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夢見る機械  作者: Aju


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13/22

13 ユートピア

 サリアは今日もまた、ダイビングスクールにやってきた。

「明日はハワイに行きますよ。1週間ほどクルーズ船をチャーターして遊んできますが、他の予定は大丈夫ですか?」

「予定なんて・・・。」

 あるわけがない。


 このところ、サリアはすっかりダイビングにハマっている。

 サリアがこちらに来て真っ先にやりたいと思ったこと——、それは、とにかく美しい自然の中に行きたい、ということだった。

 サリアは、いわゆるアッパークラスの住人である。生まれた時から両親はたいそうな資産家で、人の世で望んで手に入らないものはない、という環境に育った。

 それでもサリアには「不満」があった。

 祖父母の世代が食い潰してしまった「自然」が、サリアの世代には残されていなかったのである。


 幼少期に祖父が自慢げに見せるサンゴ礁の映像や、まだ残っていた東洋の小さな島国の箱庭みたいな美しい風景に憧れながら、一方でそういうものを金に任せて食い潰してきた祖父の世代を、どこかで憎んでもいた。


 シャングリラ・プランが持ち上がった頃には、サンゴ礁の大半は白化してしまっており、魚は少なく、ハワイの海岸などは大量の医療廃棄物のなれのはてである海洋プラスチックの山に埋もれていた。


 祖父たちが経験したような、色とりどりの魚が泳ぐ透明な海に潜ってみたい。珊瑚の花畑の中を、1匹の魚になって泳ぎ回りたい。


 ダイビングの機材は簡単に手に入ったが、人がやっているダイビングスクールはなかなか見つからなかった。今やダイビングコーチを職業にする必要なんか、どこにもないのだ。ダイビングが好きなら、仲間うちだけで楽しんでいればそれでいい。

 生活の心配なんかいらないのに、何を好きこのんで面倒な初心者の相手なんかする必要がある?

 サリアのような初心者でも、NET検索すれば「Aから始めるダイビング」みたいなマニュアルは出てくるが、そうではなく、サリアはダイビングを知っている人にダイビングの醍醐味を教えてもらいたかった。


 そうしてようやく見つけたのが、ここ、シンゴ・ナカムラの開いている「ダイビング・クラブ」だった。

「新しい仲間が入らないとマンネリ化しちゃうからね。」

 シンゴはそんなふうにサリアに言ったのだった。ここにくる前、シンゴは82歳だったと聞いた。




 ダリクはハンナの腕を掴もうとしたが、まるで煙みたいにハンナの肘から先は揺らいでダリクの手をすり抜け、逃げていった。

 ハンナの目の中に、あからさまな嫌悪が見える。

「待てよ。どこに行くつもりだ? 俺ンとこを出て・・・」

 だが、みなまで言う暇を与えず、ハンナは意を決した表情で後ろ手にドアを開けると廊下に飛び出した。


 怒り。焦燥。不安。恐怖———。

 ありとあらゆる負の感情に突き動かされるようにして、ダリクはドアノブを乱暴に引っ張った。

 ぶん殴ってやる! 2〜3日立てないくらい・・・。

 だが、そんなことはここ(シャングリラ)ではできない。そのくらいはダリクにも分かってはいる。たとえナイフで刺したところで、人は傷一つ負わないのだ。

 そんなことは分かっている! 分かっているんだ!


 ぐちゃぐちゃな感情と共にダリクが廊下に飛び出した時には、ハンナの姿はどこにも見当たらなかった。


 ダリクは闇雲に廊下を走り回り、片っ端から部屋という部屋のドアを蹴り開けた。

 誰もいない。物音ひとつ聞こえない。

「なんだよ! どこ行っちまったんだよ! ふざけてんじゃねーぞ、テメーら!」

 窓から通りを覗いてみる。

 人っ子ひとりいない。

 新聞紙だかなんだか、ゴミが風に流されてゆくカサカサという音だけがやたら大きくダリクの耳に響いた。




 水面の光がゆらゆらと揺れている。

 サリアの吐いた泡が、くるくるともつれ合うようにして上ってゆき、やがてそれは水面にぶつかって、ころころと光の粒になってはじけて消える。

 視線を移せば、青みがかった光の中に見渡す限りの珊瑚の花が咲き、その花々が作り出す立体空間の中を小さな魚たちがカラフルな体をひらめかせながら、音楽でも奏でるようなリズムで向きを変えては泳いでいる。


 それはたしかに、音のないシンフォニーだ。

 サリアの耳は泡が水をかき分ける音だけを聞いているのだが、頭の中には聞いたこともないような美しい音楽が聞こえているような気がした。


 これが・・・・。祖父たちの世代がまだ見ることのできた本来の「自然」なんだ。その時代には、人はこんな「自然」に身体ごと抱かれることができたんだ——。

 今、わたしがいるのは、そんな世代の人たちの「意識」の中に残っていたクオリアから再構成された「世界」なのだ、と頭では分かっているのだが・・・。

 マスクの中で、サリアの目から涙がこぼれた。


 こんな———。 と、サリアは思う。

 あちらの世界に、こんな自然がまだ残っていたなら——。

 わたしは「肉体を捨てる」などという選択はしなかったかもしれない。その儚いシステムに「わたし」という意識を委ねたまま、大自然の中に肉体もろとも消え去る道を選んだかもしれない・・・。




 ダリクは誰もいない街の中を彷徨い歩いた。

 あの角を曲がったら、誰かいるかもしれない。そこにもし人がいたら・・・、どうしたいんだ? 俺は・・・。

 抱きつきたいのか? ぶん殴りてぇのか?

「なんでだよぉ・・・。なんで、誰もいなくなっちまったんだよぉ——。みんな、どこ行っちまったんだよぉ・・・。 ハンナ! グランツ! ジェームス!」

 ダリクは、建物の壁に背をもたせかけるようにしてへたり込んだ。

「これの、どこが・・・・ユートピアだよ? ・・・委員会の詐欺師ども・・・」


 その筋の組織の幹部の息子だったダリクは、以前の世界では思うままにならないことの方が少なかった。

 女は選り取りみどりだったし、金回りも良かった。いつも十数人の取り巻きを引き連れ、いかついヤローも顎で使っていた。誰もダリクには逆らわなかった。気を使うのは親父と、その上の数人だけでよかった。

 環境がどうなろうが、人類の未来がなんだろうが、ダリクの知ったことではなかった。


 調子が狂い始めたのは、この「シャングリラ計画」とかいう「移住」計画が始まってからだ。

 街から人がいなくなり、組織のシノギが次第に難しくなってきたのだ。

「そろそろ潮時かもしれん。俺は『移住』しようと思う——。おまえはどうする?」

 親父がそんなふうなことを言ってきた時、ダリクは正直何も考えてなかった。同時に、この親父について行きたいとも思わなかった。

 ただ、たしかに、このまま街から人が消えてゆけば、組織のビジネスも成り立たなくなるし、第一、組織の人間ですら末端から「シャングリラ」に移住するやつが出てきて、組織は歯抜け状態になりつつあった。

「まったく! ボスから受けた恩を、なんだと思ってやがるンですかね、あいつらは?」

 そんなことを言っていたヤツが、翌週にはいなくなった。


 原始生活なんて、ありえない選択だった。かといって、人がいなくなった廃墟に残って何をするというのか?

 ダリクも結局、最後まで意地を張っていた数人の「仲間」と共に「状況」に敗北するしかなかった。

 広報の言ってる通りなら、生活の心配がないほどの金が毎週支給されるってんなら——、あっちに行っても面白い暮らしができるかもしンねぇ。


 だが、それは甘い考えだった。

 十分な金が全員に支給されるということは、金に平伏ひれふす者がいなくなるということだった。肉体がなくなるということは、暴力がその効力を失うということだった。

 ダリクは、彼を支えていた力を2つとも失った。それにもかかわらず、いや、それだからこそかもしれないが、ダリクは横暴に振る舞うことをやめられなかった。


 人が・・・、ダリクから離れていった。

 この世界では、人が離れるということは、文字通りの物理的距離を意味した。廊下の角を曲がった途端、部屋のドアを閉めた途端、そいつはダリクのいる「世界」とは別の世界に行ってしまっていて、その後、一切現れることがなかった。

 これが、「意識だけの世界」の造りなのか?


 夢——のようでもあったが、夢と違うのは、そこには一定の法則性があり、その法則で測る限り、不条理は存在しないということだった。


 やがて、ダリクの住む「街」から人がいなくなった。どこをどう歩いても、どの角を曲がっても、ダリクはこの迷路のような無人の「街」から抜け出すことができなかった。

 最後まで残っていたシミッタレのハンナまでが、ついに出ていった。


 ダリクは、たった1人になってしまった。

 すでに30億が移住しているはずの、このシャングリラで———。



 うずくまるダリクの耳に、どこかで小さな声が聞こえた。


 ダリクはよろよろと立ち上がり、その声の聞こえた辻まで行って角を曲がってみた。

 路上に子猫がいた。それはダリクを見上げて、また小さく鳴いた。

「おまえは・・・・」

 その子猫を拾い上げようと腰を屈めたとき、頭上で男の声がした。

「やっと会えた。探しましたよ、ダル坊っちゃん——。」

 顔を上げると、そこに40がらみの男が立っていた。

「お・・・おまえは・・・、ヤン。」


 ヤン・ロン。中国系の古株の組員で、少し間の抜けたところがあるため、いつも周りの連中から小馬鹿にされていた男だ。

 ドジを踏みやすいから外向きの仕事には使えない。必然、内側の雑用みたいなことだけをやらされていた。そういえば、ダリクが小さい頃には何かと可愛がってもらったような記憶がある。

 要するに、こういう世界には向かない「お人好し」だった。今はもう、60くらいのはずだが・・・。


「こんなことになってるんじゃあないかと、心配してましたよ、坊っちゃん。ダル坊っちゃんの周りには、本当に坊っちゃんのことが好きな人が1人もいませんでしたからねぇ。

ダル坊っちゃんは今でこそ強面に振る舞ってますが、本当は心の優しい人なんだ。坊っちゃんが捨てられてた子猫を拾ってきて、一生懸命世話してたのを俺は知ってますよ。」

「そ・・・・」

 ダリクは子猫を抱えたまま、少し頬を赤らめた。

 この男を相手に強がる気にはなれなかった。むしろ、猛烈に甘えたくなる衝動が襲ってきて、それゆえにダリクは顔を赤らめたのだ。

「ここから、抜け出せないんでしょ? 出口が見つからないんじゃないんですか?」


 ヤンの顔は、あの時の——、小さなダリクが子猫を拾ってきたあの時の表情にそっくりだった。

「さ、坊っちゃん。俺が手を引いてあげますから、ここから出ましょう。ダル坊っちゃんには新しい人間関係が必要なんだ。」


 ダリクは、不覚にも涙をこぼした。

 泣きながら、素直にヤンの大きな手を掴んだ。それは少しガサついて、暖かい手だった。

 いつの間にか、子猫を抱えたダリクの姿は8歳くらいの少年の姿になっている。


 小さなダリクが、ヤンに手を引かれてビルの角を1つ曲がると、そこからすぐ先に大勢の人が行き交う賑やかな大通りが見えた。



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