黒犬頭のバーサーカー
生存報告を兼ねて……
灰霧の森に近いベスコの町。
ある男が冒険者ギルドの戸をくぐった。
ギルド内でたむろする冒険者達は、一様に男へ視線を貼り付かせた。
そこまでは日常風景なのだが、根本的に違っている部分がある。
その男、背は高い。かなり高いが、そこではない。これくらいの身長の者ならまれに見る。
旅を目的として作られた上質の服は、くすんだグレーが基本色。金を掛けすぎている気はするが、まあ有りだろう。
旅人の常としてマントを纏っているが、合わせ目から見える肉体は、均整のとれた筋肉質のものだ。
腰には、細幅の長刀が無造作にぶら下げられていた。
凝った作りだ。捨て値で売っても5万メダーは下るまい。武器に金を掛けるのも、装飾の趣味を見いだすのも、この業界じゃ珍しくない。
鎧の類いを纏ってないが、彼は剣士だろう。纏って無くて当たり前。
で、いつもと違っている部分とは?
皆の視線がその頭部に集中している事だ。
頭部は黒犬のマスクを被っていた。
……いやマスクにしてはフィットしすぎている。まさに皮膚感覚。
一番近い犬種は真っ黒のドーベノレマン。だけど、目は人間の物。鋭い目だが、人間の様に白目と黒目がはっきりしている。知性的な澄んだ目。
ビロードのような光沢を持つ漆黒の毛並み。
黒犬頭のマスク? を被った男は人のいない受付に立った。
彼のクラスは……首からぶら下がっている識別プレートは銀色だ。
黒犬頭のマスクマンが口を開く。
違う! 黒犬のマスクを被ってなんかいない!
獣特有の突き出た口が、言葉を操る為に開いた。外から見える中の構造は正真正銘の生身。人の構造じゃない。
牙がゾロリと生えていて、長い舌が器用に動く。
時々、耳が音を拾う為にぴくりと動く。
「マスクじゃねぇ! 黒犬頭の……獣人か?」
「犬の獣人は聞いたことがない」
「兎と猫とネズミだけじゃなかったっけ?」
ギルド内でざわざわ声が広がった。
「ヤレヤレ、いつもギルドは騒がしいな」
ピンと直立していた耳が15°ばかり垂れ下がり、あんなに凛々しかった目に瞼が半分掛かっている。
「え?」
受付嬢は慌てていた。犬の口が喋ったのだが、声を認識出来なかったのだ。
「ど、どのようなご用件でしょう?」
犬の耳は力強く真っ直ぐ立ち、目に瞼が下りることはなかった。
「聞きたいことが一つある」
改めて聞くと、澄んだ若い男の声だ。イケメンだけに許される音色とも言えよう。そんな極上の声が犬の口から出てきた。
「ここの食事処でサラダを出している聞いたのだが? 本当か?」
「はい?」
受付嬢は戸惑った。その声にではなく、話の内容にだった。
犬が野菜を食べる?
「えーと、その横にあるカウンターが酒房です。今の季節は、新鮮な野菜サラダを提供しております」
黒犬頭の男は、一つ頷いてから酒房のカウンターへと向きを変えた。
受付台から身を乗り出した受付嬢が、彼の広い背中に向けて声を掛ける。
「えーと、お腹を下しているとか?」
犬が草を食べるのとは違う。
黒犬頭の男は、当然無視した。
「あ、逆にお通じを良くしたいとか?」
もうその辺でやめとけ、と冒険者達が目配せやハンドサインを送っている。
黒犬頭の男は、外したマントを椅子の背もたれに掛けた。腰の剣を背中側に回して席に座る。
目つきの悪い冒険者の一人が、それをめざとく見つけた。『ずいぶんと不用心なことだ』と。
注文通りにサラダが出てきた。ドレッシングは塩とオリブオイル。フォークを使い犬歯だらけの口へ運ぶ。
シャキシャキポリポリと小気味よい音を立てて咀嚼している。
旨いのかそうでないのか、表情変化に乏しいその黒い顔面からは判断できない。
やがて食べ終えた男は席を立つ。
「なあ、兄ちゃん?」
先ほど、剣の扱いを確認していた目つきの悪い男だった。
黒犬頭の男が細マッチョだとしたら、こちらは胸板の分厚いゴリマッチョ。背丈も同じ位であるから、力は目つきの悪い男の方が強そうだ。
「その腰の物、立派じゃねぇか! ちょっとだけ拝ませてくれねぇかな?」
これは完全に挑発だ。
「やめとけマック!」
仲間らしい髭男が静止するも、マックと呼ばれた目つきの悪い男の挑発は止まらない。
「すぐに返すよ。それとも心細くって、腰の物を他人に渡せない腰抜けかい?」
渡さなければ腰抜けと誹られ、渡せば悪戯される。
マックもそこまで本気じゃない。ただちょいと、黒犬男について、何らかの情報を引き出したいだけだ。
黒犬男は、無言で剣を鞘ごと抜き取り、無造作に放り投げた。
マックが片手で受け取る。受け取った腕が、がくんと下がった。
「重てぇ!」
慌てて両手を添えている。見た目と違い、鉄塊のように重たい。
デザインは……黒い鞘に黒い柄。鞘の両端と真ん中の3カ所に、金箔の装飾を施されいる。
柄頭と鍔も同種の装飾が施されている。古式の装飾法だった。
礼儀を重んじるなら、ここで返すべきだが、
――マックは剣を抜いた。
片刃の直刀だった。細幅であるが、想像通り肉厚だった。断ち切る刀だ。
部屋で振り回すには長すぎる。扱いにくい重さを感じながら、刀身を立てて見る。
見栄で持ってるんだな。そう思ったらムラムラと嗜虐の心が湧いてきた。
魔に憑かれたのだろう。
マックの筋力ですら重く感じる刀を上段に構えた。
目が怪しく笑っている。黒犬男の頭部を見据えている。
黒犬頭の男は冷たい目で、マックを見つめているだけ。微動だにしない。それどころか膝を完全に伸ばしている。これじゃ素早く動けない。
――このシロウトが!――
マックの首で銀のプレートが揺れる。レベルは黒犬頭の男と同じ。
「俺の腕の力ですら、この刀を振り下ろすには弾みを付けなきゃならねぇ。テメェみたいなヒョロッこいのがこれを扱える訳ねぇ。ハッタリと見栄だで持ち歩くんじゃねぇぜ!」
「おい! やめろマック! 刀を降ろせ!」
髭男がマックを止めようと声だけを掛ける。長刀のおかげで攻撃範囲が広い。万が一のことがある。「近づかない」。
「ちょっと素振りするだけだよッ!」
右足を一歩踏み出し、弾みを入れて勢いよく振り下ろした。切っ先が黒犬の頭に届く距離。
黒犬頭の男は真横に体をずらした。どうやって動いたかは目で追えなかった。
盛大に空ぶったマック。刀が重すぎて静止させられなかった。
ザク!
小気味よい音がした。
刀がマックの右膝び深く切り込んでいた。
「痛ぇーっ!」
刀を放り出し、血が流れ出る膝を抱えてうずくまる。
「バカが! 膝の腱を切りやがったな! 自業自得だぞ!」
それでも仲間だ。手当の為に数人の男が駆け寄ってきた。
黒犬頭の男が長い足を伸ばし、つま先で刀の柄を蹴り上げた。
くるくると回転しながら上昇する長剣を横手から叩きつけるように手を出す。
血の付いた長剣の柄を正確に握っていた。
刀を風車のように回転させる。まるで、さっきまで使っていたフォークを扱うような手軽さだ。
ぴたりと止まると、マックの襟元に血の付いた刃が押し当っていた。
相変わらず冷たい目でマックを見下ろして……あ、いや、なんか凄い自慢げだ。ドヤ顔?
――この犬、じゃなくて男……、出来る――
それに気づかぬ髭男は戦慄していた。
「まて! 待ってくれ! あんたが怒って当たり前だ! あんたは被害者だ! このバカが全て悪い! 俺たちが証言するし、後始末は全部俺がやる! だからこいつを見逃してやってくれ! 俺のダチなんだ!」
髭男の必死の嘆願だった。
黒犬頭の男は、それでも刀を力強く二度引いた。
血の付いた部分の両面をマックの服で拭っただけだった。
髭男に冷たい視線を合わせたまま、小気味よい音を立て、刀を鞘に収めた。そそて慣れた手つきで刀を腰に治め、背中を向けた。鼻の先が少しばかり上を向いている。
「すまねぇ! 恩に着るぜ。この借りはいつか返す……黒い犬の旦那」
黒犬頭の男は、マントを羽織りながらもう一度受付嬢の前に来た。
「引換所はどこだ。採集物を持っている」
引換所とは、採集物を金に変える所だ。目利きの職員が物に値段を付ける。多少の値段交渉の後、冒険者は金を手に入れる。
その採集物や金額によって、馬鹿にされたり狙われたりするケースが多かった為、いつしか金との引き替えは、一グループごとに密室で行われる様になった。
「え、あ……、そこです。そこの扉の奥です」
黒犬頭の男は、何も言わず扉をくぐった。
「寛容な犬、じゃなくて……人で助かった」
ギルド内部の張り詰めた空気は一気に緩んだ。
「何者だ? あいつは?」
「そうですね。シルバー級でしたけど、どうやって冒険者ギルドに登録したんでしょうね?」
受付嬢の場違いなコメントに、その場の視線が集まった。
「いえ、あの! 登録を引き受けた受付の人って心の広い人だなぁって……」
視線が外されることは無かった。
そうこうする内に、黒犬頭の男が引換所より出てきた。目的を達したのだ。
転がっているマックや髭男を一別もすることなく、ギルドを出ていった。
「なあ、あいつ誰じゃ?」
引換所より、鑑定士の爺さんが顔を覗かせた。この道40年のベテラン職員だ。
「あ! 経験値登録してない! え? 名前も聞いてない!」
受付嬢が慌てた。
鑑定の爺さんは溜息を一つつき、鑑定用のメガネを外した。
「こんな事喋るとルール違反なんじゃが……上クラスの魔晶石を複数個持ち込んできおったぞ」
「なんだって!?」
魔晶石は灰霧の魔界で――それもある程度の深部でのみ産出するマジックアイテムだ。
黒犬頭の男は、ソロで魔界の深部へ踏み込める実力を持っている事になる。
ちなみに灰霧の魔界深部へは、シルバーの上位クラスであるゴールドのプレート持ちで構成されたパーティーでしか入れない。いや、誰でも入れるが、灰霧の魔界深部から生還することは大変まれなケースとなる。
王国の騎士団が魔獣戦想定装備で、ようやく生還率が7割を超えるレベルなのだ。
「おまえら、あの男には、絶対に手を出すんじゃねぇぞ! さもないと取引額を削るぞ!」
そう言って冒険者共をびびらせてから、床で唸っているマックを発見した。
「もう遅いか……」
次に視線が集まったのは、黒犬頭の男がでていった扉だった。
受付嬢が、あることに気づいた
「あ、サラダのお代、もらうの忘れてた」
剣と魔法と魔獣の世界バルディーン。
この世界中に多数点在する神秘の場所。危険な場所。人外の魔境。
それは人類の侵入を拒み、穢れた魔獣を育て、排出する場所。
全てに共通する点は、灰色の霧に覆われた、大きな森であること。
人、それを「灰霧の森」、または単に「魔界」と呼ぶ。
そして魔獣は「病」を振りまく!
ここ、エスタード王国辺境の地、メイスタス村の近く。灰霧に覆われた魔界ギリギリの縁に開けた草原にて。
「あれ、であるか?」
魔獣を覗き見る馬上の完全武装騎士は、アレクシア第3王女である。
明るい赤茶色の髪に、ブラウンの瞳。今年17歳になる。
90人を抱える第一巡回騎士団・団長の肩書きを持っている。
「動きが遅いですな。叩くのは早いほうが宜しい。各隊、魔法使いを要にして扇形に展開しておけ!」
横に馬を付けているのは副団長ダレル。この巡回騎士団の実質的な指揮官である。
苦いも辛いも甘いも酸っぱいも噛みしめた、経験豊富な40代半ばのベテラン騎士。
短く切り詰めた暗い赤毛。短く刈り揃えた顎髭はブラウン。ちなみに顎髭は似合ってないとの評判だ。
「蜥蜴? 2本足で立っておるか? 生命力が強そうであるな」
「驚異レベルは……通常の『魔物』クラスですな」
「うむ!」
アレクシアも同意した。だいたいあの大きさは通常のクラス、「魔物」クラスである場合が殆どだ。
冒険者にもあるように、魔獣にもクラス分けがある。
一般的な『魔物』クラスに対応できるとされている目安は、冒険者だとゴールド級のパーティ以上。巡回騎士団なら1個分以上の戦力。冒険者レベルで銀や銅や革レベルではお話にならない。
『竜』クラスでダイヤモンド級冒険者パーティ以上。巡回騎士団3個分以上とされる。あくまで目安だが。
この上に『天災』クラスがあるが、歴史の教科書に載ってる程。一国の軍隊が総掛かりでないと倒せない。
最低の魔獣でも通常の戦士や自警団では刃が立たぬ。
魔獣対策の為、戦士が生まれ、職業として傭兵となり、それが騎士に昇華し、それらと危機を管理するシステムとして国家が必要となった。これがこの世界バルディーンの社会システムだ。
ダレルが続けて指示を飛ばす。場数をこなしている故、慣れたものだ。指示にも落ち着きがある。
「3方より同時攻撃用意! 魔法は先発が氷の投げ槍5本。後発が炎の矢5本。連射、使えるな!?」
灰霧を背にし、蜥蜴型の魔獣が恨みの詰まった目で睨んでいた。
目の前の蜥蜴は、大きさスタイル共に、見上げる高さを持つティラノサウルスと大差ない。ただ、表皮を赤い長毛に覆われていた。
体高は10メットルを超え、体重は10トレ程だろうか?
口から何を吐き出すか、知れた物ではない。
魔獣は、今はゆっくりと足を運んでいるが、巡回騎士団=敵を目で捕らえている。その目は揺らぐ炎のように、あるいは赤く爛れた複眼の様にも見える。もはや脊椎動物の目ではない。
「魔界の何を喰えば、ああも大きくなれるのだろう?」
アレクシア王女も、自前の槍を持ち上げ、攻撃の準備に入る。この王女、ただのお飾りではない。
「学者共の話ですが、魔界に適合した動物が、魔界のエネルギーを蓄え、巨大に凶暴に異形へと進化するのではないかと。ただしこれは推定で、検証するには魔界にて、動物が魔獣へと進化する過程を観察記録する必要があります。……誰にそれが出来ると?」
器用にも、指揮の合間にダレルが応じている。
さて、魔界のゆりかごで、じっくり育った魔物は、何らかのきっかけで魔界の外へ出ることがある。
外へ出た魔獣は、全て狂っている。――あるいは狂ったから母なる魔界を出たか?
見る物触れる物、全てを恨み呪い破壊し殺し尽くしていく。
魔獣が通った跡は瘴気によって穢される。土地に作物は育たず、人は治療困難な奇病疫病にかかり、苦しみの中、死んでいく。
よって、魔獣はなるべく早く死んでもらうに限る。
魔界より這い出た魔獣を退治する為、魔界を抱える地方から地方へと巡回する騎士団。それが巡回騎士団とう実戦部隊である。
彼らは、魔獣発生の報に、いち早く駆けつける為に存在する国営対魔獣専門チームなのだ。
「援軍が来るまで保たないのである!」
巡回騎士団は複数のチーム制となっている。互いに連携を取り合うシステムとなっている。連絡は出した。間もなく、先行と後発の部隊が駆けつける予定だ。
魔獣に動きがあった。
グルァアアーッガッ!
「突撃!」
魔獣が吠える。ダレルが指揮棒を振るう。
左右から包み込むように40騎×2の騎馬が突撃する。全員が貫通力に優れたランスを装備。馬の速度+人・馬・鎧の重量+ランスの貫通力。
10人の魔法使いが2種類の呪文を唱え終わっている。総掛かり。90人の戦闘職が、1匹の魔獣を総掛かりにする!
激突!
魔獣の表皮でランスが流れる。
「だめである! あの長い毛が、刺突武器すら受け流しておる!」
アレクシア王女の目は良い。戦闘の機微を見る目も良い。
「魔術師っ! ッてーッ!」
5本のアイスジャベリンが、全弾、蜥蜴魔獣に直撃。魔獣の全身が氷に覆われる。
それは一瞬。
ギャガァァアーッ!
巨大な頭部と太い尻尾を一振りするだけで、氷が吹き飛ぶ。
「凍ったのは体毛だけ?」
続いて炎の矢が5本飛ぶ。これも全弾直撃。
焦げたのは体毛のみ。
「騎士団抜刀! 足を殴れ! これ以上進ませるな! 魔法兵団! 2連発! 味方に当てるなよ!」
長くて厚い層を持つ魔獣に刃物は通じない。打撃で内側へダメージを通そうと考えた。
ヴォン!
長尻尾を一振り、続いて巨大な頭部を一振り。それだけで接近戦を挑んだ騎士達を殴り倒し、地に伏せさせた。初手が通らなかった以上、こうなることは確定事項。だが彼らに立ち止まることは許されなかった。
魔獣が大きく息を吸い込む。胸部が大きく膨らんだ。
「姫様! 前面防御ッ!」
「心得た」
馬上のアレクシアとダレル両名は、ラージシールドを前面に揃えて立てる。隙間は二人の鎧で埋める。二人の姿は馬ごと盾に隠れた。魔法使い達も、その影に非難する。
ヴォアァァー!
魔獣の咆吼!
「く!」
「しまっ――」
これは怯みの咆吼。
まともに食らった。てっきり火を噴くと思った!
馬が竿立ちになり2人は振り落とされる。2メットル越えの高さより落とされた重装備の騎士。もちろん材料は鉄だ。
意識を飛ばさなかっただけでも対したモノ。ただし、今現在では、走馬燈を回すしかないが。
魔法使い達は精神が統一できておらず、次のスペルが唱えられない。
魔界を隠す灰色の霧に、魔獣をへばりつかせたままという状況にとどめた事だけは褒められるが、それまで。
魔獣はこれから、そこで伸びている騎士達を食い散らかした後、近くの田畑と村から襲いかかっていくだろう。恨みを晴らし大地に呪いを掛けるため!
「ゴホッ! え、援軍は……まだであるか?」
ヨロッと上半身を起こすアレクシア。鼻からでた血はそのままに。
「き、来ました。……第12班と第2班。どちらも60騎づつ、計120騎」
剣を杖に片膝立ちのダレル。掲げる旗を見て応援の部隊を確認した。
双方、近くで合流し、一気に攻め上がってきたのだろう。魚鱗の密集隊形だ。
数と速度と、あと勢いを利して一気に押しつぶす作戦だ。
「我等にかまうな! 一気に行くである!」
ズボォオッ!
蜥蜴の魔獣が炎を噴いた。
いや、口腔より、黄色く光りを放つ熱を放ちつつ、上下左右に薙いだ!
遠距離から大出力砲の一撃。
密集していたのが仇となり、120騎全員が宙に巻き上げられた!
そして落下!
「これは悪夢である!」
「だと宜しいんですが……読み間違えましたな。この魔獣、『魔物』クラスではありません! 『竜』クラスです!」
刺突兵器も切断兵器も利かず、低温にも火にも強い。
精神攻撃を持ち、長距離兵器すら持つ魔獣。
頭や尾による近接攻撃力もバカにならない。
遠近両用攻撃力保持、物理と特殊攻撃ダメージ減少。
ズンズンと身軽な動きで進んでくる『竜』クラス魔獣。動きも素早い。
「騎士2人と魔法使い10名、これでどうやって倒しゃ良いんでしょうかね?」
「泣き言を言うでない! 来たぞ!」
さすが巡回騎士。アレクシアとダレル二人は、両足で立ち、剣を構えていた。
「我等は死しても民を守らねばならぬ! それが巡回騎士団の勤めである!」
「今からでも入れる騎士職の死亡保険は無いでしょうか?」
この期に及んでも、二人は後に引かぬ。
魔獣は長槍の届く距離でストップ。なかなか、獣らしからぬ戦い巧者!
ヴォアァァー!
ここに来て怯みの咆吼!
そして、熱線のブレス(レーザー)発射の予備光!
体の自由が利かぬ二人は、死を覚悟した。
ウォオオオオオオーン!
「なんであるか?」
「遠吠えのようですが?」
魔界より遠吠えが轟き木霊した。
魔獣が後方へ長い首を向ける。
それは魔物より高みの宙にあった。
灰霧を突き破り人の形をした黒いのが飛び出した。粘っこい灰霧の尾を引いている。
片手に持った細幅の直刀を振り抜いた。
魔獣は大きく首をそらせ直接の交差を回避した。今まで逃げなかった『竜』クラスの魔獣が、身をかわしたのだ。
灰霧より暗いグレーを基本色とした程度の良い旅人の服。
吊り上がった目に狂気を宿す。『竜』クラスの魔獣に単身攻撃を行う男だ。狂ってない方がおかしい。あるいは狂戦士か?
そして――
「黒い犬の頭?」
着地。あの高さから飛び降りておいて、全く間を置かず飛び上がる。足の筋肉はどうなっているのだろう?
対応の遅れた魔物の頭部とすれ違いざまに、逆袈裟に刀を振るう。
グルァアアーッガッ!
怒りの咆吼を上げながら、魔獣の頭部が首より離れていく。
血を穿ち、巨大な頭部が落下。振動がアレクシアの足に伝わる。
その頃になって、残された体がゴロリと転がった。血が噴き出したのは、それからだ。
パチリと音がする。黒犬頭のバーサーカーが刀を鞘に収めた音だ。
―― 1撃で ――
アレクシアはまだ夢から覚めないでいる。
あの技量、あの太刀捌き。達人・剣聖どころの話ではない!
たった1人で巡回騎士3部隊分の戦力!
「こう、毛並みの逆に逆らうように刃を入れると斬れる
」
手を刀に見立て、プレイバック。
黒い犬の口が動き、綺麗な声がでる。簡単に言ってくれる。
手が斜めに動く。こう斬るんだと説明しているようだ。
表情に乏しいが、アレクシアにはドヤ顔に見えた。
「え?」
アレクシアの口から間抜けな声が出た。
黒犬頭のバーサーカーは澄んだ目をしていた。理知的な男の目をしている。
アレクシアは言葉を失ってたまま。次の言葉がだせない。
「やれやれ、困ったもんだ」
黒犬頭は背を向け、灰霧に覆われる魔界へと歩いて行った。
「ま、待ってくれ! 私はエスタード王国の巡回騎士団ダレル・ウォッシュ。こちらは王国王女のアレクシア殿下!」
先に我に返ったのはダレルであった。
「此度のこと礼を言う! 貴殿におかれては名乗りを上げてもらえないか?」
黒犬頭の男は束の間立ち止まり、僅かばかり首だけ動かして、こう名乗った。
「アスタ」
そして灰霧の中に消えていった。
「何者であるか? アスタとは?」
「あの者に心強く思うが、……何でしょうな? 不安を感じるのは……」
人としての知性は確かに持っている。アスタが信奉するのは、正義か悪か。そこが解らない。
彼の出現がエスタード王国にとって吉祥なのか、災いなのか、人類の中に予言できる者などいない。
「なんだか、もう一度会える気がするのである」
アレクシアは、アスタが立ち去った灰霧の森を見つめ立ち尽くすだけであった。