22 夢見る機械
紙で出来た断熱窓が少し明るくなった。雲間から陽射しが差したようだ。
「現代の医学では、脳の機能に障害が出ても、その部分を補う機械を脳に移植して治療することが一般的です。手術を終えた後、摘出された患部——脳組織の一部——は生命活動を停止し、廃棄されますが、麻酔から覚めたあと患者は『治った』とは思いますが、『自分が一部死んだ』とは思わないわけです。」
「では、実際にも可能なことなんですが、この治療技術を使って脳機能を全て少しずつ機械に置き換えていったなら、その患者は治ったんでしょうか? それとも死んだんでしょうか? 『身体』の継続を『自分』の継続の根拠とするなら、その患者はいつの間にか死んでしまったことになりませんか? だとしたら、死んだのはいつ?」
「テセウスの船、ですね——。」
「なぁんだ、やっぱり勉強してるじゃないですか。」
マイケルが破顔すると、ムムニイは顔を少し赤らめた。
「いや・・・生かじりの知識でして・・・。」
ここの時間は、ゆっくり流れる。ここでは、食料と薪を集める以外、しなければならない「仕事」はほとんどないのだ。
今のような冬場ならなおのこと、時間はたっぷりある。不思議なことに、それはただ春を待って耐え忍ぶだけの時間ではない。
クルムの演奏があり、シャロンの歌があり、笑いもあれば物語もあり、深い思索と対話もある。
都市生活をしている頃は、こんなことをゆっくり考える「時間」はどういうわけかなかった。実際、ムムニイもこんなことは深く考えたことがなかった。
文明は人々を「労働」から開放し「時間」を与えたように見えたが、それは錯覚だったのかもしれない。
マイケルは話を続ける。
「もし、意識こそが『自分』であるなら、この患者は『生きて』います。人々はそのことを抵抗なく受け入れているから、この治療法は『治療』として市民権を得ていたわけです。」
しかし・・・とムムニイは思う。もし、徐々に、ではなく、いっぺんに取り替えてしまったなら、どういうことになるのだろう?
結果は同じ——なのかもしれないのだが・・・・。その脳は紛れもなく、機械と入れ替わりに死んでしまうのではないか?
シャングリラへの『移住』も、それと同じようなことなのではないのだろうか?
「しかし、現実は・・・、いや、いったい何が『現実』なのか・・・・。」
ムムニイは、かつて自然保護区の入り口に立ちすくんでいた時の疑問に立ち返ってしまっていた。
まわりを見回すと、シャロンはもちろん、クルムもトオルもカラムも・・・、同じ疑問の中にいるようだった。
それは永遠に答えのない疑問なのかもしれない。
「あらゆる生物にとって、『世界』は『意識』が再構成した『現実』です。それをもとに生物の『身体』は生存のための行動をとります。
たとえば我々の観ている『世界』と、プラナリアの観ている『世界』は違います。それは『世界』が意識の再構成によって出来ているからです。少なくともこのレベルにおいては、『意識』は『身体』の機能の1つにしか過ぎません。
しかし人間にとっては、この『意識』こそが自分であるという認識だからこそ、先ほど言ったような治療法が『治療』になり得るのです。
僕に怖いと思わせたのは、『身体』に付随した意識の方です。それは身体の維持を目的にしていますから、当然の反応です。
しかし、この有機物の『身体』は、意識の器としてはあまりにも脆く儚い『身体』なのです。」
人工意識を創っただけあって、この天才はこの難問に一定の暫定的答えを持っているようだった。
ムムニイには、そこまで思い切ることができない。
どこかで小鳥のさえずる声が聞こえた。
「古代インドの哲学では、世界は黄金の胎児の見ている夢なのだそうです。
我々が認識する『世界』とは、意識が再構成した現実である——と理解すれば、この喩えはなかなか核心を突いているとは思いませんか?」
ムムニイは周囲を見回した。
紙の窓に射す日光が、冬枯れの梢の影をそこに落としている。雲が切れて陽は出てきたようだが、すでに傾いていて陽射しは弱い。窓を開けて蓄熱するほどではなさそうだ。
これらもすべて、今現在ムムニイが認識し、意識の中で再構成している「現実」なのだろうか?
そうだとすれば・・・・。
「その黄金の胎児とやらは、人間の脳の比喩なんでしょうか?」
珍しくカラムが質問をした。
「さて、どうなんでしょう。当時、脳が世界を認識する機能を持っているという知見はなかっただろうと思いますから、もっと直感的な洞察なんではないでしょうか。」
マイケルは肩をすくめた。
このコミュニティには、哲学系の専門家はいない。
「そういえば、東南アジアの一部地域の神話にも似たようなものがあるそうです。世界は眠らない魚の見ている夢である——というものです。」
「眠らないのに、夢を見るんですか?」
「眠らなければ目覚めて夢を台無しにすることもない、からだそうです。」
ずいぶん都合のいい屁理屈にも聞こえるが、あるいは、原初の(権力が自らの正当性を主張するためにでっち上げる以前の)神話とはそういうものなのかもしれない。
それは、人間集団が「世界」を理解するために創り出した物語なのだ。それだけに、科学以前にすでに真を突いてもいるのだろう。
「あれは———」
とマイケルは言う。
「シャングリラ・システムは、まさに眠らない魚です。人類50億人のための『世界』を夢見ている——『夢見る機械』なのです。」
また陽が翳って、外の音がいつの間にか消えている。どうやら雪が降り始めたようだった。
END
この物語は、一応ここで完結します。
人類が環境危機を脱するために「意識のデジタル化」という選択をした世界。そういう世界で生きる1人1人はどんなことを思い、何を考え、どうつながっていくだろうか・・・? 今現在の「常識」とは違う「常識」の世界での、個々人の遭遇する日常のエピソードを「大事件」と絡ませることなく描いてみました。
このあとのシャングリラやジョーモン・コミュニティの行く末の物語を「外伝」という形でUPしてゆこうと思います。
よろしければ、引き続きお読みください。 拝




