怪異殺しは勝負を挑まれ、刀を振るう
「よう……よく受ける気になったな」
数多の視線に晒されながら準備運動を整えていると、瑞樹が正面にやってくる。
その顔は面白く無さそうな、何となく不機嫌そうな、そんな表情を造っている。
「あれはきっと、勝てる気でいるぞ」
「そりゃ、そうだろ。勝てる気でなきゃ勝負は挑まない」
戦いそのものを楽しむような質には見えなかった。
「私が言っているのはそう言うことじゃあなくてだな」
「わかってるよ。俺が魔術の基礎すら知らないから、だろ? だから、スペードが相手でも勝てるかも知れないと踏んだ」
予想は的中していたようで、瑞樹は異論を唱えない。
「いいのかよ、それで。下に見られてるんだぞ」
「勝算があるなら試してみたいと思うのは当然だ。上だの下だの、そう言う見栄の張り合いに興味はない」
「見栄じゃなくて格の話をしているんだ、私は」
よりいっそ不機嫌そうな顔をして、瑞樹は言った。
「この学園の構造は魔術世界の縮図だ。自身の力量にあった枠組みの中で一生を終える。それが魔術師のあるべき姿のはずだ。己の器を計り違え、身の丈以上を望んだ者には、必ず破滅が訪れる。……あんたの一族がそうだったようにな」
切風の一族が没落したのは、身の丈以上を望んだから。
なるほど、それに間違いはないだろう。
顔も名前も知らないようなご先祖様は、それを理由に淘汰された。質の悪いことに、それでも諦めなかった訳で、だから今の俺がある訳だが。
瑞樹のようなまともな魔術師に取って、身の丈を弁えるのは重要なこと。
なら、彼の提案は容認しがたい事実だと言うのにも納得がいく。
魔術世界の縮図。
ハートとスペードという、定められた枠組み。
先ほどの彼は、その枠組みを超えようとした。こちらの領域に足を踏み入れようとした。破滅への一歩を、踏み出そうとした。
だから、瑞樹は不機嫌そうにしている。
愚か者を――思い上がりも甚だしい身の程知らずを、目にしたから。
魔術師って言うのも、面倒臭い思考回路をしているものだな。
「――なら。なら、どうして先生たちは許可を出したんだ? この模擬試合に」
瑞樹の口振りからして、本来なら許されない行為のはずだ。
だが、教師は許可を出した。寧ろ、快諾していたようにも見える。
「あぁ、それは……見たいんだよ、あんたの戦いを」
見たい?
「魔術師は知識欲が服を着てあるいているようなものだ。そこに未知があるなら、道理や常識を排してでも知りたくなる。魔術界隈を騒がせた怪異殺しの剣、それを見られる機会があるなら逃さないのさ」
知識欲のためならルール違反にも眼を瞑る、か。
「……面倒くせぇな、マジで」
「面倒臭くない魔術師なんていない」
筋が通らない。
瑞樹の話を聞いていて、真っ先に思い浮かんだのが、それだった。
「――そう言えば、模擬試合の形式は?」
「形式? あぁ、たしか結界破り、だったか。首に提げた結晶を直接砕くか、体表に展開した結界に一定の損傷を負わせるかすれば、勝ちみたいだな」
その性質上、事故が起こりにくい形式なのだそうだ。
結界が盾になることで肉体を護る仕組みがなければ、安全な模擬試合など出来ないためだろう。
生身で魔術の打ち合いなどすれば、命が幾つあっても足りないからな。
「そっか……なら、あんたは絶対、結晶以外を狙っちゃダメだ」
不機嫌そうな顔から一変して、不可解なほど真剣な表情をして瑞樹は言う。
「理由は?」
「あんたが本当に魔術の基礎も知らないなら――あんたの剣は肉体に届く。結晶の防御結界をたやすく越えてな。だから、まだこの学園にいたいなら、結晶以外は絶対に斬るな」
「……なるほど、わかった」
瑞樹の忠告を肝に銘じ、中断していた準備運動を再開する。
それが一通り終わったころ、教師陣がふたたび訓練場に足を踏み入れた。
「――これより模擬試合を開始する。切風四季、彩空虹、準備はいいな?」
首に結晶を提げ、手に得物を携え、相対する。
その段階になって準備不足の状態にあるはずもない。
互いに頷きあって、その意を立会人である女性教師に伝えた。
「よろしい。なら、合図と共に試合開始だ」
高らかに手は振り上げられる。
そして。
「始めッ!」
それは、振り下ろされた。
「深紅よ、天を焦せ」
先手を取ったのは、虹。
その手に真っ赤な炎を灯し、薙ぎ払うことで数多の火炎が撒き散らされる。
視界を埋め尽くすほどの赤、赤、赤。
視界が灼けたように色付き、熱気が露出した肌を撫でる。魔術によって造られた疑似的な炎は、迫り来る弾幕となって押し寄せた。
「さて、まずは小手調べと行こうか」
炎の一群を前に、ゆっくりと歩を進める。
かの炎熱は苛烈にして甚大。相対するものを焼き尽くさんとする逃げ場なき災禍。しかして、この歩みを止めること叶わず。燃えたぎる炎であれど、その一群であれど、この一刀はそれを斬り裂いて焼却する。
「なッ――」
必要最低限。
刀の一振りをもって、うずたかく迫り上がった炎の弾幕に風穴を空ける。
意図もたやすく自身の攻撃を無為にされたとなれば、その瞳も驚愕に染まるというもの。その様子を見据えつつ、足は更にまえへと足跡を刻む。
「くッ――深蒼よ、荒波を立てろ」
次いで繰り出されるのは、津波とも形容すべき高波だ。
抗いようのない純然たる力の方向性。過程にあるすべてを呑み、打ち砕く濁流。それが一個人を倒すためだけに明確な意志をもって襲いかかる。
だから、受けて立つ。
天を突くように掲げた刀身を振るい、鋒を落とす。
縦の軌道を描いた刃は対象を断ち、その余波は一筋の道を開拓する。荒々しくも猛々しい破壊を孕んだ濁流は、一刀のもとに分かたれて方向性を失い霧散する。
「これでも……ならッ」
風が、渦を巻く。
「深空よ、舞い上がれ」
腕を、足を、胴を、体を、軸にして身に纏うように風が躍る。
そうして彼が刻んだ足跡は力強く、足場を砕くほどだった。
破片が未だ宙を舞う最中、破壊音がして秒と経たぬ間に、虹は人智を越えた速度を得る。それは携えた得物にも適用され、射られた矢の如く剣先が馳せる。
その剣速たるや、常人ならば目で追うことすら許されない領域にある。
そう、飽くまで常人ならば。
受け止める。
軽々と。
「いい威力だ」
骨に響き、身が引き締まるような剣圧だ。
荒々しくも勇ましい。
「――どうしてこれを、そんな涼しい顔をして受け止められるんだッ」
「散々、飽きるほど見てきたからな。これくらいは」
鍔迫り合いから抜け出すように剣を弾き、攻勢に転じる。
相手が体勢を正しく立て直す暇を与えず、次々に連撃を叩き込む。
とは言え、こちらは首に提げた結晶以外を斬ることが出来ない事情がある。
模擬試合の要であり丸出しの弱点であるそれを、そして悟られぬよう正確に狙う機会など、この攻勢の最中であってもそうはない。
どこでも斬って良いなら、すでに試合は終わっているのだが、難儀な話だ。
「――くッ」
怒濤の如く連なる剣戟に、虹は堪らず背後へと跳んだ。
自身が不利な状況で地面から足を離すなど、本来なら愚策も愚策。
自ら命を捨てるに等しい行為だが、いま俺が相手をしているのは列記とした優秀な魔術師である。
彼は跳び、そして飛んだのだ。
身に纏う風を利用し、空を駆けて見せた。
「これで俺からの攻撃は届かなくなった訳だ」
「お互い様さ。僕からの攻撃もキミには通用しない。どれだけ魔力を込めようと、一撃で薙ぎ払われてしまうからね。空を飛んでいる分だけ、魔術を使った分だけ、僕のほうが先にガス欠する」
「なら、どうするんだ?」
「決まっている。全力の肉弾戦さ!」
躍る風は舞踏となって、鮮烈さを増す。
まるで嵐を眼に前にしているかのような風圧に、その身体の強化具合を見る。先ほどの比ではない魔力の脈動が、波動が、頬を撫でる風に混じって伝わっていた。
「――行くぞッ」
「来い!」
突風が野を駆けるように、虹は得物である剣を振るう。
その破壊力たるや、鋼をもたやすく穿つ剛剣だ。
衝撃はトラックとの衝突に比肩し、速度は矢を上回る。されど、これを躱すことはしない。出来はしない。
力も歩みも人の域を出ない俺に、これを躱すことは物理的に不可能だ。
だが、受けることは出来る。止めることは出来る。
振り抜かれた一閃を洞察し、観察し、見極め――衝撃を受け流す。
風の鳴く声を劈くように、剣戟の鋭い音が反響する。
それは風を伴う剣を、魔術を孕んだ剛剣を、ただの真剣が阻んで見せたからこそ響いたもの。折れていれば響いたのは剣の音ではなく、俺の断末魔だっただろう。
「だが――」
一瞬にも満たない静寂を越えて、刀剣は再び刃を交える。
それは一度ならず、秒という区切りの中で、数えるのも億劫になるほど繰り返された。幾重にも連なる攻防は、しかし長くは続かない。
他ならぬ虹が言ったのだ。
短期決戦であると、先に戦闘不能になるのは自分だと。
なら、この拮抗した戦況の中で、先に動くのは虹であるのが道理。そして、その時は瞬く間に、息をつかせる間もなく、鎌首をもたげて訪れる。
打ち合った剣と刀が互いを弾き合った刹那、虹は残りすべての魔力を注ぎ込む。瞬間的に増幅した魔術は、剣を、腕を、身体を、無理矢理駆動させることで俺の一手先を行く。
血管が張り裂け、皮膚が断裂し、骨が軋む、捨て身の一撃。
その血と傷に塗れた一振りは、この身を断たんと振り下ろされた。
「――」
それを、待っていた。
極限の中で繰り出された究極の一撃を、刀身の側面で受け、その上を滑らせる。
火花を散らし、鎬を削り、風纏う剛剣は滑り落ちる。
軌道を反らされ、地に落ちた刃は大地を裂いた。
吹き上げる風が顔を逆撫で、舞い上がった結晶が再び重力に引かれるまでの刹那に決着はつく。
「久々に、楽しい試合だった」
勝利の確信は刺突となって現れ、舞い上がった結晶を打ち砕く。
突き抜けた鋒は、そして静止する。
決着の後、削り落ちた刀の側面に映ったのは、どこか清々しい顔をした、虹の何とも言えない表情だった。
「くそ、僕の――負けだ」
勝敗がつき、刀を収める。
こうして波乱の初授業は、幕を下ろした。