怪異殺しは手順を踏み、怪異を解体する
滑り込む。
開幕と同時に互いに駆け出し、唸る鵺の牙を躱して股下へと滑り込んだ。
対象を見失い、背後を取られた鵺の次なる行動は、蠍の尾を使った刺突。推測通りの動きで鵺は毒針を振るう。
掠りでもすれば即座に死に至る猛毒を前に、だが焦ることなく、見極めて躱して見せる。
何もない空を過ぎた毒針は、そしてアスファルトを打ち砕いて地面に刺さる。
この好機を逃すことなく、蠍の尾を二つに裂くように刀を振り上げた。
「準備完了」
鵺はあらゆる動物を寄せ集めた怪異だ。
その希少種ともなると、異なる動物の部位ごとに驚異的な再生を可能とする妖力の核を有している。
頭に一つ、胴体に一つ、四肢に四つ、尾に一つ。
計七つがあり、いずれかの一つが潰えても、ほかの六つが妖力を供給し、部位の細胞を使って核を再構築させてしまう。
これが幾ら攻撃しても殺せない鵺のカラクリだ。
「先ず一つ!」
裂けて二叉となった蠍の尾を、今度は根元から切断する。
核を潰してから直ぐ肉体から切り離せば、その部位は再生できずに消滅する。
部位の細胞が一欠片でも残れば、そこに核が再構築される。
核を潰さずに部位を切り離しても、各同士が共鳴して引き合うため意味がない。
だから、この解体は俺にしか出来ず、他の誰かがいては成り立たない。
「あと、六つ!」
蠍の尾を切り離してすぐ、今度は鵺の背に乗り上げ、背骨を伝うように駆ける。
核の位置は、長年の経験と直感で調べがつく。
この個体は比較的、他の希少種よりも鬣の色が濃いため、恐らくは背骨の下から十四番目。その位置にまで跳び、落下の勢いを合わせて背骨の核に紅桜を突き立てる。
瞬間、核を潰した確かな手応えを感じ、長居することなく背から飛び降りる。
「――っと」
胴体の核は他の核の妖力供給によって再構築されるだろう。
しかし、その間は部位自体の動きが目に見えて鈍くなる。
安定のために毒のある蠍の尾を先に処理したし、これで攻略は盤石だ。
「GaaAAAAaaaaAAAAaaaaaa!」
尾を失い、胴体の核を潰された鵺は、明確な敵意をもって咆哮を放つ。
音圧で敵である俺の行動を一瞬にも満たない僅かな間だけ阻害し、自身は後方へと退避する。跳躍の最中、それを追おうとする俺に向けて、鵺はその四肢の一つである熊の鉤爪を薙ぐ。
闇雲にただ暴れているのではない。
それは列記とした攻撃だ。
鉤爪には妖力が宿り、繰り出した攻撃は実体もなく飛ぶ衝撃となり――ありえない刃となる。それは魔術に近しく、だが根本から異なっている怪異の攻撃手段。それが爪の数だけ降り注いでくる。
「お見通しだっての!」
それも幾度となく目にしてきたものだ。
飛来する線状の刃も、この剣技なら対抗できる。
正確にタイミングを合わせ、計五本の刃を五回の剣戟で打ち落とす。同時に、直ぐさま駆け出して、開いた間合いを埋めに掛かる。
着地。
それとほぼ時を同じくして、肉薄した紅桜が右前脚の核を貫く。
「GaaaaAAAAAaaaaaaaaaaaa!」
刀身を引き抜いた直後、咆哮に紛れて牙を打ち鳴らすような音を聞く。
それは幾度も聞いた、妖力による攻撃の予備動作。
直ぐさまその場から跳び退いて回避し、今まで立っていた場所に大きく、獣に食い千切られたかのような痕が残る。
回避から一転。
次の攻撃がくる前に攻勢に移り、異なる部位の接合部を刺し貫くように刃を入れ、右前脚を抉り取る。
四肢の一つを失い、鵺はぐらりと体勢を大きく崩す。
その最中、股下を潜り抜けた俺は、左の後ろ脚に狙いを定め、一息に解体を終わらせる。
計二本の脚を失い、もはや鵺は立っていることすら叶わない。
はずなのだが。
「――おっと」
視界の端にちらりと動く、黄金色の何か。
それはしなやかに伸び、薙ぎ払われ、俺を退避に追いやった。
そして、続けざまに今度は火炎が飛んでくる。
灼熱の炎が幾つも飛来し、これを剣技で打ち消すことで捌き切る。しかし、それだけで追撃は止まらない。今度は前脚の鉤爪から繰り出される、妖力を孕んだ線状の刃が襲来する。
「しゃらくせぇ!」
繰り出された攻撃のすべてを、撃ち落としてみせる。
そうしてようやく一息をつき、鵺の全貌を改めて望む余裕を得る。
「……狐の胴体が、ほかを補ってるか」
視界の端に見えた黄金色の何か。
それは失った蠍の尾を補うために再構築した狐の尾だ。
四つに分かれた尾のそれぞれの先端に灯るように、先ほどの炎が揺れている。
あれは妖狐本来が持つ、狐火か。
解体したはずの前脚も狐に置き換わっている。この様子だと、後ろ脚もだな。
「そうするしかないとは言え、それは愚策だろ」
尾と四肢二本。
それだけの再構築を行うということは、核に供給されるはずの妖力の大部分を割いているということ。
核の再構築はままならず、潰えたままでは狐の胴体は満足に動かない。
それは置き換えた尾と四肢にも同じことが言える。
鵺はもう身体をまともには動かせない。
「終わりにしよう――お前はまだ幼すぎた」
かつて戦った記憶の中の鵺を、今現実にいる鵺に重ねて、そう呟く。
そして、一切の情を捨て、鵺を殺すためだけに身体は駆動する。
「GaaAAAAAAaaaaaaaaaaaaaAAAAaaaaaaaaaaa!」
雨霰の如く降り注ぐ狐火を躱し、紅桜の間合いにまで肉薄した。
近づいた俺を遠ざけようと、鵺は熊の前脚を振るおうとする。
しかし、それよりも一手速く、紅桜の刀身が接合部を斬り裂いて抉り取る。宙を舞う熊の前脚。それを更に両断して核を潰し、残る核はあと二つ。
すでに狐火も出せないのか、黄金色の尾が槍の如く突き出される。
それを縦に斬り裂きながら突き進み、右の後ろ脚に辿り着く。解体作業に移るべく、邪魔立てするすべての尾を断ち切り、核潰しと部位の切り離しを成功させる。
これで残りの核はあと一つ。
「さて――」
鵺はもう動けない。
地に倒れ伏し、血溜まりの中に浮かんでいる。
狐の背に乗り上げて、背骨を伝うように頭部を目指す。その過程にあった胴体の核に目をやり、それが再構築されていないことを確認しつつ、首筋にまで歩みを進めた。
「じゃあな」
紅桜を逆手に持ち替え、脳天から鋒を入れて頭部の核を貫く。
同時に鵺は声もなく絶命し、その一生を終えた。
「……本当に、傷一つないな」
鵺から引き抜いた紅桜を眺め、そう呟く。
傷つくことを知らない刀身。微塵も衰えない刃。
それから滴り落ちる血の雫は、艶めかしくも妖しげで、夕闇の昼夜曖昧な光によく栄えていた。
「――まさか、本当に一人で殺しちまうとはな」
眼下に、槍を担いだ月影の姿が映る。
その後ろには残りの二人もいた。
「よっと……どうだ? 凄いだろ」
刀身に付着した血を払い、鵺から降りて、そう自慢する。
「あぁ、大したもんだ。完全に、助けられちまったな」
どこか居心地が悪そうに、月影は言う。
「困った時はお互い様だろ。俺が窮地の時は頼んだぜ」
「そんな時がくるかどうかはさておき、わかった。その時は全力で手助けしてやるよ」
拳同士を付き合わせ、そう約束を交す。
「――にしても、どうするんだ? この惨状は」
改めて周囲を見渡してみると、酷いモノだ。
ここに駆けつけた時もそうだったが、今はそれに巨大な怪異の死体が追加されている。何も知らない人間がこれを見たら、自分は死んだのかと錯覚するんじゃあないのか?
「その辺は私らの管轄外だ。組織の連中がどうにかするだろ。そのために人払いの結界も展開されていることだしな」
人払いの結界。
ここに来てから妙な感じがしていたが、それが原因か。
道理で、あれだけ鵺が吼えても騒ぎにならない訳だ。
「よーし、それじゃあ祝勝会だ。今日は俺が奢るから全員ついてこい。怪異殺し! 店についたら色々と聞かせろよ!」
「あぁ、わかった。心ゆくまで付き合ってやる」
奢ってくれると言うのなら、拒否する理由もない。
ありがたくご相伴にあずかるとしよう。
「相変わらず、一度心を許すととことんだな、月影は……って、あれ? 今回、私なにもしてなくないか?」
衝撃の事実に気が付き、打ち震える瑞樹を可笑しく思いながら月影の後を追う。
すると、背後から誰かに服の袖を引っ張られる。何事かと振り返って見ると、そこには紫隠透華が立っていた。
「どうした?」
「キミ、面白い」
面白い?
「だから。私も学校、いくね」
そうとだけ言い残し、紫隠透華は先をいく。
なぜ登校する気になったのかは知らないが、教室に人が増えるのはいいことだ。
些細な疑問はこの際、棚上げして今夜の食事に胸を弾ませるとしよう。