62.ノアアークの罪
「――今から、二百年以上前の話になる。ゴフェルは元々、この世界のどこかにある、貧困街に生まれた少女だったと、そう聞いている」
ローレン王は話をはじめた。
低いテーブルには、人数分のティーカップが置かれている。さきほど、エリスちゃんが手早く用意してくれたお茶だ。
王宮でよく飲んでいたお茶と同じように、とてもいい香りが漂っている。
けれど、今は誰も手をつけようとはしなかった。
「……ゴフェルには、兄がいた。まずその兄について、君に話さなければならないことがある」
言いよどんだローレン王を真っ直ぐに見て、私は大きく頷いた。
「ゴフェルの兄は、ノアアーク王ですよね。先日、本人から聞かされました。血は繋がっていないが、妹のような存在だったと」
そう言うと、ローレン王は驚いたように目を見開いた。
「……そうか。君はすでに兄のことを知っていたのだな。知っていて、そこまで毅然とした態度でいられるのか。本当に強い子だな」
「さすがに聞かされたときは、かなりショックでしたけどね……」
そう言いながら、告げられたときのことを思い出す。
あのときは、めちゃくちゃ落ち込んじゃって、バロンに叱られたんだっけ。たった数日前のことなのに、何だかなつかしい。
「あ、あの……! 少しよろしいでしょうか……?」
突然、斜め前に座っていたエリスちゃんが勢いよく立ち上がった。混乱しているような目をして、私を見ている。
「も、申し訳ありません……! 先ほどから、話の腰を折ってはいけないと思いつつも、分からないことばかりで混乱してしまって……。ノアアークに妹がいることは、王から聞いてわたくしも知っています。けれど、それがスズ様とどう関係しているのですか……?」
いつも冷静なエリスちゃんにしてはめずらしく、声が震えていた。
狼の姿のリオくんも、落ち着かないのかウロウロと歩きまわっている。
そうか。私はこの話を王宮に連れ戻されたときに聞かされたから、この二人は事情が分からないんだ。特にリオくんは、ノアアーク王に妹がいることも知らない。そりゃ、わけがわからないよね。
「ごめん。二人には言ってなかったよね。驚くかもしれないんだけど、私は元々この世界の人間で、ゴフェルっていう名前のノアアーク王の妹だったらしいんだ。バロンも言っていたから、間違いないと思う」
あまり深刻な雰囲気にはしたくなくて、なるべく明るい声で言う。
エリスちゃんは、目を丸くして私を見た。
「ス、スズ様が、ノアアークの妹!? それは本当なのですか!?」
「うん。辻褄が合うし、本当だと思う。記憶はないんだけどね」
「で、では、どうやって別の世界に行って、また戻ってきたのですか!?」
「そのへんは私にも分からないんだ。ただ、ノアアーク王は、二百年前に逃げ出したんだって言ってた」
「スズ様が……そんな……まさか……」
エリスちゃんの顔がみるみる青ざめて、細い身体がふらつきはじめた。
うう……ゴフェル本当に何をしたんだろ。聞くの怖すぎる。いやもう聞くけどさ。
その後すぐに、ローレン王は優しい表情を浮かべて、私を見た。
「そこまで知っているのなら、話が早い。エルレインもリオも、一緒に話を聞いてくれ。先ほどノアアークが君にだけは甘いと言っていたが、間違いなく、君が妹だからだろう。ノアアークは残酷な思想の持ち主で、周りの人間に興味がないようだったが、妹のゴフェルには優しかった」
そう言われて、私の訴えを聞き入れたノアアーク王を思い出す。
思えば、最初に会ったときから、私の要求は全て通っている。
苦手な人物であることには変わりないけど、私を通して見ているゴフェルには、とても優しいような気がした。
「当時、ノアアークとゴフェルは、かなり貧しい生活をしていたようだ。ゴフェルの方は、貧しいなりに真っ当に生きようとしていたようだが、ノアアークは違った。生まれと境遇だけで全てが決まる、この世界を深く憎み、自分とゴフェルを邪険に扱う人間全員を恨んでいた」
ローレン王は再び話をはじめた。
ゴフェルが貧困街出身だと言っていたから、もしかしてとは思ったけど、やはりノアアーク王も元々貧困街の生まれらしい。あの美しい姿と上品な話し方からは想像ができなかった。
「貧しい生活に絶望したノアアークは、ついにゴフェルを連れてダンジョンに入った。実はここまでは珍しい話ではない。各地に出現しているダンジョンに挑戦し、精霊と契約して優れた能力を手にすれば、高確率で成り上がることができる。貧しい生活からの脱却を目指して、ダンジョンに飛び込む人間は、当時数多くいた」
「ダンジョン……って、数百年前から挑戦した人が誰も帰ってこないっていう、あのダンジョンのことですか?」
「……ああ、そのダンジョンだ。現在、挑戦した人間が戻ってこない原因については、今している話と関係があるから、最後まで聞いてくれ。これも君にとっては、残酷な真実だが……」
「……分かりました。話を続けてください」
ローレン王を真っ直ぐに見て、うなずいた。
「私自身、ダンジョンへ行ったことはないが、攻略者から話を聞いたことがある。攻略の成功率は決して高くない。むしろかなり低い。挑戦したことのある君なら分かるだろうが、運の要素がかなり大きいからだ。そうだろう、バロン」
ローレン王がバロンに話を振ると、バロンは長い耳をぴょこんと動かして、うなずいた。
「まぁそうだね。ダンジョンにもよるけど、成功率はかなり低いよ。千人に一人いればいい方じゃないかな。その中から使える能力ってなると、さらにがくんと下がるしね」
「バロンの言ったとおりだ。しかもダンジョン攻略を目指そうとする人間は、圧倒的に貧困街の人間が多い。現状の生活に満足できずに、身を捨てる覚悟で挑戦する者が多いからだ。だが、貧困街の人間はマトモな訓練を受けていない。そのせいで、さらに攻略する確率は下がったと言われている」
ローレン王はそう言って、テーブルに置かれているカップを手に取り、一口飲む。
それから、再び口を開いた。
「――だが、ノアアークとゴフェルは、奇跡的にダンジョンを攻略した。さらに二人は、偶然に偶然を重ねて、おぞましい能力を手にしてしまった」
「……おぞましい能力、ですか?」
「……いや、言い方に語弊があるかもしれない。どんな能力も、結局は持ち主次第なんだ。使い方によって、救いにも脅威にもなりうる。あの二人――特にノアアークは使い方を誤ってしまった。結果おぞましい能力となってしまった」
そう言われて、思わず首をかしげてしまう。
「でもノアアーク王の能力って、移動能力のレベル10のことですよね? 移動能力は私も持っているので大体のことはわかりますけど、そこまで脅威になるような能力でしょうか? 確かに戦闘力は高いですが、あの能力でどうやって世界をおかしくしたのかが想像できなくて……」
そう言うと、ローレン王は、驚いたように目を見開いて私を見た。
「今何と言った……? 君も移動能力を持っているのか?」
「あ、はい。ダンジョンを攻略したときに、治癒能力と合わせてバロンにもらいました。といっても、レベルは7なんですけど」
「君は本当にすごい子だな……。しかし、ノアアークと同じ能力とは、そんな偶然の巡り合わせがあるのか……ああ、すまない。話を戻そうか。君の言った通り、ノアアークが持っている脅威の能力というのは、移動能力のレベル10のことだ。君は軽視しているようだが、とんでもない。あの能力で多くの人間の人生が狂わされた」
ローレン王は拳をぎゅっと強く握り、憤るような強い口調で言った。
「……人生を狂わせた? ノアアーク王は何をしたんですか?」
緊張しながらたずねると、ローレン王は顔を上げて、口を開いた。
「――ノアアークは、この世界を狭くしたんだ」
……世界を狭くした?
告げられた言葉は、ぴんと来なくて思わず首をかしげてしまう。
「どういうことですか?」
「スズ。君は違う世界から来たのだろう。元いた世界と比べて、この世界はどうだ? 狭すぎると思ったことはないか?」
そう言われて、ようやくローレン王の言いたいことが分かった。
ここに来る前、バロンにもたずねられたことだ。
膝の上に乗っているバロンを見ると、私を見て小さくうなずいた。
「……はい、あります。この世界に来たときから、ずっと思っていました。この世界には、国がたった三つしかない。それぞれの国も、一日でまわれてしまうぐらい小さいんだなって」
「その通りだ。世界がこんなに小さいはずがない。この世界は、二百年以上前にノアアークによって断絶された世界なんだ」
「……断絶された世界? どういうことですか?」
まだよく分からなくて、聞き返す。
エリスちゃんは、落ち着いた表情をしている。この話は、すでに知っているんだろう。
ローレン王は神妙な表情のまま、話を続けた。
「ノアアークの能力が脅威だったのは、瞬間移動ができることでも、召喚契約の人数に制限がなかったことでもない。レベル10だけが持つ特異能力、空間を切り離せる力だった」
「く、空間を切り離す力、ですか……?」
同じ移動能力なのに、覚えのない力だ。
……わけが分からないことばかりで、そろそろ頭が痛くなってくる。
「本来、この世界はとてつもなく広い。それはもう、気が遠くなるほど広かったよ。人間のちっぽけな生涯では、人生全てを使ってもまわりきることはできない。未開の場所も数多く残され、もちろん世界地図など存在しなかった」
「じゃあ、この世界は……?」
「この小さな世界は、ノアアークが元の広い世界から切り取った世界なんだ。この世界の外には、ここよりもずっと広い世界が広がっている」
あまりにもスケールの大きな話に、頭がくらくらした。
全然、ぴんとこない。
今、自分が存在している世界の外に、さらに広い世界がある。
そんなことを言われて、うまく想像できる人なんて、いないんじゃないだろうか。
「先ほど君が言っていた、ダンジョンに入った人間が返送されない理由がこれだ。この世界は、ノアアークによって切り離されているが、精霊が管理しているダンジョンはノアアークの手が及ばない。失敗した人間はこの世界外も含めてランダムに返送される。だから、挑戦者は世界外に返送され、見つからないんだろう」
「な、なるほど……」
ものすごく納得した。
ローレン王の言っていることが真実なら、挑戦者が帰ってこないことの辻褄が合う。
「……おそらく、貧しかったノアアークは、生まれた環境で運命が決まることが、どうしても許せなかったのだと思う。貧しくても、王になれることを証明したかったのだ。そして、実際になった。この世界で一番大きな国の王に」
ローレン王は話を続けた。
「手にした能力で世界を狭くし、自分より強くなるかもしれない者――レベル10の人間をこの世界から排除していた。ちっぽけな世界にいる治癒能力者を全員さらい、自分と数人の部下だけが不老不死として特別な存在になった」
ローレン王はそう告げて、また真っ直ぐに私を見た。
「――それが、ノアアークの罪だよ」




