っていたのはまだ手を付けていない荷物だった。
碧はそれを忘れていたため、部屋に帰った途端顔がサァーッと青くなる。
仕方なく荷物を片付け、半分ほどが終わったときには午後8時になっていた。
碧は美琴からもらったおにぎりをパクつきながらスマホを見た。
おにぎりはシンプルな塩味で、辛すぎず美味しかった。
スマホには、結からメールが届いていた。
[長旅お疲れ! 沖縄ってどうー? まだ初日だけどさ]
[いーところだと思うよー…まだまだ生活できるか不安だけどね。バイト代や家族の貯金で、今はなんとか頑張るよ。家のお隣さんとも友達になれたし。ありがとね』
メールを送信し終わると、そういえば……と思い出した。
(結以外と気軽にタメ口で話すなんて……久しぶりだなあ。それに……自分から人の事を「友達」って呼べるなんて……)
意外と新生活は楽しいかもしれない。
碧はそんなことを考えながら、まだ片付け終わっていない荷物を置いておいて眠りについた。
[]内の言葉はメールのメッセージです。