プロローグ
「姉さん、姉さん……!」
碧は姉の奈々の遺体を見るやいなやボーっと放心状態で見つめる。
そうかと思えばカッと目を見開き、姉さんと叫ぶ。
「……うっ……うっ……どうして…」
碧の目から涙が頬をつたう。奈々の遺体を抱きかかえると、ワアワアとよりひどく泣き出す。
奈々の体は腹部の刺された傷以外きれいで、今回の事件を連想させないかのようだった。
この事件がほんの一瞬で、何年もかけて再構築した幸せな家庭を壊していった……。
2時間前――――
「ほら早く行って! 遅れるよ!?」
「そうだねー。じゃ、行ってくるね~」
「あのねえ……昔っからおっとりし過ぎ! だから塾にギリギリなの分かってる!?」
「んー、多分」
午後5時頃。
奈々が塾に行こうとしていた。
ギリギリなのはいつものこと。
今日も碧がイライラしながら行かせようと煽る。
「行ってきまーす」
「……行ってらっしゃい……」
奈々が焦りもせずにおっとりとあいさつする姿に、碧は怒りを鎮めながら見送る。
(もう、早く行ってよ! これだからもうー……)
それでも唯一の家族で同時に奈々の良いところもフラッシュバックし、碧は「あーーー、もう‼」と、髪をかきむしりながら叫んだ。
2時間後――――
碧は課題を済ませて料理を作り終える。
(味噌汁もおひたしも作ったし……焼き魚は後でいいや)
プルルル……プルルル……
碧のスマホから着信音が流れる。
(誰だろ?)
見たことないアドレスだが、応答ボタンを押す。
相手が言葉を発するまで何も言わず待つ。
すぐに相手側が「もしもし?」とが呼びかけてきた。
男性の声だった。
「……はい?」
「相川碧さんのスマホで間違いないでしょうか? 私、刑事の太田と申します。」
碧は「何故刑事が?」と不思議に感じる。
だが次の瞬間、そんなことはどうでもいいほどの衝撃を受けた。
「大変申し上げにくいのですが、ご家族の相川奈々さんがご遺体となって発見されました。……場所は国道15号線ぞいの、『スマイル』というコンビニです。ご存じですよね? ……今から現場に来られますか?」
「……はい……」
「ご協力、ありがとうございます。では失礼します」
碧は『ご遺体となって発見されました』の後から、ほぼ聞いていなかった。
それほどショックは大きく、顔はみるみる真っ青になっていった。
スマホをガッシャンと勢いよく落とすと、がくんと膝から崩れ落ちる。
そのときはただただショックで涙が出なかった。
何故だかありえないほど冷静になっていて、半ば放心状態で現場に向かう準備をした。
少しの
(遺体となって発見されるはずない! 嘘だよね……)
という希望を抱えながら、現場に向かった。
現場は2人の家から徒歩5分ほど。
パトカーが数台コンビニに止まっていて、スマホを片手に持った野次馬がわらわらと集まっている。
「あの……」
一人の警官に声をかける。
「……私、遺体の家族ですが……」
「そうですか。では、刑事のもとに案内しますね。」
警官に連れられて、数人の刑事のもとにやってきた。
「ご遺体の方のご家族だそうです」
「了解」
警官と刑事が少し話すと、刑事は碧の方に向き直った。
「先ほど連絡させていただいた太田です。突然の事にさぞショックを受けられているかと思います……」
「……はあ……」
碧は刑事には目も合わせず、ただうつむくばかりだった。
「……ご遺体の方にお連れ致します」
刑事が遺体のもとに連れていく。
かけられたシーツをバサリととると、2時間前に見た姉の奈々の顔がそこにあった。
腹部に深い刺し傷があるものの、目立った外傷はなく、いたってきれいな遺体だった。
……今までの出来事を振り返り、現在に至る。
「太田巡査部長。犯人はあの連続殺人犯の可能性が高いかと……」
若い女性刑事が太田に話しかける。
「そうか……」
刑事達の話が碧の耳に入る。
すぐに悲しみよりも怒りが沸々と湧き上がる。
(許さない……許さない……‼)
遺体からサッと離れた碧は、涙をぬぐうと、拳をぎゅっと握り、遠くを睨んだ。
最近話題になっている連続殺人犯。
神出鬼没で、日本列島各地で何人も人を殺している。
だが、殺された人は住む場所もバラバラ。
唯一の共通点は殺された人が若い女性ばかりということだけだった。
「よし」と言って、太田が碧の方に振り返る。
「今日はもう遅いですし……明日にでも事情聴取をお願いします」
「……はい」
怒りを鎮めて碧は返事をした。
(たとえ犯人が捕まって反省したとしても、姉さんは戻ってこないんだ……!)
一筋の涙が碧の目からこぼれた。
午後9時半頃――――
碧の友達の結が塾から帰っている途中だった。
結の通う塾は結の家から2㎞ほど離れており、自転車で通っている。
結は塾へ行くとき砂浜と海をを見渡せる道路を走る。
そこは人も少なくて潮風が気持ちいいため、結のお気に入りの道路だった。
ただ、いつもなら海風にあたりながら道を走るのだが、今日はタイヤがパンクしてしまった。 「もう、なんでパンクするんだろ。最悪!」
結はお気に入りの道路を自転車のハンドルを持ちながら歩く。
(……ん? あれは……)
「碧ー!」
考える暇もなく声に出していた。
海岸の砂浜を歩く碧がいる。
近くの近くのくの近くの自販機の光からも、碧だと分かった。
だが、碧は気づいてないのか振り向かない。
しかも海に向かって歩き出している。
「碧ーーーー!」
結はもっと大きな声で呼びかける。
碧が気づいて振り返る。
大粒の大粒の涙をポロポロとこぼしている。
碧はすぐにハッとし、足を速めて海の方に向かう。
異変に気付いた結は自転車をガッシャンと勢いよく捨て、碧のもとに走る。
さすがクラス1の俊足。
難なく砂浜を横切ると、碧が海に足をつけた時点で碧の腕を引っ張る。
「何やってんの!?」
「離して……! 私は姉さん、家族のもとにいくんだから……!」
「馬鹿なこと言わないでよ‼」
結はもっと碧の腕を強くグイっと引っ張る。
抵抗をやめた碧は、うつむいたまま黙り込む。
「ねえ、どうしたの? いつも冷静なのに……」
「無理なの……」
「え……?」
「無理って言ってるの‼ 姉さんが殺されたのに冷静でいられるわけないでしょ!? 何で私ばっかりこんな目に……もう楽になりたいの……! うっ……うっ……」
碧の目からまた涙が流れ落ちる。
その涙は砂浜を静かに濡らしていった。
結は少し沈黙すると、
「馬鹿なこと言わないで‼ 誰が碧の死を望んでると思ってんの!? 何があったかは正直まだよくわかんないけど、死なないでよ!」
結の言葉に碧はハッとする。
「私は……碧のそばにいるから。絶対死なないから」
「……うん……ありがとう……」
碧は涙をぬぐう。先ほどよりも少しすっきりした表情だった。
碧と結は出来事を話しながら、ゆっくり歩いて家へと帰った。