03 押しかけ女房はダークエルフのお姫さま!?①
暗黒大陸に降り立った俺は、小船を砂浜に引き上げると、甘く熟れた果物の匂いがする海岸の空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。
(これが、暗黒大陸の風か)
踏みしめた砂浜は赤茶色で、小さな穴から時々ぶくぶくと気泡が生まれている。
下に何か生き物が潜んでいるのだろう。
踏みつけ続けるのは申し訳なかったから、俺はその場からすぐに移動した。
小船に積んでいた皮袋には、ナイフをはじめとした最低限の道具が入っている。
それを肩に担ぎ、俺は周辺の散策を始めた。
海岸を抜けると、その先はいきなり森になっていた。
陽がほとんど届かないほど、葉が茂った陰鬱な森だ。
高く聳えた木々は、海からの風に揺らされてざわめく。
うー……うー……。
風が吹くたび、そんな音が聞こえてきた。
(まるで人の呻き声みたいだな……)
そう思って木を見上げると、ぎょろりとした瞳と目が合った。
「うわ」
予想外すぎて、ちょっと驚かされた。
しかもその木だけじゃない。
よく見たら、周りの木の幹にも、顔がついている。
(これって木の魔物だよな? )
「えーと、はじめまして」
俺は立ち止まり、頭を下げた。
「今日からこの大陸でお世話になる者だ。色々と作法も分からなくて迷惑を書けると思うけど、仲良くしてくれると嬉しい」
『……』
魔物たちからは返事がない。
ただ、ざわざわと葉を鳴らして俺を見下ろしている。
警戒されているのか。
俺は内心で少し落ち込んだが、気を取り直し、散策を続けることにした。
まずは生活の基盤となる場所を用意するべきだな。
(どこか家を建てるのにちょうどいい場所を探して……。ああ、あと夕飯の食材も集めなければ)
旅の前に用意した保存食は、もう数回分しか残っていない。
俺はいったん散策を中断し、狩りのための罠を仕掛けることにした。
暗黒大陸についたら、現地にある材料で罠を作ろうと決めていたので、元いた王国から持ち込んだ荷物はほとんどない。
俺はまず最初にロープの代替品を探した。
(何か蔦のようなものがあればいいんだけど……)
そう思って周囲に視線を向けると、木の魔物の根元に、蔦が巻きついているのを見つけた。
(あれ、使わせてもらえないかな……)
遠慮しつつ、近づいていく。
『グググ……』
木の魔物は低く唸って、嫌そうに枝をしならせた。
ところがよく見ると、蔦は木の魔物に絡みついているだけで、彼の一部ではないことがわかった。
どうやら地面から生えてきた蔦が、彼に巻きついて窮屈な思いをさせているらしい。
「これ、少しもらっていくよ」
そう断って、持ってきた小さなナイフで蔦を切る。
すると魔物はほっとしたように、表情を緩めて、バッサバッサと枝を動かした。
お礼を言われた気がしたので、頷き返す。
「いいんだ。俺も助かったし」
手に入れた蔦は、俺の小指ほどの太さをした、丈夫な蔦だ。
刈り取ったばかりだけあって、まだ瑞々しい。
けれどこのままではロープとして硬すぎる。
俺はナイフでとんとんと小刻みに、蔦を叩いていった。
細かい切れ目が入ったことで柔らかくなった蔦を、輪を作るように結んだ。
この結び方は、中にものがある状態で引っ張ると、輪が締まる仕組みだ。
さて、罠作りは初めてだけれど、上手くいくだろうか。
まずは金槌代わりの石を使い、落ちていた枝を杭として地面に打ち込む。
次にしならせた木に、例の蔦を結んだ。
そして最後に、杭と蔦を繋げば……。
「よし、できたぞ」
これで獲物が通りかかるとバネのように跳ね、足を絡め取る罠の完成だ。
他にも、石を落とす罠や、鳥用、魚用の罠を仕掛けた。
(ちょっと古典的だけど、落とし穴を利用した罠も作っておくか)
設置した罠の数は計五つ。
どれかに獲物がかかってくれるといい。
この辺りには木の魔物以外にどんな生き物が生息しているのか、そいつの肉はどんな味なのか。
そもそも魔物の肉は、うまいのかまずいのか。
とても興味深かった。
「さて……」
罠を使った猟は、どれだけ人間の気配を消せるかが肝心と聞いたことがある。
獲物がかかるかどうか、隠れて観察していたいけれど、ぐっと堪えて住む場所を探そう。
◇ ◇ ◇
それからしばらく。
周囲の地理を頭に入れながら辺りを歩き回ってみたが、家を建てるのに適した場所は、なかなか見つからなかった。
俺は顔を上げて、腐りかけた木々の間から空を眺めた。
暗黒大陸は、マーブル色の夕暮れに覆い尽くされている。
まるでこの世の終わりのような美しさだ。
じきに夜が来る。
(……腹が減ったなあ)
今日の散策はここまでにして、仕掛けた罠を回収しに戻ろう。
獲物がかかっていることを期待しつつ、罠を設置した場所へ向かうと、残念ながら最初に仕掛けた括り罠には、餌が干からびた状態で残っていた。
(一番時間をかけた罠だから、人間の匂いが残っていたのかな)
もっと改良が必要かもしれない。
餌も乾いてしまっているし、明日また別の場所で作り直そう。
気を取り直して、近くに設置した落とし穴のほうも見に行くか。
古典的だったし、網が結構目立っているかもしれないな。
(あんまり期待できないけど……)
「……んー……ううーっ……」
(なんだ? )
罠のある辺りから、うめき声のようなものが聞こえてくる。
(何か掛かってるのか? )
俺の初めての獲物にワクワクしながら、足早に罠を仕掛けた場所へと向かう。
すると、じたばたと暴れるシルエットが。
獲物はけっこう大きいみたいだ。
(これは、初めてにしてはかなり上出来だったんじゃないか? )
おまけで作った落とし穴に掛かるなんて、予想外だったけど。
それでも、嬉しいことに代わりはない。
(さて、俺の獲物……)
歩み寄って落とし穴を覗き込んだ俺は、ぎょっとして息を呑んだ。
設置した罠にはなんと、露出度の高い服を身にまとったダークエルフの少女がかかっていたのだ。
頭から網をかぶった彼女は、お尻を突き出すような恥ずかしい体勢でもがいている。
小さな穴の中で身動きがとれないからだろうが、何とも言えない気持ちになった。
俺はもう六百歳以上の年寄りだけど、それでもなんだか申し訳なくて一応は目をそらす。
「ううっ……一生の不覚……。わらわともあろう者が、こんな罠にみすみす引っかかるなど……。全魔族に顔向けできぬわ……」
ダークエルフは暴れながら、なにやらブツブツ呟いている。
そうだ。
見ないようにするより先に、助けてあげないと。
俺は急いで仕掛けを解除し、罠を解いた。
「あーそこの君、すまない。罠は解除したから、あとは頭上の網を払いのけてくれ」
「……っ!」
声をかけるとダークエルフは、弾かれたように顔を上げた。
「むむっ……!? そなたは……!!」
穴の中から俺を見上げたダークエルフが、目をまん丸にさせたまま硬直している。
「大丈夫だったか? 怪我はないか?」
「……この罠を仕掛けたのはそなただったのか?」
「ああ、申し訳ない。夕食の材料を確保したかったんだが、まさかこんな事故になるとは……」
罠を仕掛けるときは、人に迷惑をかけないようにしないとな。
初歩的な配慮が出来ていなかったことを反省する。
「そうか、そなたなら致し方ない……。そなたはわらわを唯一好きにできる権利を持つ者だからのう」
ダークエルフの少女は、うつむいてもじもじと服の袖を直し始めた。
「……?」
(いったい何の話をしてるんだ? )
ダークエルフの言葉の意味がわからず困惑したが、まず先に彼女を穴から出さなくてはいけない。
「手を貸すから掴まれ」
「それには及ばぬ。よいしょっ……」
落とし穴の入口に手をかけた彼女は、弾みをつけて体を浮かすと、とくに苦労することもなく地上へ戻ってきた。