1 ジョーモン・コミュニティ
自然保護区の入り口で途方に暮れていたムムニイ夫妻の前に、1人の男が現れた。
「ああ、ここにもあった。ほら、ここにも。」
妻のミウムが嬉しそうに木の実を拾って回る姿を、ムムニイは柴を集めながら笑顔で眺めた。
「あまり屈んでばかりいると、明日腰が痛くなるぞ。」
「大丈夫よ。なんだかここに来てから体の調子がいいの。」
3ヶ月前、ムムニイと妻のミウムは自然保護区の入り口で途方にくれていた。
ジョーモン・テクノロジーなどと言われても、何の知識もないムムニイたちにとっては見知らぬ世界に裸で放り出されたのと同じだった。
食べるものでさえ、どうやって手に入れていいか分からない。こんなことなら、あのままベッドの上で静かに眠った方がよかったんじゃないか?
そうは言っても、身体側の「意識」として目覚めてしまったムムニイAが再び眠りについたところで、その「意識」はムムニイBとして目覚めるわけではない。
その眠りは、間違いなくムムニイAにとっては永遠の眠りになる。
それは、つまり・・・「死」ではないか?
ムムニイは自身と妻の「死」を決断することができないまま、消極的に「移住」の権利行使を選択してしまった。
そして、この自然保護区の入り口で途方にくれている。
そんな彼らに、藪をかき分けるようにして近づいてきた人影があった。ボサボサの頭にモジャモジャの髭を生やした背の高いその男は、自らをマイケル・ダンと名乗った。
「困っているのでしょう? ジョーモン・テクノロジーの知識なんて何も持っていないから——。」
むさい姿ではあったが、よく動く知的な目をした人懐っこい笑顔の壮年の男だ。
「1人では生きてはゆけません。この先にジョーモン・コミュニティがありますから一緒に行きましょう。」
ついていっていいものか? と一瞬思ったが、ミウムが歩き出したのでムムニイもつられるようにしてその後に従った。
藪をかき分ける——というふうに最初は見えたが、先頭の男が進む道は明らかに人が通った跡のある「道」であった。踏みしだかれた草の背丈が短い。
マイケル・ダン——と言えば・・・。
とムムニイは思った。
その名前は、誰もが知っている名前なのだが・・・。
まさか・・・な・・・。
マイケルの言った「ジョーモン・コミュニティ」は、34人が肩を寄せ合うように暮らす「村」だった。
森の中の開けた場所に——集落用に藪を切り開いたらしい——8棟の「家」と高床になった1棟の「倉庫」が作られていた。「家」は、教科書で見たことのあるあの竪穴式住居で、丁寧に葺かれた草葺きのとんがり屋根がなぜかとても美しく見えた。
「住んでみると分かりますが、あの住居の形はなかなか合理的なんです。地熱の有効利用という意味でもね。」
住人は年寄りばかりではない。マイケルを含む40代以下の若い人もいる。
彼らは、あえて「移住」を選択したのだろうか。快適な「永遠の命」ではなく。
「1つの住居に5〜6人が同居しています。まあ、ほぼ寝るだけですからね。昼間は外にいますから——。まだ3人しかいない住居があるので、そこに入れてもらうといいでしょう。
トイレは少し外れた場所にあります。一応、囲いはありますが、水洗ではありませんよ。」
マイケルはちょっとおどけたようにして言う。
「地面に穴を掘っただけで、使用したらトイレ脇に積んである抜いた草を被せて土を一掴み撒いてください。いっぱいになったら土を被せて、隣の穴に囲いを移動します。
もちろん、お尻用シャワーはありません。ペーパーはありますが、1回に1枚だけです。紙は木の皮や草の繊維を漉いて作りますが、貴重品ですから。
気になれば、後で教えますが、小川の水浴場より下流で洗ってください。石鹸やシャンプー類はここにはありません。」
そんな説明を聞いているうちに、三々五々、採取や釣りに出かけていた人たちが帰ってきてはマイケルに挨拶をしてゆく。
どうやらマイケルは、このコミュニティのリーダー格であるらしかった。
「新入りさんですか?」
「ええ。ムムニイ・スライさんとミウム・スライさんです。こちらはケイン・タナカさん。植物学が専門でね。頼りになる人です。」
コミュニティの住人たちは皆にこやかにムムニイたちを迎え入れてくれたが、1人1人紹介されてゆくたびに、ムムニイは自分が落ち込んでゆくのを感じていた。
それぞれが何がしかの「専門」を持っていて、ジョーモン・テクノロジーを駆使して村人が生きていく上での役に立っているように見えた。
妻のミウムはいい。彼女は有り合わせの材料で料理を作ることが上手く、特に火を使わずに素材を活かすことに長けていた。すぐにこのコミュニティで役に立つことができるだろう。
だが、医療器具メーカーの事務職として働いてきただけのムムニイには、ジョーモン・テクノロジーを使いこなせるような何ものも持ち合わせがなさそうだった。
オレは・・・、ただのお荷物じゃないか・・・?
そんなムムニイの表情を読み取ったのだろう。経済学の准教授だったと紹介されたカラムという50がらみの人物が、笑顔を見せてムムニイに話しかけた。
「心配いりませんよ。ここでは私の知識だってほぼ何の役にも立ちません。でも、私の専門から1つだけ助言できるとしたら、ここでは人力が、つまり人の労働力そのものが大変貴重な資本なんです。」
「わ・・・私は・・・、その、皆さんみたいに確固とした意思を持ってここにきた、というわけでもなく・・・」
カラム・フォロンと紹介されたその経済学者は、また破顔して続けた。
「いやなに私だって、ほんの1ヶ月前にここに来たばかりなんですよ。世代の特権として目覚めてしまった肉体側の意識を、再び捨てる覚悟ができないままにね。
それに、生身の人間には生身の人間の笑顔が必要です。ここでは、1人1人の存在そのものが大きな財産なのです。」