なきむしおおかみ
なきむしおおかみ
村の成人の儀礼は、何か一つ新しいものを得て帰ること。
「何でウェルが帰って来ないんだ!」
癇癪めいて叫びを上げて、リューエストは自分の黒髪をかきむしった。
既に半分形骸化しているような儀礼だが、親友はいつも真面目だから誰かと鉢合う度に譲っていったのだろう。
「お人好しにもほどがあるっ」
昔からそうだった。
小さくて身体の弱かった自分を同世代の皆が見下しいじめても、ウェルだけはいじめなかった。
『黙ってやられてるお前も悪い。だから余計なめられるんだ』
呆れ混じりでも、守ってくれて、守り方も教えてくれた。
『お前は村長にって期待されてるし、本当にそうなるなら、自分の身くらい自分で守れるようになれ』
ずっと一緒にいられると思ってた。
村長になっても、その隣で呆れ混じりにぼやきながらも、ウェルが支えてくれると、思ってた。
なのに。
(何でウェルはオレよりあんな貧相な奴に構うんだ!)
村から遠く離れたこの街で、やっと見つけた親友は、まるでお化け屋敷のような場所で番をする仕事に就いていた。
しかも、雇い主だというのは、自分やウェルよりも年下の男みたいだけど男じゃない、色気の欠片もないガキ娘だ。
更に言うと、それを正直に口に出すと見たこともない形相でウェルが怒る。
(何で何で何で! あんなガキの何処が良いんだ!)
こう言っては何だが、釣り合わない。
ウェル自身は全然気づいていなかったが、さらさらの銀髪に凛々しい顔立ち、夕焼けのような赤い瞳。それに優しいし、真面目だけど融通も利いて、という優良物件が目立たないわけがない。村の女の子達の間でも結構人気だった。
そしてそんなウェルが、現在大事に守るように接しているのが……。
「あ。リューエスト、元気?」
この人間のガキ。
図書館司書の制服を着て、薄く赤混じりのくすんだような変な金髪に苔みたいな緑の瞳。見るからにガキっぽい身体つきで、中身も女ぽさなんて欠片もない。
「うるさい。話しかけるな」
「リュー!」
視界にそのガキを入れたくなくて、オレは踵を返した。
別に、ウェルに怒られそうだったからじゃないぞ!
仕事として与えられたのは掃除。朝晩二回、この館内を隅々まで掃除すること。
「う~……」
単調でつまらない。何でオレがこんなこと……。
「あ、ここか。リューエスト」
くっそ! また出た。
「何だ。気安く話しかけるな」
「ごめんごめん。ところでさ、リューエストって本とか好き?」
「お前と同じくらい嫌いだ」
「おう。ストレートだね。でもまぁ、それなら大丈夫そう」
何がだ。
掃除道具を持ってついてくるように言われ、仕方なく後に続く。
地下につながる階段を降りて、指し示されたのは何やら陰気臭い感じの、更に地下に繋がっているらしい階段だった。
階段入口の四隅に小さな珠がはまっていて、何だかそれがやけに気持ち悪い感じがした。今まで感じたことがない気持ち悪さだ。
何か喧嘩売られてるような気になる。
「ここの掃除、頼める? ウェルと私達は少し外で鍛練しなきゃいけないから、その間だけ」
「わかった。……掃除の必要あるのか?」
「んー。軽くで良いよ。どっちかって言うと、お願いしたいの見張りなんだよね」
「見張り……?」
「もし、その階段の奥から何か出てきそうになったら、大声で呼んでね」
「何かって何だっ? おい!」
いやーな言葉だけ残し、ガキが上に戻っていく。
「何かって……」
残された言葉のせいで不気味さが際立つ階段に、背筋がゾワゾワする。
「き、気にするな。気にするな!」
いくら陰気臭い幻想化身だかなんだかがいるような所でも!
とりあえず珠の周囲が何故か焦げみたいので汚れているから、しゃがんで剥がれるかつついてみる。
「幽霊なんていない! 幽霊な、んて……」
(そういえば……)
昔、廃墟の探検に行った時。
『こんなとこにいたのか。ユーレイなんていないって。早く帰るぞ』
『う……ウェル?』
他の子供はとっくに居なくなり、怖くて動けなくて、でも誰も探してくれないと思って、ただただここで一人で死んじゃうんじゃないかと。そう、思って、いた。
『ほら。帰るぞ』
ウェルが探しに来てくれた。手を差し伸べて、手を引いてくれた。
幽霊なんていないと言って呆れたような顔をしていたけど、握ったウェルの手は小さく震えていて、実際はウェルも幽霊が怖かったんだとわかった。
『おまえはつぎの村長だ。おれたちを引っ張っていくんだぞ』
『ムリだよ、ウェルぅ……。ボク、絶対しっぱいする』
金狼の次期村長候補。祖先の血が色濃く出た、身体の一部が金色の人狼。
今までの金狼がどうだったかなんて知らないけれど、自分にはそんなの務まらない。
『失敗したって良いだろ』
『え』
『失敗するな、なんて言わないし、言えないだろ? だれだって、何でもかんぺきにできるわけじゃない。ましてやったこともないのに』
その茜の瞳は、本当に優しくて。
『だからみんながささえあってる。今の村長だって、一人で何でもなんて出来ないから、ほかのおとなが手伝ってるんだ』
ぐしゃぐしゃと頭を撫でてくれた手は、本当に暖かくて。
『出来ないことは、あるだろ。けど、出来ることだってあるはずだ』
『できること、なかったら?』
『出来ることを探せばいい。それでもないなら、出来ることを、作ろう。そのために、必要なら手をかすから』
笑うその笑顔に。
「……ウェルみたいに、なりたいって思ったんだ」
頭が良くて、強くて、カッコいいし、優しい。
(ウェルはオレの憧れなんだよな……)
だから、今の状況は面白くない。
「適当に獲物でも狩り場でも見繕って帰れば良いのに……」
この辺りなら村の奴は全員範囲外だ。何よりウェルにとっても新しいもの。条件は十分満たすのに。
こんな陰気臭い建物の掃除と寝ずの番なんて、面白くも何ともない事、さっさと放り出して一緒に帰れば良いのに。
「あんなガキの、何がオレより村より良いんだよ……!」
ムカつく! なんて思ったのがいけなかったのか。
「うぇっ?」
思いのままに拳を振り下ろしたそこに、珠があった。
バキッと、音がした。
「…………」
いやいやいやいや。見間違いだ。そんな。
確かにちょっと爪当たったかも知れないし、良く見たら気が昂りすぎて手足が獣化しかけてた(握力跳躍力など該当部分強化状態だった)けど、まさかそんな。
「……………………」
指先でちょっと触ると、ポロっと砕けた珠の欠片が床にこぼれた。
「ひっ」
壊した。もう完璧に。
「か、飾りだよなっ」
こんな地下の階段なんかにつけてるんだから、大したものじゃないはず! ……だよな?
「と、とりあえず……」
接着剤を探そう。
地下から階上へ続く階段を駆け上がる。
「!」
そして扉を開けるとそこには、
「あら。新しい職員さん?」
女神がいた。
「どうか、されました?」
太陽の光みたいな柔らかそうな髪と、髪と同じ金色の長い睫毛に縁取られ、青空をそのまま閉じ込めた宝石みたいにきらきら輝く瞳に、雪みたいな白い肌。唇は淡く花みたいに色付いて、そこから零れる鈴を転がすような声音が可憐で。身に纏っているふわふわの白い足首までのワンピースと相まって、まさに女神のような。
小鳥のように小首を傾げる様子がたまらない。
「あの……?」
「っ! は、はい!」
「大丈夫ですか? お顔の色が……」
「だ、だだ大丈夫です!」
「そう、ですか……? 無理しないで、お大事になさって下さいね」
ニコッと微笑まれた。可愛くて優しい! やっぱり女神!
「あの、メリー……メリーベル館長はどちらに?」
「メリーベル……」
ああ、あのガキそう言えば館長で、そんな名前だったなと思って答えようと口を開く。
「!」
ぞわりと。悪寒がした。いや、悪寒なんて生易しいものじゃない。背筋が凍る。
「逃げ」
目の前の女神を逃がさないと。そう考えて動くより先に、背後から弾き飛ばされる衝撃に視界が回った。
「ありがと。戻って良いよ」
息が、止まる。
戻る? ……オレだけが?
(オレが、壊した……せいなのに?)
メリーベル。ガキにしか見えない、ウェルの……オレの、雇い主が、静かに言う。
顔は、上げられない。目が、見られない。
「ごめん。出口まで送ってけないから、怖くても一人で戻って」
怖い?
(怖いに決まってる)
戻る?
(戻りたい)
一人で?
(そんなの、できるわけない!)
オレのせいだ。
オレがあの変な珠を壊したせいだ。
そのせいで、あの化け物に、女神が拐われた。
オレの目の前で。
(オレ……何も…………)
「御主人様、私がお送りして戻って参りましょうか?」
「もうっ。パロマ、ダメだよ。駄犬より、主人の友人の方が優先!」
「ですが……」
視線を、感じる。メリーベルのも、他の奴らのも。
でも、どれ一つとして、見られない。
自分の鼓動が、痛いくらい速く、響く。
何も出来なかった?
(違う。まだ、過去じゃない)
何もせずに、自分だけ戻る?
(絶対嫌だ!)
怖い。自分のしでかした事で、あの女の子が死ぬかも知れない。
怖い。何もしないで、結末が良くても悪くても、自分は逃げ出した事実を抱えて、これからを生きていくのも。
怖い。怖い。怖い。
こんなに怖いのに、まだ踏み出せない自分の弱さが。
「リューエスト」
声が、した。
(何で……)
違うのに。何で。
「私達は先に進むけど、どうする?」
その声はまるで、あの日探しに来てくれた、ウェルと重なった。
「……オレ、は」
謝らなきゃいけない。
あの子にも、ウェルにも、それから……この館長にも。
謝りたい。
取り戻さなくてはいけない。
(オレに、出来ること……)
オレがやらかした事だ。オレが一番どうにかしなきゃいけない事だ。
オレの出来ることをするのは、当たり前だ。
「オレも……行く」
怖いなんて、言える立場じゃない。拐われたあの子の方がずっと怖いはずだ。
目の前の、このオレより年下なのに自分を抑えて冷静に振る舞おうとしている、オレにとっての親友みたいな相手を、オレのせいで失いかけているこの少女の方が、ずっと、怖いと、思っているはずなのに。
オレが、何もしなくて良いわけない。オレの方が怖いなんて、口が裂けても言えない。
(オレは、ウェルみたいになんて、なれないけど)
出来ない、なれない。で、泣いてて良い歳じゃない。
オレに出来ることを、やるしかない。
終






