6 シャングリラ
「お金はね——」
と、ここに来てから知り合ったカラム・フォロンという経済学者がムムニイに言った。
高層ビルの最上階のレストランで、またたき始めた街の灯りを眺めながら、高級中華料理に妻と3人で舌鼓を打っていた時のことである。
このレストランにも中国人のシェフがいて、コース料理の1品を運んでくるたびに料理の説明にしては長すぎるウンチクを語っていった。
少々辟易としながらも、彼は我々が食べるところを見たいのだ、と覚ってムムニイたちもにこやかに笑顔で返した。
「美味しい! こんなの、初めて食べた!」
と言う妻のミウムの表情に、シェフは満足そうに次の料理を作るべくキッチンへと帰っていく。
お金はたしかに払っている。しかし、その値段はカップ麺とさほどは違わないのである。
このサービスと料理は、言わば彼の善意であり、自己表現であった。それに対する礼儀を、ムムニイたちも当然わきまえねばならない。
「お金はね——」
とカラム・フォロンは言う。
「ここでは、モノの価値を表してはいません。」
ムムニイより7〜8歳年下と覚えるこの経済学者は、国際交流大学の准教授ということだった。
「そもそも、ここには本来の意味での『モノ』は存在しませんし、その希少価値も商品価値も消え去ってしまっています。
正直、私は経済学者として、この状況をどう捉えればいいのか困惑していますよ。」
話しながらもカラム・フォロンは蟹味噌とフカヒレの姿煮をほおばった。
「美味い! これは絶品だ。」
蟹もフカも漁れなくなって何年になるだろう。
「お金は——、ここでは単なる『習慣』になってしまっているのかもしれません。あるいは社会秩序のためのツールの1つ・・・。ベーシックインカムというシステムと合わせて、逆説的ですが欲望が無限に拡大するのを抑制するブレーキの役割を果たしているとも言えます。」
カジノのようなギャンブル場もあったが、一攫千金だろうとスッテンテンになろうと翌週には等しくベーシックインカムが支給される。借金はベーシックインカムで補填される額までしかできない。
どれほど大金を手にしようと、モノやサービスの値段は贅沢品も普及品も大差ないし、かつて肉体を持っていた世界のように人々を金に平伏させることもできない。
要するに口座の額を見て喜ぶか、次のギャンブルに注ぎ込む以外、使い道がないのである。
「市場原理は標準価格からのプラスマイナス一定の範囲の中でしか働かないようになっていますから、いくらベーシックインカムで『お金』を供給しても、インフレになることはありません。
それで回すことができるのは、ここには基本『モノ』がないからなんです。『モノ』の不足が起こらないからなんです。」
「ここに来てつくづく思うのは、お金はただの概念だった——ということですね。」
カラム・フォロンは、自身の経済学者としての積み上げがほとんど役に立たなくなったことを嘆いて見せながらも、その表情はあまり不幸せそうではなかった。
「今はもう、論文を書いて名を売って——なんてことに汲々としなくても生活できちゃいますからねえ。
純粋に好奇心のための研究に没頭できるというものです。このシャングリラでは、経済はどんな形をしているのか——というね。」
たしかに———とムムニイもミウムも思う。
ベーシックインカムは少なくない額ではあるが、毎週その範囲で「何にいくら使おうか」と考えるのは楽しかったし、むしろそういう計画性さえ必要なく、だらだらと欲しいと思えば手に入る、という状況は体・・・いや、精神に悪いだろう。
お金——というシステムは、ここでは生活のリズムや弾みといったもののための背景でしかないのかもしれなかった。




