48.知らない後悔が長い夢を這う
***
――長い、長い夢を見ていた。
今なら分かる。
これは、ずっとずっと昔の、私の夢だ。
あのころは、毎日がひもじくて、いつもお腹がすいていて。朝から晩までくたくたになるまで働いていたっけ。
けれど、ダンジョンを攻略したあの日から、私の生活は一変したんだ。
この世界には、ダンジョンと呼ばれる場所が存在する。
それは、世界を作ったとされる精霊が管理している場所で、世界中に点在しており、誰でも自由に入ることができた。
精霊の元にたどり着いて契約をすれば、特別な異能力が手に入るが、中には恐ろしい怪物や、罠が数多く仕掛けれており、討伐したり回避しながら、精霊の元へ辿り着かなければならない。
途中で力尽きれば、ダンジョン内の記憶を消されて、広すぎる世界のどこかに飛ばされてしまう。
そのため、挑戦者はよほど生活に苦しんでいる人か、力に自信がある人しか近づかなかった。
けれど、その人いわく。
みじめな生活から脱却するために、私たちはダンジョンに入った。
ダンジョンに入るとき、私はおそろしくて涙がとまらなかった。
本当は嫌だった。入りたくなかった。今の生活に、不満なんてなかったんだ。
けれど、私はそれを伝えられなかった。
その人は、足が震えて動けない私の手を引いて、ダンジョンに入った。
――そして、その人と私は報酬として、能力を手に入れたんだ。
能力を手にしてから、その人は、変わってしまった。
能力を使って、他人のお金を、ものを、人格を奪うようになった。
「今まで俺たちは、たくさんのものを奪われてきたんだ。ただその分を、取り返しているだけだよ」
その人はいつもと変わらない、優しい笑顔で、私にそう言った。
私にはそれが、とても恐ろしかった。
***
「……んん」
意識が浮上する。
……何だろう。また嫌な夢を見ていた気がする。だけど、内容が全く思い出せない。
目を開けて、まず視界に入ったのは、白い大理石の床に投げ出された自分の足だった。
それからすぐに、両腕が動かないことに気が付く。確認すると、天井まで伸びている大きな柱に、太い鎖で拘束されていた。
……やばい、何があったんだっけ、と考えて、すぐに思い出した。
――そうだ。私、エリスちゃんとエルマー様に、襲われたんだ。
「……痛、い」
ずきんと激しい頭痛がして、思わずうめく。
この状況と、はっきりしない夢のせいで、頭痛がとまらなかった。
「まぁ、お目覚めですか、スズ様。あいかわらず、お寝坊さんですわね」
唐突に声をかけられてはっとする。
そばにいたらしいエリスちゃんが、いつもと変わらない、可愛らしい表情で微笑みながら、私を見ていた。
「エリス……ちゃん、その格好……」
驚いてつぶやく。
エリスちゃんは、侍女のエプロンドレス姿じゃなかった。
かっちりとした白いジャケットに白いパンツを着用していて、腰に剣を指している。
明らかに私が知っているエリスちゃんじゃなかった。
「ふふ、プレジュ王国の正装ですわ。素敵でしょう?」
エリスちゃんはにっこりと笑って、そう言った。
少し離れたところに、エルマー様も立っている。エリスちゃんと同じ白い服を着用して、バツが悪そうな表情をして、私と目を合わせなかった。
「そ、そうだ……ッ! リオくんは!?」
「リオ様なら、そこにいますわ。面倒なことになりそうなので、わたくしは放っておきたかったのですが、エルマーが連れていくと言うもので、仕方なく」
指された方を確認すると、リオくんは私から少し離れた柱に、同じように拘束されていた。瞳は固く閉じられて、眠ったままだ。
ここにいる、ということは、少なくとも王宮側に手を出される心配はない。そのことに少しだけほっとした。
エリスちゃんは、くすりと笑って、私に近づいてくる。
一歩近づいてくるたびに、大理石の床を踏む音が高らかに響いた。
細くて白い人差し指で、顎を上向けさせられる。
「……スズ様。あなたをさらったのは、あなたにお願いがあるからなのです。わたくしの言うことを聞いていただけますか? 痛い目には遭いたくないでしょう?」
「おい、エリス! 何してんだやめろっ! 乱暴するな!」
今まで黙って見ていたエルマー様が、慌てた様子で駆け寄ってくる。
途端にエリスちゃんは、冷ややかな目をエルマー様に向けた。
「……誰に口を聞いているんですか、エルマー。エルレインさん、でしょう?」
その言葉に、エルマー様は口をつぐんで。それから、再び口を開いた。
「エ、エルレイン、さん……やめろください……」
「ふん。まぁ、いいですわ」
エリスちゃんは私から手を離して、踵を返した。
――何が起きているんだろう。
ここまできても、状況が理解できない。いや、本当は分かってるけど、理解したくないだけだ。
きっと、エリスちゃんとエルマー様は……。
「王宮の人じゃなかったんだね……」
天井の高い、広い空間に、私の声がよく響いた。
エリスちゃんは、にっこりと微笑んで、エルマー様はうつむいた。
「いいえ。ちゃんと王宮の人間でしたわ。侍女の面接にも通りましたし、三年も働きましたもの」
「……いや、そういうことじゃなくて」
「ふふ、スズ様が言いたいことは分かっておりますわ。お察しの通り、わたくしたちはティルナノーグの人間ではありません。この国、プレジュ王国民です。治癒能力者を狙って、潜伏しておりましたの」
淀みなく、すらすらとエリスちゃんは答えた。
……やっぱり私はずっと、騙されていたんだ。
あまりにも身近な存在だった二人から裏切られたという事実をようやく理解して、悲しくなった。
やばい……泣きそう……。
「ス、スズ……! おい、大丈夫か……?」
慌てた様子でエルマー様が近づいてくる。私は首を振った。
「……大丈夫じゃないですよ。さすがに泣きそうです……ひどい……」
「だ、騙してたのはすまなかった……。でも、ここにいる方が安全かもしれねーからさ。お前もリオも」
たどたどしく、エルマー様が謝ってくる。
それを見てか、エリスちゃんは、わざとらしいぐらい大きなため息を吐いた。
「……この男は本当に役に立ちませんでした。何回殴ったか分かりませんわ」
「な、なぐ……? え? は?」
思わず聞き返してしまった。
可愛い顔と声で物騒な言葉を言われて、こぼれそうだった涙が一瞬で引っ込む。
目と耳からそれぞれ入ってくる情報が違いすぎて混乱する。おしとやかだったエリスちゃんの言葉とは思えなかった。
そばにいるエルマー様を見ると、口をつぐんで、目を泳がせている。
「エルマー――この役立たずは、我が国プレジュ王国のスラム出身でしてね。ものすごく強いと悪名高かかったので、スラムの住人を人質に取って、ティルナノーグの王宮に騎士志望として送り込んだんですわ」
エリスちゃんの言葉に驚いて、エルマー様を見る。
「えっ、エルマー様、エリスちゃんに脅されてたってこと?」
「ま、まぁ、そんなところだ……」
エルマー様は言葉をにごしてうなずいた。
それを聞いて、納得する。だからエルマー様、エリスちゃんにあんなに弱かったんだ……。
エリスちゃんはさらに、忌々しげに口を開く。
「……なのに、何年経っても役に立つ情報はとってこない。治癒能力者にも近づけない。挙句の果てに、最初のチャンスを盛大に取りこぼす。これが一番許せませんでしたわ」
「最初のチャンスって……?」
「あなたのことですわ、スズ様。最初にあなたが治癒能力者だと知ったのは、この馬鹿だったでしょう? なのに、説得に失敗して、あなたに逃げられて、王宮に知られてしまった。あのときばかりは、怒りで頭に血が上ぼりましたわ。顔面をボコボコに殴ってやりました」
「ぼ、ぼこぼこになぐった……?」
そう言われて、あのときのことを思い出す。
……私の部屋まで謝りにきたエルマー様の顔は、激しく殴られたような跡があった。すぐに治してあげたけど、あれてっきり王様がやったんだと思ってた。
あれ、エリスちゃんだったんだ……。想像できない。
「さらにこの馬鹿の役立たず伝説は続きますわ。あなたに部下をつける話になったときに、何を血迷ったのかレベル10のリオ様を通した。本当に馬鹿すぎて気が狂ったのかと思いましたわ!」
「こ、子どもの方が懐柔しやすいって思ったんだよっ! まぁたしかにちょっと同情はしたけど……。こうして成功してるんだからいいだろーがっ!」
「ふん。こんなの、運がよかっただけですわ」
エリスちゃんはそっけなく言って、さらに憎らしげな表情で、エルマー様を睨んだ。
「……そして、失態続きのこの男に、わたくしは言ったのです。スズ様と召喚契約を結んでこいと。あなたが外に出て危ない目に遭ったときに、この役立たずを召喚すれば、捕獲が容易ですからね」
「だ、だからエルマー様、突然私に召喚契約をもちかけてきたのッ!?」
「い、いや……その……」
「そう。なのに、それすらあなたに断られて、この男の存在価値が未だに見出せませんわ」
エリスちゃんはそう言って、わざとらしく頭を抱えた。
ちょ、ちょっとさすがに辛辣すぎない……? こんな状況だっていうのに、エルマー様がかわいそうになってきたよ……。
「ん……」
遠くで身じろぎが聞こえて、はっとする。
私と同じく柱に拘束されているリオくんが目を覚ましたらしく、身体を起こして、辺りをキョロキョロと見回していた。
「……あれ、スズさん?」
リオくんは首をかしげて、私を見た。
エルマー様がボコボコにされている回は24話です。




